今日はちょっと辛口になります。
あまりにも「お肉は感謝して食べればいい」と、みんな口を揃えて言うんですよね〜。
私のブログにクレームメッセージを送ってくる人たちも、この「感謝」について超敏感ですw
日本人は「感謝」と言う言葉に特別な感情を持っているみたいで、「感謝」こそが大事だと思っているみたいです。
感謝は免罪符ではありません。
あとですが、「お肉は感謝して食べればいい」と言う人。
絶対に食事は残しませんか?
食事をする前に手を合わせ「いただきます」と言いますか?
食事中のおしゃべりは厳禁ですよ?
「お肉は感謝して食べればいい」と言う人たちが「いただきます」も言わずに食事中おしゃべりをしながら食べ、ときどき食べ残すのを、私はいつも見ています。
それって感謝してるん?w
おしゃべりのどこが悪いの?
って思っている人がいるかも知れませんが、本当に感謝しているのなら食事は黙って食べるものなのですよ。
私は中高と仏教の学校に行っていたのですが、食事中の会話は禁止されていました。
(中学の最初の数ヶ月間で以後は誰も守っていませんでしたがw)
なぜなら、命をもらっている食事に感謝しながら食べるためです。
ぺちゃくちゃおしゃべりしながら感謝だなんて、感謝っていつからそんなに簡単に、薄っぺらくなったのでしょう?
感謝すればなんでもOKで思考停止する。
この日本人のなんでも「感謝」は仏教の思想から来ているのだと思いますが、仏教には精進料理をいうものがあります。
肉、魚を使わない料理です。
お米の1粒、葉っぱの1枚を感謝して食べる。
それは分かります。
でも、生きている動物を殺して食べるのは、「感謝」というより「謝罪」じゃないですか?
あなたの親、恋人、または子どもを快楽のために殺した殺人鬼がいます。
その殺人鬼は言いました。
「僕の快楽のために死んでくれて感謝してます。感謝すれば人を殺していいよね」
違うだろ!w
人は肉を食べないと生きていけないよ。
そう思う人、世界中には肉を食べずに健康に生きている人、生きてきた人たちが億単位でいます。
これはどう説明を付けるのですか?
私が言いたいのは、「感謝」という言葉で自分の行いを美化、正当化するより、謝罪し罪を認めた方がいいということです。
ヴィーガンを偽善という人もいるそうですが、私からしてみれば自分の行いを「感謝」でうやむやにする方がよっぽど偽善です。
とりあえず「感謝」で思考停止するのどうにかしてほしいです。
あと「感謝」で私にクレームをしてくる人。
そんなに「感謝」が大事なら、私にクレームせずに「感謝」してくださいw
「感謝」が大事なんでしょ?
見ず知らずの私に「感謝しろ!」と文句を言ってくるなんて訳が分かりません。
この現在、人々の食への”欲”はものすごいですね。
煩悩の塊。
だいたい、美味しいと思われているのもは動物性のものばかりなので、それを食べないヴィーガンをどうにか否定し、自分がそれらを食べる行為に対して正当化しようとする。
私は食べるなとは言わない。
なぜなら、その人が食べたくない、と思わない限り無理だから。
その人が心の底から「私は動物を苦しめるような食事はしたくない」と思わなければヴィーガンにはなれないからです。
人だけではなく動植物も愛したい。
そう自ら思わなければ、継続するのは無理だからです。
食べたいなら食べればいい。
でもそれなら、その罪を「感謝」などという言葉で誤魔化さずに、ちゃんとその「罪」と認めるべきでしょう。
「感謝」は与えられたものにするもので、奪ったものにするものではないのではないでしょうか?
「感謝」という言葉で逃げず、「感謝したらいい」で思考停止せず、ちゃんと自分の頭で考えよう。