自分たちが高校3年生になって

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自分たちが高校3年生になって

高校での野球生活がもう少しで・・・

俺は俺もかなり完治して普通に野球の練習ができて日常生活も何の支障もなくできるようにまで回復していた

俺の高校の野球人生もあと少しで・・・

俺達も甲子園を目指して春夏と全力で戦ってきた。

選抜の甲子園も夢で終わったけど、 地区大会には出場し 地区大会の3位までには入ったが、
思うような結果を残せなかった。

俺個人的には 新聞にも扱っていただいたり ヒットとホームランは打てたが、 チームとしては結果を残すことはできなかった、

この時のことを振り返れば、自分の分岐点だったんかなと思う。

この時に 放ったヒットでホームランを見た大学関係者の目に留まり、関西の方の大学から声がかかったが、

俺はその返事は 夏の甲子園が終わってからさせていただけませんかと丁重にお断りしました 。

その後夏の甲子園の地方大会が始まり

またもや・・・・・・

地方予選の決勝で敗れた。。。

俺たちの高校野球も終わったな~。

去年と同じかともの すごく悔しい思いをした。

でも俺自身はやれることは全て出し切ったと自分で自分を褒めた。「心のなかで・・・ 」

こういう形で高校生活を振り返るためにこのブログを書いています

超簡単に書き綴ってますが

紆余曲折、本当に高校三年間でいろんなことがあり

出会いがあり別れがあり

野球を通していろんなことに触れることができました。

野球部の監督

野球部の部長

学校の教員ですが、本当に良くしていただきました。

野球部のチームメイトとも喧嘩することもなく言い争うこともなく

みんなが 切磋琢磨し、時にはライバルになり、本当にいい仲間ができ高校での野球生活はすべてが 大人になるための一歩でした。

チームメイトの数人も野球をしに関東の方の大学に進み。

俺は大学から関西の大学及び四国の大学の方々に推薦をいただきました。

悩んだ結果、関西の方の大学に進むことにしました。

本当は自分の中では  関東六大学に行き野球をしたかったって言うのは本音ですが、
 

関東の大学からは推薦は来なかった。
 

ケガからの復帰・・・

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ケガからの復帰・・・

 

 

近くの病院に救急車で運ばれ、左腕を診察レントゲンを撮ってもらったら、見事に粉砕骨折していた。

病院の先生が緊急手術が必要だぞ言われた。

その後自宅から病院が遠かったので、近くの総合病院で手術することに決まった。

整形外科の先生に、もしかしたら野球はもうできないかもしれないよと伝えられた時

俺がものすごいショックだった・涙が出るぐらい悔しかった。

この時のことは一生忘れることはできないと思う。

野球ができない悔しさと、悲しみ、 そして野球部のメンバーに対しての約束

甲子園に行くと約束したチームメイトにものすごく申し訳なかった。。。

入院して3日後に手術の日が決まった。

俺の中ではものすごい複雑な気持ちだった、野球を諦めることはできない

でも 病院の主治医の先生は野球は90%できないと言われた。

俺は諦めなかった。

必ず2ヶ月以内に野球に復帰してやると思った。

俺の親父が諦めたらそこで終わり 可能性はゼロでない、今やれることをやるだけだよ

と言われて、1日も早く キャッチボールができるようになろうと思った。

その後

手術は4時間もかかった。。。

俺は全身麻酔で寝てたから、目をつぶって目を開けたら手術は終わってた。

麻酔が覚めて、俺は強くはないんだがもうすごく痛がってたと母親が入っていた。

この時に高校の時の同級生野球部のチームメイト俺にまつわる全ての人の温かさに触れることができた、ものすごく人って優しいなと実感した。

ケガをした経験は痛くて苦しかったけど・・・

人の温かい気持ちが身にしみて分かることができた。 

ほぼ2ヶ月の入院後 退院して、地獄のようなリハビリが始まった。

学校に行きつつ 全く野球はできない、授業が終わったら、学校から一時間半かけて、病院にリハビリほぼ毎日・・・・

親父に病院の送り迎えをしてもらってた・・この時の事を思えば、親父にかなり迷惑かけてたと思う

でも、リハビリは真剣にしていた。

1日も早い野球がしたかったので、病院の主治医の先生もびっくりするぐらいの回復力を見せた。

リハビリに行き 整骨院に行き・高濃度酸素カプセルに入り、これを一週間に2回整骨院に通い、リハビリを毎日・・・肩には針治療もしてもらった。

俺は見事に 手術から3ヶ月で野球に復帰することができた、でも野球の練習は前のようにはできなかった。

これもう完全に曲がるわけでもなく、前と同じでは全然なかった。

俺の先輩の最後の大会があったので、 俺は試合には出れないが、 なんとかベンチ入りして先輩を応援したかった。

心の中ではベンチにも入れないと思ってた、腕のギブスは取れてたわサポーターを巻いてたので、まだまだ野球のできる状態ではなかった。

でも先輩の最後の甲子園の地方予選の大会だったので
一緒に野球がしたかった、その思いが通じたのか、
先輩たちが野球部の監督に直談判してくれて、腕にサポーターを巻きながらベンチに入ることができた、本当に嬉しかった、

