コロナによる緊急事態宣言も出ている東京。

本当は大田区内の街の偵察(!?)を兼ねて散策したりしたいのですが、さすがにそこは暫く自粛をと考えています。

更に言うならば、不動産業者同士の集まり(都内+主要都市で不動産業業者の飲み会を運営している会社があるようです)に参加をしたりして名刺交換や情報交換をしたりもしたいんですけど、当分難しそうですねアセアセ

(無理に参加してコロナ感染したら医療関係者の方々にもご迷惑かけますし)


そんな訳で、名刺も減らない今日この頃、、代わりにネタとしてちょいちょい自分のことなんかも書いていきたいと思っています。
 
 
 
 
タイトルにもありますが、私転職回数ハンパないです 笑
 
と、言っても28歳までは正社員でしたが、そこからはほぼ派遣社員なので、これを転職回数と言っていいのかどうかというところではあるのですが、、、
 
派遣って、2~3ヶ月の期間限定とかもあるので、必然的に職歴が増える部分はありますが、でも、早い段階で履歴書1枚には収まらなくなりました。笑
 
 
 
正社員生活を終えた28歳のころ、ちょうど派遣社員という働き方が増えてきだしたタイミングでした。
 
正社員で残業代もつかず時には終電まで安月給で働いていた当時の自分にとって、派遣社員という働き方がすごく魅力的に写りました。
 
だって、時間をちゃんとお金で買ってもらえるので、時間を無駄にせずに済むし、仕事だって選べる。
それまでは地元の中小企業で働いていたけど、派遣で紹介されるところは、自分のレベルじゃ新卒でも入社することはできなかっただろう大手企業ばかり。
 
もう迷うことなく派遣を選びました。 笑
 
 
紹介される仕事は圧倒的にこれまで働いてきた不動産業界が多かったですが、一時期不動産業界に飽きて他の業界(出版や食品)とかでも派遣の営業職として働いたりもしました。
 
途中31歳の時と36歳の時に就職活動をしたこともあります。
 
31歳の時は福岡にいて、福岡ってやっぱり地方なので色々事が早く、30歳というのが結婚にしても就職にしても一つの足切りの年齢でした。(今は少しマシになっていることを願いますが)
 
今から十数年前にはなりますが、当時はまだ全然セクハラとかパワハラとかっていう言葉も広がっておらず、面接に行った世の中的にはまあまあ名の知れた住宅設備メーカーの福岡支店の面接で、面接の相手の40歳くらいの男性に普通に「これから結婚とか出産があると思いますけど?」とストレートに聞かれた時には結構な衝撃でした。(私には結婚・出産願望が無かったので特に衝撃だったこともあります←このことについてはまたどこかで書けたらと思います)
私は特に被害者妄想タイプではないので、かなり冷静に状況を理解していたと思いますが、もし、結婚・出産があっても頑張って欲しい気持ちが含まれていたならこちらも受け止め方は大きく違っていたと思います。でも、「なんで(結婚・出産するだろう年齢なのに)正社員を選んじゃってる訳?」みたいな上から的な言葉がふんだんに盛り込まれている言い方だったんです。
 
さすがに結婚・出産願望が無いことを言える空気ではないことを悟りましたし、面接のオッサンにそれを言うまでの関係性でもない。
それよりも「え?じゃあなんで年齢分かっているのに面接しようと思ったわけ?採用する気が全然なさそうなのに、これじゃこっちもそっちも時間の無駄じゃん」と心の中で思いながら、絶対どうあってもこの会社には入りたくないわ。という気持ちで面接を後にしたのを記憶しています。
(確か、面接の後、結果が出る前にこちらから辞退の連絡を入れたと思います←恐らく不採用だったと思いますが 笑)
 
今思えば、支店内または本社から女性も一応面接をするように指示が出ていたのかなと思いますが、とにかくその時30歳を過ぎた女性が正社員になることの壁をすごく強く感じた場面の一つでした。
 
それがきっかけだったか、やっぱり派遣でいいや。となってまた派遣生活が始まるわけです。
 
33歳の時から2年働いた会社はこれまでで一番働きやすい会社(不動産業界)で、本社とのやり取りも多く、本社からも支店の支店長からも評価を頂き、ふんわり直接雇用の話も出てきてちょっと嬉しい気持ちでもいました。
 
 
 
 
 
でもそんな矢先にやって来たリーマンショック。
 
 
本社からの指示で経費削減のため派遣社員を切ることになり、あっけなく派遣切りに。
 
 
直接雇用の可能性から派遣切りという一気に奈落の底に落とされて心が立ち直るのにだいぶ時間がかかりました。
 
ちょうどそのタイミングで、地元銀行から出向で来ていた部署内のおっちゃんが、「知り合いの不動産会社があって、そこの社長は人格者で素晴らしいから紹介してあげる。」と。
 




「捨てる神あれば拾う神ありキラキラ
 





私は「ぜひ宜しくお願いします!
 
 
 
 
 
・・・と入社をさせてもらったまでは良かったのですが、蓋を開けたら色々違ってた、、、(←ありがちですが 笑)
 
 
 
銀行からの出向のおっちゃんは本当に人格者だと思っていたようだけど、全くそんな事はなく。
実際は人の噂とかにすごく敏感な陰湿なタイプで、おまけに変な宗教に入っていて怪し過ぎました。。。
数名の従業員も暗~くて社長が職場にいる間は小さな雑談さえもありませんでした。
 
 
すっごく辞めたかったけれど、紹介された以上こちらから「辞めたい」の一言が言えず。。。
 
 
でも、やる気が出てない私に気づいていた社長、8ヶ月経ったタイミングで無事解雇を言い渡されました。
安易に入社を決めた私と銀行のおっちゃんからの紹介で恐らく断れなかった社長。
 
お互い不幸な8ヶ月を過ごした福岡最後の思い出です。
 
 
そこから、福岡もいよいよ景気が悪くなり、私は住み慣れた福岡を後に親が住む愛知へと荷物をまとめて引っ越します。(戻れる場所があるだけ感謝しないといけないですよね)
 
で、親元に移動した時点で36歳、ここでも正社員の道にチャレンジをします。
 
 
・・・が、福岡は女性30歳が足切り年齢で、その頃の愛知は女性35歳というのが足切り年齢だということに気づきます。
しかも、36歳になった私は、28歳以降短期契約も入れると結構な数の派遣勤務数になっていたので、そんな年齢で派遣を転々としているような女性なんて採用したくもないでしょうし、ことごとく落ちました。
 
 
 
 
で、また手っ取り早い派遣に戻る訳です。 笑
 
 
 
 
 
こういう手軽さが「派遣から抜け出せない」と言われている所以なんでしょうね。。。
 
 
1年間の契約で不動産とは違う公的な業界の派遣でお世話になったあとは再び不動産業界で働き始めます。
 
40歳になる前までは、その派遣の中で、2社ほど直接雇用(正社員と契約社員)のお声をかけて頂きましたが、それぞれ事務職と新規開拓営業で、自分がそれをずっとやりたいかと考えると違うなと思って丁重に辞退をして、派遣生活を続ける形となりました。
 
 
 
・・・こうやって書いていると、確かに派遣人生とか言っていますが、直接雇用のチャンスを自ら蹴って敢えて派遣をやっている部分もあるかも知れませんね 笑
 
 
こんな状況で、40歳を超え、今度は日本から海外へと職場を変えていきます。