『さあ、という訳で今夜の1曲目です。焦らしません。1曲目から行っちゃいますよ。
AKB48 38枚目のシングル・・・聴いてください。AKB48で、"希望的リフレイン"!』
(始まってしまった。)
指原莉乃は、ゴクリと生唾を呑んだ。
この生放送には、次のようなタイトルが冠されていた。
【AKB48のオールナイトニッポン 緊急動議。指原莉乃は、AKBに戻るのか?】
指原にとって、これは師である秋元康の仕掛けたトラップ以外の何物でもなかった。
思えば、唐突にHKT48への移籍を言い渡されたのも、このANNの場だった。
あの時は、それが追い詰められた指原を救う"神の一手"となった。
しかし、はたして今回は・・・。
***
この日(正確には日付変わってこの前日)の朝、指原は秋元から矢継ぎ早にLINEを受けている。
「今夜のANN。楽しみにな。」
「あっと、驚くぞ。」
「ショック受けないよう心の準備、よろ!」
ノリノリだった。
(こういう時の先生は、・・・やばい。)
と、指原は思った。
(まさか、本気でAKBに戻れという訳じゃないだろうけれど、何か企んでいるのは間違い。)
朝から気が重くなった。
(もちろん、AKBに戻れと言われれば戻る。
他のグループに移れと言われれば移る。
先生の指示は、絶対だ!)
指原にとって、それは揺るぎようがない。
指原は、プロデューサー秋元の判断に全幅の信頼を寄せていた。
ただ、秋元のこういう子供じみた所は、正直イラッとする事がある。
それはまた、信頼とは別の次元の話だった。
「ったく、私で遊ぶなっ!」
指原は、一人ごちた。
***
『っという訳で、聴いて頂きました希望的リフレイン。この曲は半年前から神曲だと・・・。』
曲が終わって、指原は秋元に話を振る。
(まあ、考えたって仕方ない。どう転んだって、2時間後には答えが出てるんだから。)
指原は、腹を括った。
『指原には、だいぶ前に聴かせてたよな。』
秋元が応える。
『そうなんですよ。もう半年以上前に・・・。』
話しながら指原は、秋元から初めてこの曲を聴かされた時の事を思い出していた。
それは、4月下旬にまで遡る。
HKT48"劇場支配人指原莉乃"として、秋元のオフィスを訪ねた時の事だった。
***
「先生、いえ秋元さん。そろそろ本題に入っても良いですか?」
指原は、おずおずと秋元に問いかけた。
何時の頃からか、秋元はメンバーから先生と呼ばれるのを嫌い出した。
指原も仕方なく、「秋元さん」と呼ぶように心掛けている。
しかし、指原にとっての秋元は、プロデューサーであり、自分をここまで導いてくれた師である。
心の中では、今でも昔と変わらず「先生」と呼び続けている。
そのため、こうして、ふたりっきりで対峙している時などは、ついそれが口から出てしまうのだ。
もっとも秋元は、指原のそうした戸惑いには無頓着だった。
この日も、指原が部屋を訪れるなり、一曲のデモ音源を聴かせた。
それが後に「希望的リフレイン」となる曲の原曲だった。
「どうだ、良い曲だろう。昨日あがって来たヨシマサの自信作だ。
こいつに、"大声"みたいに"好き"ってフレーズのリフレインを当てる。
これは、神曲になるぞぉ。」
秋元が笑顔で語る。手応えを感じている証拠だ。
確かに、疾走感のある軽快なメロディだ。
自分がまだ研究生だった頃の、あっちゃんが絶対的センターとして君臨していた頃のAKBを思い出す。
指原も神曲の予感がした。
でも、今日はそんな話をしに来た訳ではなかった。
HKT48の劇場支配人として、次のシングルのセンターについて具申しに来たのだ。
「次のHKTのシングル、センターはるっぴで行きたいんですが・・・。」
指原は、ストレートに話を切り出した。
「ほぉう・・・。」
秋元は、ちょっと驚いた顔をして、デモ音源の再生を停止した。
「詳しく聞こうか。」
静寂を取り戻したオフィスの中で、秋元は静かに呟いた。
***
はるっぴこと兒玉遥は、HKT48がまだCDデビューを果たす前、HKT48唯一の正規チームであるチームHのセンターを務めていたメンバーである。
当然のように、デビュー曲のセンターも遥が任せられるものと、誰もが思っていた。
ところが、CDデビューにあたってセンターに抜擢されたのは、2期生しかも研究生の田島芽瑠だった。
「今の自分に欠けているものもたくさんあるし、そこを見つけていけたら良いなと思います。」