結果は地方予選の決勝で敗れてしまった、勝っていた試合を9回の土壇場でひっくり返されて負けてしまった。

先輩たちの高校での野球生活はこの日に終わった。 

みんなが涙を流して泣いていた、ベンチからグランドに出て観客席見たら、同級生・後輩

みんなが泣いていた、俺も泣いてたけどね。

この時に早く・1日も早く腕を直して野球ができるようにならなければいけないと強く思った。 
 

高校進学で悩んだ。。。

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高校進学で悩んだ。。。

ずば抜けて野球が上手かったわけでもなく、このまま地元の高校に進学して野球をしても いいものか 悪いものか自分ではわからなかった。

県外に出て有名校に行く選択肢もあったが、親に負担をかけたくなかったし

小学校の時から野球を一緒にしている同級生と話し合って 俺たちの力で地元の高校で一緒に甲子園に行かないかっていう約束をした。

中学校の時に野球部を辞めてリトルリーグに参加した友達は
県外の甲子園常連校に行くことになった・

それを聞いた時に、ものすごく俺は送れを感じた、でも俺は地元の高校で甲子園に出場してプロへの道を切り開いてやるという気持ちでいっぱいだった。


 高校での野球生活はまさに波乱の3年間だった


俺は高校に入ってすぐ一年でレギュラーになった。

ファーストで四番を打たせてくれた・・・

最初だから使うだけ使ってやろうという気で監督が作ってくれたんだと思うが

俺はその期待に応えた

一年で試合に出場して4番で、すぐにホームランを打った。

その時は一年生で 体もまだ小さかった 2年生 3年生の先輩を見たら、ものすごく大人に見えた。

最初はその先輩もなんで こんな奴が4番で、すぐにレギュラーで と思ったと思う

でも俺は自分の実力を出して最初からホームランヒットを量産した。

俺には確信があった 毎日毎日中学校の時に 親父に夜遅くまでバッティングセンターに連れて行ってもらったり

足腰を強くするために 親父の車にロープをつけて 毎日・毎日・夜遅くなるまで3 キロ 車を引っ張っていた・・・努力は人の三倍していた。

自分にも言い聞かせてた、絶対に負けたくない、自分自身に絶対負けたくないと思う・毎日・毎日 思ってた。

そんな姿を、親父が見て、お前はすごい 父さんがお前の歳の時に、そんなことはできなかった。そうも思わなかったと言ってくれて毎日励ましてくれた。

 
この頃は 小学校の時の野球部監督の家に行って バッティングの指導と 守備の練習を一週間に1回はしてもらってた。

そんな中2年生3年生の先輩は俺のことを認めてくれた・・・

お前はすごい四番を打てるだけの実力を持っているとみんなの前で言ってくれた

すごく嬉しかった記憶もあるが 責任をものすごく感じた・この重圧に、押し殺されないようにと強く心に秘めた瞬間だった。。。

そんな時 悲劇は怒ってしまった・・・

練習試合中にファーストを守っていた俺に  ランナーと衝突し
俺は左腕を粉砕骨折してしまった。

まさにぶつかった瞬間

相手のバッターがサードゴロを打った

味方のサードからファーストに送球その送球がそれ

俺が腕を伸ばしランナーが走ってくるほうに腕を出してしまった

その瞬間ランナーと衝突

左腕が折れ曲がる音がボキと聞こえた

腕がありえないほど背中にくっつくぐらい曲がってしまい

痛くて俺は立てなくなった

肩から腕に感覚がなく

俺はこの時に俺の腕どうなってるんだと思った

監督が走って寄ってきて

救急車呼んでくれ・救急と叫んでた

その後救急車で病院に搬送された俺は

左の肩から 肘にかけて腕の骨が2本とも粉砕骨折していた 。

 

