再生体肝移植から5カ月経過 | 美佐ブログ娘の胆道閉鎖症、生体肝移植、私の脳のモヤモヤ病に負けない

美佐ブログ娘の胆道閉鎖症、生体肝移植、私の脳のモヤモヤ病に負けない

脳のモヤモヤ病で2回脳梗塞して左足首麻痺してるのでリハビリの為にブログしてます。長女は胆道閉鎖症で生体肝移植をし22年、私の肝臓が役にたちました。

2019年1月30日に二女から長女への生体肝移植が行われて、5カ月が経過しました。

5月17日に一旦退院したんですが、胆管ドレーンと経腸ドレーンは、入ったままの退院でした。

最初の生後8カ月での母の私からの移植後とは、やはり、手術方法も、傷の形も違い、ドレーンを持って帰るとかも無かったから戸惑いの連続でした。

退院後は2週間に一度の通院と自宅でのリハビリをしています。

再生体肝移植に至るまでに、24年で何度の入院を繰り返してきた事か。

胆管炎、拒絶反応、吐血、下血、低血糖などなど。

薬も変化して、免疫抑制剤はジェネリック薬品も登場していて、医学は日々進歩しています。

体重は入院中は35キロまで落ちていたけど、退院してから、40キロ迄は戻りました。

二の腕にも程よく肉が付いてくれて、本当に嬉しいです。

6月27日、地元大阪では、G20の為交通規制がされていました。

そんな時に限って、夕方18時ごろ、自宅のキッチンの床に落ちてるものが。


胆管ドレーンの先が落ちてました。

ということは、ドレーンの先が丸出しで、感染したら肝臓直撃で。

えーえーえーって私はパニックになりすぐに病院に連絡。

すぐに来て欲しいと言われたけど、G20で交通規制だし、車で2時間の距離を
帰宅ラッシュの電車に乗せられないしで、地元の病院で処置してもらいました。

で、今日移植を受けた病院にドレーンの抜管の為に、再度入院して、免疫抑制剤の量も調整して頂きます。

なるべく少なくして副作用のリスクを減らさないと、だけど拒絶反応も心配という微妙な調整です。

これを25年やって来ました。

入院した今日、長く移植後にお世話になったICUの看護師さんに会い、長女の姿を見て、ビックリされてました。

ICUの看護師さんは、元気になった患者さんに会う機会が少なくて、と話して下さり、娘の管に繋がれてない姿に感動して下さり。

私も、ICUの意識ない時の娘を思い出し、涙が出てしまい、正直、意識ない時期は、不思議と泣けなくて、今日初めて感情を出してしまいました。

意識ない娘に面会する為に1日2回の時間制限のある面会に2回共、時間ギリギリ迄ICUでソバにいて。

娘との繋がりは洗濯に渡される腹帯だけでした。

その洗濯物を持ち帰り、洗濯して渡す、それが私に出来る唯一の母親の仕事で。

その汚れた腹帯が愛おしくて幸せだったと、話してるうちに涙が出て来てしまいました。

今やっと現実として、意識が無かった娘の事を受け入れたと実感しました。

あの当時は夢か幻のようで、現実として、受け止めて無かったです。

改めて生きててくれて、生かしてくれてありがとうございます、と感謝しています。

ICUの看護師さんは家族のケアもしてくださって、本当に支えになりました。

意識ない娘の情報を毎回細かく話して安心させてくださいました。

好きな音楽かけたり、話しかけたり、いっぱい触ってあげてね、と声かけしていただいたり。

懐かしいけど、辛かった時期だったなと。

この先、先天性胆道閉鎖症の原因が解明されて、同じ病気の赤ちゃんが産まれない事を願い続けます。