涙ながらに、そう自身に言い聞かせ、遥は成長しセンターに返り咲く事を誓った。
その日から、遥のセンター復帰は、遥とそのファンたちの"悲願"となった。
もっとも、遥がセンターを外された理由は、「遥自身のためを思って」という側面もあると、指原は思っていた。
当時の遥は、全てにおいて自分が自分がという気持ちが表に出過ぎていた。
自身に注意が集中するあまり、周りが見えていない事も多かった。
そのため、時に空回りを起こし、時に悪目立ちとなってしまっていた。
あるいは、自分がセンターだという自負と責任感が、そうさせていたのかも知れない。
センターの呪縛に囚われていたとも言える。
遥が、アイドルとして一回り成長するためには、まずこの呪縛から解放される必要があったのだ。
また、遥はセンターを外されると、すぐにチームAに兼任となった。
(たかみなや麻里子様といった偉大な先輩たちの後でステージに立つ事で、自然と周りを見れるようになってくれれば・・・。)
指原は、遥の成長に期待した。
しかし、指原の期待も虚しく、遥に変化の兆しはなかなか表れなかった。
いや、センターに返り咲くための迷走から、空回りが一層激しくなったと思える時さえもあった。
そうして、2ndシングルでも、遥がセンターに返り咲く事はなかった。
この曲のセンターは、芽瑠とそして同じく2期生の朝長美桜によるWセンターの形がとられた。
ようやく遥が変わり始めたのは、2ndシングルの発売が決まった後だった。
憑き物が落ちたように、周りが見えるようになった。
自分がどうしたいかではなく、自分に何を求められているかで、動けるようになって行った。
「何処にいても、自分が置かれた場所で輝けるように・・・。」
遥は、ひたむきに励み、着実に成長していった。
何時からか、遥にとってセンターは、何が何でも立ちたい場所では、なくなっていた。
ただ、遥のファンたちにとって遥のセンター復帰は、依然として"悲願"のままだった。
そして、そうしたファンたちの哀しむ顔を、遥は絶対に見たくなかった。
その意味において、遥にとってセンターは、やはりけっして諦めてはならない場所のままだった。
指原が誓いを建てたスローガン - 誰も諦めないHKT48 -
それは、努力し成果を出した者が報われてこそ、初めて真価を持つ。
遥ほど努力し成長したメンバーでさえ、報われない事はある。
それも仕方のない事だ。
もし、その事を認めてしまったならば・・・。
若いメンバーは誰も、"諦めない"どころか、その"諦める夢"さえも抱かなくなってしまう。
指原は、遥のためというよりも、すべてのメンバーのモチベーションを維持するために、遥をセンターに復帰させなければならないと、考えるようになった。
そうして、その考えをもう一人の劇場支配人である尾崎充に相談した。
尾崎は、指原の考えに二つ返事で賛同した。そして、
「兒玉をセンターに戻すなら、次の4thしかチャンスがない。
メンバーとして兒玉の成長を肌で感じている指原が、直接秋元さんに訴えてみたらどうか。」
そう、指原に助言した。
すでに3rdシングルも、発売して1ヶ月が経とうとしていた。
次の4thしかチャンスがない。
そうなのだ。この春、遥は高校3年生になった。
平均年齢の若いHKTでは、どうしても表題曲はスクールソングになってしまう。
高校を卒業してしまってからでは、遥をセンターに戻す事は限りなく難しくなってしまうのだ。
年2曲のペースでしかCDをリリースしていないHKTでは、まさしく次のシングルがラストチャンスだった。
***
「はるっぴは、センターの"シックスマン"を目指している。咲良がそう言っていました。」
遥の成長具合とセンターに据えたい理由を一通り説明し終えた所で、指原はそう付け加えた。
咲良こと宮脇咲良は、遥と同期のメンバーだ。
指原は詳しく知らなかったが、実は遥が変わった理由には、咲良が大きく関わっていた。
2ndシングルのセンターを知らされた日の夜。
遥は、咲良とともに泣き、笑い、誓いあった。その事が、遥にとっての節目となった。
センターの呪縛以上に、遥を縛っていた咲良へのコンプレックス。
咲良と直接向き合った事により、遥はその思いを昇華する事が出来たのだ。
すると、それまで内にばかり向いていた心の目は、自然と外へと向かい出した。
ファンが、スタッフが、メンバーが、自分に何を望んでいるか?
自分がアイドルとして、どのように期待されているのか?
手に取るようにわかって来た。意識が向いていなかっただけで、元々勘は良いのだ。
それが、遥の急成長の理由だった。
その夜が変化のきっかけとなったのは、咲良も同じだった。
遥との誓いが、咲良の背中を押し、「思い切って髪をショートにしたい」と指原に相談させた。
結果、自身の肉体の成長に先回りする形で、イメージチェンジを図る事に成功した。
遥と咲良は、互いに互いの事を、自分が大きく変わるきっかけを与えてくれた恩人と思い、感謝していた。
HKT結成からその夜までの1年半以上の間、遥と咲良はプライベートでは、ほとんど話した事さえなかった。
しかし、この夜以降、二人の心の距離は急速に近づいていった。
咲良は遥を"戦友"と呼び、遥も咲良を"いつも自分を奮い立たせてくれる絶対に必要な存在"と称した。
そうして二人は、半年後のクラス替えの時には、チームが離れ離れになる事を惜しんで、肩を抱き合い涙するまでの仲になっていた。
「・・・シックスマン?
そうか。はるっぴは、バスケをやっていたんだったな。」
指原は、「センターの"控え"の切り札という意味のようです。」と説明しようとしていた。
しかし、さすがに秋元は言葉のプロである。
"シックスマン"と聞いただけで、その意とする所を理解した。
「なるほど、シックスマンを一度もコートに立たせることなく、試合を終えさせる訳には行かんな。」
その一言であっけないほど簡単に、遥のセンター復帰は了承された。
ただ、「咲良は良いのか?」と、秋元は付け加えて来た。
遥のみセンター復帰というご褒美を与え、咲良のフォローはしなくて大丈夫なのかと、秋元は問うているのだ。
この問いに指原は、自信を持って答えた。
「咲良は、次の総選挙で間違いなく選抜に上がって来ます。それでバランスは取れます。」
握手会で、コンサートで、指原はそう言いきれるだけの手応えを咲良に感じていた。
「それに、咲良も"UZA"の時とは違います。」
AKB48 28thシングル「UZA」は、AKB48の絶対的センター前田敦子が卒業して最初の秋シングルだ。
その選抜メンバーは、AKB48第二章のスターティングメンバーと呼んでも良い。
咲良もその一人に抜擢されていた。
まだ、あどけなさの残る14歳の時だった。
しかし、HKT48としてCDデビューすらしていないこの時期。
いきなり物凄い数の観客や、テレビカメラの前に立つことになった咲良は、大いに戸惑った。
しかも、自分以外のメンバーは皆、テレビで見ていた超選抜の人達だ。
毎日が緊張の連続で、ポジション的にも、身体的にも、咲良は文字通り後ろの方で小さくなっているしかなかった。
それが理由なのかは、わからない。
それ以降、咲良がAKBの16人選抜に呼ばれた事は1度もなかった。
「きっとそのまま、AKB選抜に固定したくなりますよ。」
指原のその答えに、秋元はやや不満気に鼻を鳴らした。
「ふんっ、残念だな。今の台詞は、尾崎ならもう一捻りあったはずだ。」
(尾崎さんなら、もう一捻り?どういう意味だろう?)
秋元の漏らした言葉の真意を、その時の指原は理解出来なかった。
***
『あれが辛かったな、HKTが。・・・決まんなかったな。』
秋元と指原のラジオトークは、HKT48の4thシングルの話になっていた。
シックスマン = "控え"の切り札
(きっと先生は、あの話を思い出して、はるっぴのセンター曲を書き直したんだ。)
初めて、HKT-4thのタイトルを聞いた時、指原はそう思った。
「控えめ I Love You」それが、遥のセンター曲のタイトルだった。
実を言えばHKT-4thは、まったく別の楽曲で、話が進んでいた。
それを秋元は、なんとMV撮影の前日になって、すべてご破算にしてこの曲に差し替えて来た。
当然、現場は大混乱だ。
『ホントギリでした。当日か前日くらい。』
困ったような笑い声を上げながら、
(でも結果、HKT-4thが「控えめ I Love You」で良かった。)
そう指原は、思っていた。
***
「まったく急に曲が変更になるは、尾崎さんを通して秋元先生からフォーメーションに細かい注文入るは、ホント大変だったわよ~。」
UTAGEの収録の合間に指原は、「控えめ I Love You」の振り付けをしてくれたKABAちゃんに、そう声を掛けられた。
「もっとも、ちゃんと期待に応えちゃう私が、やっぱプロよね~って、話なんだけれどね~。」
KABAちゃんは怒っている風でもなかったが、指原はひたすらに詫びるしかなかった。
そう、KABAちゃんが口にしたフォーメーション。
初めて振り入れした時は、さすがの指原も絶句してしまった。
何しろ歌い出しで、いきなり自分がセンターに立つように指示されたのである。
折角の遥のセンター復帰に水を差すようで、喉がからからと渇く思いだった。
それは、ローテーションでセンターに立たされた咲良も同様だった。
本当に自分がそこに立っていいのか、遥の顔色を窺うようにきょどきょどとしていた。
しかし、その振り付けの真意をいち早く理解したのは、他ならぬ遥だった。
「ふたりとも変な気を遣わないで。これは間違いなく私のセンター曲に相応しい振り付けやけん!」
遥の説明は、明快だった。
「イントロのセンターは、私。
これは、デビュー前。
さっしーが来る前の、まだ1期生だけでひたすら公演に励んでいた時代のHKTの姿。
Aメロ。
歌いだしのセンターは、さっしー。
そう、さっしーが来て、本当の意味で今のHKT48がスタートしたの。
BメロからCメロ。
芽瑠、奈子、美久、美桜・・・。二列目、三列目が、ぐるぐると前に出て来る。
そこ(センター)は、私の指定席ではなかった。
私にとって、葛藤の季節。
どこにいても、輝ける光。
私だけの光を探す日々・・・。
つまり、このフォーメーションは、HKTでの私の足跡なんだっちゃ。
そして、サビ。
さっしーからさくちゃん、そして私と続くトリプルローテーション。
メンバーの中で、最初から、実力、知名度ともに、圧倒的に抜きん出ていたさっしー。
今や、総選挙で選抜に選ばれるくらいの人気者になったさくちゃん。
ここは私に対して、センターとしてこの二人に負けない位に輝けーってメッセージなのかなぁと思うんだけど・・・。
でも、私は今、中々そういう気分になれないんですよね~。
さっしーと、さくちゃんと、私。
この3人で、こうしてHKTの中心にいれるって、本当に私の理想のHKTの姿だし、
BメロからCメロで、どんどん皆が出て来る所、今のHKTの勢いそのまんまって感じやけん!!
私は、エンディングでセンターに立った時に、
どうっ?これが、私のグループ。
私のHKT48よ!!
って、思いっ切り胸を張りたい気持ちの方が、ずっと大きいっちゃ!
みんな、可愛いでしょっ、キラキラでしょって・・・。
だから、さっしーも、さくちゃんも。
変な気、回さないでっ。
思いっ切りパフォーマンスしてっ!!」
指原は、遥の成長に感動していた。
(はるっぴをセンターに復帰させた事は、間違っていなかった。)
そう思った。
一方、咲良も心に響くものがあったのだろう。
大粒の涙を惜しむことなく、ぼろぼろとこぼしていた。
「さくちゃん、泣かないで。」
遥が、咲良に歩み寄りその頭を撫でながら言う。
咲良は自身に気合を入れるかのように、自分の顔を両手でぴしゃりと叩いた。
その拍子で、咲良の涙は止まった。
「わかった。はるっぴは、今日でシックスマン卒業だよね。
これからは、私がはるっぴのシックスマンのつもりで、支えるからね!
もちろん、ローテーションでセンターに回って来た時は、堂々と立たせて貰う。
それが、はるっぴの、センターのシックスマンの務めだものね。」
咲良から贈られたそのエールに、遥の瞳にも涙がにじむ。
遥は頬を伝う涙を手で拭いながら、「ありがとう、さくちゃん。」と呟いた。
泣く者となだめる者が逆転し、今度は咲良が遥の頭を撫でながら、
「はるっぴこそ、泣いてる場合じゃないでしょ。」
と諭す。
指原は、この二人のやり取りを微笑まし気に見ていたつもりだった。
しかし、いつの間にか、その涙腺は崩壊していた。
気が付くと指原の顔は、三人の中で誰よりも涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
***
『えー、ラジオネーム○○さんから。宮脇咲良をセンターにした理由を教えて下さい!』
指原はリスナーからのメールに託けて、秋元に自身の疑問をぶつけてみようと目論んでいた。
咲良が、"希望的リフレイン"でセンターに抜擢された経緯。
そこには、尾崎が一役買っているものと、指原は確信していた。
AKB-38th選抜メンバー発表時に、咲良の名がWセンターの一人として呼ばれた瞬間。
指原は、いつかの秋元の言葉を思い出した。
「ふんっ、残念だな。今の台詞は、尾崎ならもう一捻りあったはずだ。」
(あれは、尾崎さんならば、選抜固定などに止めずに、その先のセンターにまで一気に推し込んで来る!!
そういう意味だったんじゃないだろうか?)
『会議をやるんです。各劇場支配人は自分の所のメンバーを入れたい訳じゃないですか・・・』
秋元の言葉を聞きながら、指原はブースの外にいる尾崎の顔色を窺い見ていた。
『・・・として宮脇の清純さとか、・・・透明感を入れようと・・・』
秋元の説明は、指原が"あの時の正解"を求めている事を察しながら、わざと、はぐらかしているようでもあった。
『それって、ちなみに誰の推薦?』
痺れを切らした指原は、直球を投げ掛けた。
『そりゃぁもうみんな。多かったよ。宮脇が良いんじゃないですかって・・・。』
秋元はそう答えながら、大きく拍手をするような仕草をして、尾崎の方を見て笑った。
***
みんなが、咲良を推していた。
指原は同じ言葉を、以前に尾崎の口からも聞いていた。
希望的リフレインの選抜メンバーが発表されて数日過ぎた日の事だった。
その日の昼食に、指原と尾崎は、咲良をしゃぶしゃぶ屋に連れ出した。
AKBのセンターに抜擢された咲良を勇気付けようという主旨からだ。
そこで、尾崎は咲良を励ますようにこう話した。
「ここだけの話、今回の選抜会議はもめにもめた。
32人全員の顔ぶれなんて、じゃんけん大会当日の朝にやっと決まったくらいだ。
けれどな、宮脇のセンターの件については、最初からすんなり決まっていたんだぞ。
それこそ、うちの4thシングルのMV撮影の数日前には、もう決まってたんだ。
みんな、宮脇を認めていたからね。
だから、何が言いたいかって言うとだ。
自信を持って、センターに立てば良いって事だ。」
牛肉を湯に泳がせながら、指原が尾崎の言葉を引き継ぐ。
「そうそう。堂々としてれば良いの。
正直、私も悩んだりした事あったけどね~。
でも結局。そんな時間、ぜーんぶ無駄だった。
まぁね、アンチっていうかネットとかで叩く人は増えるだろうけれど・・・。
それだって、気にしなきゃ良いだけだしね!」
「まったくだ。まぁ、一番スルーが苦手な誰かさんが言っても、説得力ないんだけどな。」
尾崎の皮肉を聞こえない振りして、指原は程よく煮えた肉を器のたれにくぐらせる。
しかし、いざ食べようとしたその時。
咲良の視線が、真っ直ぐ自分に向かっている事に気付き箸を止めた。
「なっ、何っ?」
咲良は、大きな瞳で指原を見つめながら、問い掛けた。
「叩かれますかね、たくさん・・・。」
この子ったら、そんな事が気掛かりだったのかと思いつつ、指原は繰り返した。
「そりゃあ、まぁね・・・。
でも、今も言ったようにそんなの気にしなければ良いだけだから。」
「いえ、"たくさん"ならば、叩かれても良いんです。むしろ、叩いて欲しいくらいです。」
咲良の目は、冗談を言っているようには見えない。
本気でそう思ってるんだと、指原は思った。
「どういう事?」
指原の疑問に、咲良は淀みなく答えた。
「だって、そういう人達ってAKBグループが大好きな人達でしょ。
AKBに何の興味もなかったら、わざわざ誰かを叩いたりしないじゃないですか。
誰かを叩くっていう事は、きっとそれ以上に大好きな推しメンがいるはずなんです。
だから、もし私がそういう人達の目に障って、
こんな子より自分の推しメンの方が全然良いんだって、
それをみんなに分かって貰うために、もっともっとその子を応援しようって、
そう思ってくれるなら、それならそれで良いんです。
もちろん、AKBにまったく興味のない人が、たまたまテレビを付けて、
あぁ、今AKBはこの子がセンターなんだ。
でも後ろにいる子の方が全然可愛いなって、
それがきっかけでそのメンバーのファンになってくれるなら、
それも良いと思います。
それで、入り口としての役割は果たせる訳ですから。
もちろん、私を応援してくれる人も、もっともっと増えて欲しいですが・・・。
でも、私が一番怖いのは、"無関心"です。
何の話題にもならない事なんです。」
真っ直ぐにその言葉を口にする咲良に、指原は確信した。
(咲良は、ちゃんとセンターに立つ覚悟を持っている。)
そうして、力強く咲良に太鼓判を押した。
「大丈夫、良くも悪くも咲良は、これからのAKBグループの話題の中心になる。間違いないっ!」
そして、冗談交じりに一言、
「私みたいにねっ!」
と付け足した。
その言葉を受けて、尾崎が呟く。
「話題になるのは良いが、出来れば指原とは違った方向でお願いしたいなぁ。」
尾崎は冗談のつもりだったが、咲良は真に受けて答えた。
「それは、大丈夫です。」
そして少し寂しげに、でもしっかりとした口調で続けた。
「多分、私がどんなに頑張って、さっしーのいる高みまで登ろうとしても、
私が登れるその山は、きっとさっしーのいる山とは、また別の山なんだと思います。」
咲良に他意はなかったが、咲良のこの言葉は、激しく指原を動揺させた。
ひたすらに自分の背中を追って来るメンバー達を、指原は可愛いと思っていた。
支配人として、先輩として、しっかり育ててあげようと誓っていた。
だが、その思いには、自身の驕りが潜んでいた!
咲良の言葉で、指原はその事に気付いてしまったのだ。
背中を追って来る子は怖くない。
その子たちの道標が自分の背中である以上、抜かれる事はないからだ。
しかし、自分で道を拓き、登ってくる子は別だ。
上から見守っていたつもりが、気付いたら見上げていたなんて事もないとは言い切れない。
「咲良が、ライバルだよ。」
そう伝える日が、本当に来るのかも知れない。
指原の持っていた箸の先が、微かに震えた。
やはり、自分は支配人である前に、現役のアイドルだ。
そう簡単に、届かれてたまるかと思った。
指原の困惑した気配を察してか、尾崎がわざとらしく囃してみせた。
「その通り!
宮脇に登って欲しい山は、由緒正しいアイドルの山だからな。
指原のいる山とは、訳が違う!!」
「ちょっと、尾崎さん、それどういう意味?」
そう言って指原は、尾崎に向かって下唇をつんとつきだし、冗談ぽくファイティングポーズをとった。
しかし、内心は尾崎の助け舟にほっとしている。
今抱いた思いは、まだ咲良に気取られたくはなかった。
「ごめんごめん、でもまぁ、そういう意味だよな、宮脇。」
尾崎は指原に謝りつつも、咲良に笑顔で目配せをする。
その尾崎の視線の流れを追うようにして指原は、今度は咲良を睨み迫った。
「ちょっと、咲良っ。そうなの?」
思わぬ流れ弾を食らった咲良は、一瞬その大きな眼を丸くして固まる。
しかしすぐに、小首を引っ込めて、指原から視線だけわざと逸らした。
そうして、思い出したかのように、肉の皿に箸をのばす。
「これ、ホント美味しいですね。」
そう言って咲良は、湯に肉を泳がせると、悪戯っ子のような笑顔でぺろっと舌を見せた。
***
「由依、折角来てくれたお礼に一つ面白い事を教えてやろう。
リフレインってどういう意味かわかるか?」
CMに入ると秋元は、横山由依にちょっかいを出した。
そうブースには、尾崎やAKB48劇場支配人の湯浅らとともに、横山の顔が増えていた。
番組前半のフリートークで、横山が出す写真集の話題で一頻り盛り上がった。
それで調子に乗った秋元と指原は、ラジオから横山に今から来るようにと呼び掛けた。
根がまじめな横山は、この放送を聴いていて、パジャマ姿のまま駆け付けたのだ。
「リフレイン?繰り返すとかと違いますのん? 」
横山は、ポケットからスマホを出し辞書検索を始めた。
パジャマのポケットからスマホ。
そのアンバランスさが、如何にも由依らしいと思いつつ、指原は横山の様子を窺っていた。
「へぇー、リフレインって名詞だと"繰り返し"やのに、動詞だと"繰り返す"やのうて"控える"って意味になるんやー。」
その横山の言葉に、「えっ?」と驚いて、指原は横山のスマホを覗き込む。
そこには、確かにこう書いてあった。
refrain
1. [動詞] (・・・)を控える
2. [名詞] (歌の終わりの)繰り返し句
それを見た瞬間、指原の中でパズルが組立つように、一つの推論が浮かんだ。
いや、推論などという冷静な思考ではない。
妄想だ。妄想が、駆け巡ったという方が正しい。
(HKTの4thシングル。
先生は、最初からはるっぴをセンターに据えるつもりでいたんだ。
ただし、単独ではない。咲良とのWセンターだ。
そして楽曲には、「希望的リフレイン」のあの曲を考えていた。
だからあの時、私に聴かせたんだ。
ところが、私からはるっぴを単独でセンターにしたいという具申があった。
それで、HKT-4thで、あの曲を使うのは取り止めにした。
おそらく、曲のイメージが、はるっぴより咲良に近かったんだろう。
そうこうしている内に、今度は咲良がAKB-38thのWセンターのひとりに選ばれた。
咲良がセンターならばという事で、あの曲「希望的リフレイン」を使う事に決めた。
そこで先生は、閃いたんだ。
偶然にも、リフレインのもうひとつの意味は"控える"だ。
それは、シックスマン = "控え"の切り札
と相俟って、このワードを使って、はるっぴのセンター曲を作り直そうと。
はるっぴのための、もうひとつのリフレイン。
咲良のリフレインが"希望"なら、はるっぴのリフレインは"愛"だ。
そうして、"控え"、"控える"は、"控えめ"と転じ、HKT-4th「控えめ I Love You」が完成した。
だから、HKT-4thは、あんなに急に楽曲差し替えになったんだ。
考えてみれば、「希望的リフレイン」の2番で、はるっぴはWセンターの一方に立っている。
そこは、はるっぴと咲良のWセンターが実現していれば、はるっぴが立っていたそのポジじゃないか。)
そう考えると指原は、咲良と遥のWセンターの「希望的リフレイン」を無性に試してみたくなった。
絶対に、どこかのセットリストに捻じ込もうと心に決めた。
(しかし、まぁ結果オーライだ。
もし、HKT-4thで咲良をWセンターに立させてしまっていたら、AKB-38thでの咲良センターは実現していなかったろう。
あっ!!
・・・違う!
尾崎さんっ!
尾崎さん、知ってたんだっ。
先生が、HKT-4thをはるっぴと咲良のWセンターにしようとしてた事。
知ってたんだっ!!
でも尾崎さんは、半年後の咲良ならAKBのセンターも狙えると読んだ。
だから、あえて私に、はるっぴの単独センターを具申させたんだ。
そして、間違いなく先生も、尾崎さんのその思惑に気付いて、あえて乗った。
スタッフの間に、尾崎さんがどのように咲良センターの空気を作って行くのか、お手並み拝見って事だ。
結局、すべては先生と尾崎さんのゲームみたいなもんだったんだ。
さっき、先生がした尾崎さんへの拍手の真似。
あれは、ゲームの勝者を讃える仕草・・・。
なんてこった!!
つまり私は、おやじたちのゲームのコマにされてたって事かぁ!)
「さしこっ、30秒前やでぇっ!!」
横山のその声で、指原は我に返った。
生放送の本番中に意識が何処かに飛んでしまっていた指原の顔を、横山は心配そうに覗き込む。
大丈夫。横山にそう言いながら顔を上げた指原の目に飛び込んで来たもの。
それは、横山と対照的に"にやけ面"して自分の顔色を窺う秋元の姿だった。
秋元は、してやったりと言わんばかりの満面の笑みを浮かべていた。
そして、手早くスマホのスクリーンをたたく。
程なく指原のスマホが、LINEの着信を知らせた。
誰から来たメッセージかは、見るまでもない。
そこには、
「どうだ?あっと、驚いたろっ!?」
と、書いてあった。
今朝のLINEはこの事だったのかと、指原は悟った。
(私の移籍話どころか、放送にさえ関係ないじゃないか。)
指原は、悪戯がうまくいった子供のようにはしゃぐ秋元の顔を見て、イラッとした。
そうして、心の中で吐き捨てた。
(ったく、私で遊ぶなっ!)
***
『ラジオネーム○○さん。結局HKT48指原莉乃さんは、AKB48に復帰するのでしょうか。』
秋元が、わざとらしくリスナーからの質問を読む。
『もう、ケータイ片手に聞かないでください!!』
指原は、切れ気味だ。
無理もない。
このダミー企画に、今日一日振り回されたのだ。
『俺も、今日はもう、それが心配で、心配で・・・。』
尾崎が、ずれたタイミングで相槌を打つ。
『笑ってるし・・・。』
あんたも、共犯だろうという眼差しで、指原は尾崎を睨む。
そこにまた、指原のスマホがLINEの着信を知らせた。
秋元からだ。
「次の質問は、真剣に正直に答えろ。」
そう書いてある。
指原は今、秋元に物凄く腹を立てている。
しかし、だからと言って、秋元への信頼が揺らぐ訳ではない。
指原にとって、秋元の指示は常に正しいのだ。
秋元は、指原の既読を確認して、静かに訪ねた。
『AKBに戻りたいなぁとかは、思わないか?』
この質問に答えるのは、簡単だった。
今日一日、この答えばかりずっと考えていたのだから。
『正直、AKBの方が得だなって思う事はあるけれど・・・。東京ドーム単独とか。』
指原は、伏し目がちにそこまで言うと、しっかりと顔を上げ秋元を見た。
『でも、そういう夢を叶える事も、これからHKTの皆と共有できたらいいなと思う。』
そう言い切る指原の瞳に、秋元は一塵の迷いも見出せなかった。
『わかった。じゃあもう、指原はHKTでお願いします。』
秋元は吐き捨てるようにそう告げると、尾崎の方を見ながら肩をすぼませた。
尾崎は、真顔で秋元に深々と頭を下げる。
指原の知らない所で、秋元と尾崎のもう一つのゲームが決着した。
***
指原は、思っていた。
アイドルが好きで、アイドルの側に居たくて、AKBに入った。
そうして今、自身もアイドルをやりながら、アイドルを育てている。
こんな、幸せな事が他にあろうかと。
自分が自分がと、周りも見えず空回りばかりしていた少女。
そんな少女は今、自らの輝きで、周りまでポカポカと暖める太陽のようなアイドルへと成長している。
あっちゃんが卒業した秋に初選抜され、後ろの方で踊っていた小さな小さな少女。
そんな少女が、ゆうこちゃんが卒業したこの秋、センターとして皆の先頭を走っている。
まるで蛹が蝶に羽化するが如く、少女たちがアイドルの煌めきを纏うその瞬間に立ち会えているのだ。
ふいに、芽瑠そして美桜の顔が浮かんだ。
遥のセンター復帰は、芽瑠と美桜のセンター降板を意味していた。
4thシングルの選抜発表の夜、ホテルのベランダから二人して、遠くに咲く花火の煌めきを眺めていたという芽瑠と美桜・・・。
でも・・・。
でも、この二人も大丈夫だと、指原は信じる事が出来た。
(だって、はるっぴと咲良の苦悩と成長を、一番近くで見て来たのが、他ならぬ芽瑠と美桜じゃないか。
この二人に限らない。
やがて、次に続く者たちは、今度は芽瑠と美桜を見て学ぶ。
HKT48には、いつだって、手本は目の前にあるんだ。 )
2時間の生放送も、間もなくエンディングだった。
指原は、静かな、しかし自信に満ちた、口調で、この番組を締め括った。
『こういう事言うのあれですけれど、咲良とか、はるっぴとか、芽瑠とか、美桜とか・・・。
まだまだ一杯、なつまどとか、みんながいて。
AKBの選抜と互角に戦うっ!!
・・・まででは、まだないかも知れないけれど、
でも、同じくらいの気持ちで観られる。
その位のレベルにまで、近づいて来ている!
だから・・・。
だから、それが私の自慢です。』