ますます野球にのめり込む日々が続いた。。。

俺は、その後小学校4年生5年生6年生となり

野球が嫌いになるどころか ますます好きになっていった。

小学校5年生でなんとかレギュラーではないが試合には「ちょくちょく」出してもらえるようになった~

守備はキャッチャーで出してもらった時は バッティングの方では結果は残していたと思う 。

小学校での野球生活で一番心に残った出来事は全国大会に 出場できたことだった。

ものすごく嬉しかった、俺たちのチームは当初の予想を裏切りかなり強くなっていた。

日本マクドナルド主催の全国的な大会だった。

その大会で かなりのいいところまで勝ち進んで行けた、優勝は出来なかったけどね

ここで初めて小学校のレベルだが全国レベルの壁を感じた。

小学校の時に出会った野球部の監督
野球を応援してくれる大人のみんな、本当に俺は感謝という気持ちしかなかった

特に両親には言葉では言い表せないぐらい感謝している

この小学校の時に自分が一番思った事は、漠然な夢として将来野球で生活ができたらいいなと思ったことが一番の目標だった。

その後 市立の中学校に進み 小学校で一緒に野球をしていた同級生たちはそれぞれの中学校に進学をして行った。

俺と その他二人は同じ学校に進み

その私立の中学校で野球をすることになった・・・

中学校での野球生活は少し変わっていた・俺たちの地域はいろんな地域の小学校から中学校に集まってくるので、野球経験者もかなりいた。

最初はみんながライバルだった、

 俺たちは少しは有名だった

なぜなら全国大会に出たり 地元の大会で優勝していたので名前は知られていた。

それは中学校では関係なかった、中学校では学校の先生が野球部の監督だから

野球の指導の仕方がすごく違和感を感じた。

その学校の先生は野球部の指導を20年もしていたらしいが・・・・・

俺たちが小学生の時に指導していただいてた監督は、 
指導方法は、ものすごくユニークで 俺たちにもわかりやすい指導してくれたので
中学校の野球部の監督の指導の仕方にはものすごく違和感疑問を持つしかなかった。

この時の野球部の監督は喜怒哀楽を全面的に出し、とてもでないけど野球の指導者とは思えなかった。 

そんな中一緒に野球部に入部にした友達が、1年生の1学期の時だった

俺野球辞めるって言い出して

何で止めるのと聞いたら

この中学校の野球部の監督にはついていけないとはっきり言った
その友達は自分の主張は絶対に曲げなかった。

なぜならこの頃から将来プロ野球の選手になると心に決めていたみたいだ。

だからこのような指導にはついていけないと あっさり野球をやめてしまった。

その友達はそれをきっかけにリトルリーグ 入部した。

俺たちはものすごく不安を抱えた・・・このままこの学校の先生がする野球部の監督のもとで野球をしてもいいものだろうかとものすごく悩んだ

クラブ活動の一環で野球を楽しんでするには問題はないと思うのだが

俺も将来プロ野球の選手になるという夢を持っていたから

でも俺にはそんな選択肢はなかった。

ここで自分の置かれた立場を考えて自分のできる野球を真剣にするしかなかった。

中学校での野球生活は指導者との出会いが全てだった

そこそこ強いチームではあったが、ずば抜けて強いチームではなかったし

中学校の野球の監督の指導方法はまったくもってデタラメだった・本当に人との出会い指導者との出会いは自分の未来を変えることに中学校の時に気づいた3年間だった。
 

野球をすることを両親に伝えたが父親が猛反対だった、サッカーも中途半端で野球をしても絶対にいいことないと父親は野球することにもう反対した。

親に反対されようが俺の気持ちは野球を始めることを決心してたので何を言われても揺るがなかった。

父親を納得させる理由を見つけなければいけないと思い

まだ小学校3年生だったが、いろんなことを考えた。

鮮明に覚えてるこの時の出来事は ・・・

ややこしく説明するんでなく、父親には素直に僕にはサッカーは向いてないと思うのでやめたいと伝えた、父親は野球だったら向いてるのかと言われたので、練習に参加させてもらってサッカーでは味わえない楽しみを一瞬で覚えてしまったと親に伝えた。

そうしたら父親はニコリと笑い

じゃあ仕方ないな お前がそこまで言うなら

野球はしてもいいけど野球の次はもうないと言われた。

父親は「めちゃくちゃ」厳しい父親だけど、俺のことはすごい理解してくれる。

普段からスポーツは楽しくなかったら上達しないし面白くもないからと口癖のように言っていた。

本当に この時は野球ができると 嬉しくてたまらなかったことは覚えている。

次の日に野球部に入部届を出して 本格的に野球をすることになった

 

野球部に入部届を出して早速練習

キャッチボールもままならない

野球のルールなんてもってのほか

何をどうしたらいいのかもわからず

野球部の友達にただひたすら 教えてもらうことしかなかった。

でも意外と楽しかった。。。

練習するのに練習着 スパイク グローブも何を持ってなかった。

あの頃の記憶は、無我夢中 練習の段取りとかを覚えるのが最優先だった・・・

野球部の先輩もみんないい人だったし

本当に一から野球部の先輩 友達は丁寧に教えてくれた。

毎日毎日が本当に楽しかった・この時に思った、父親が言ってたスポーツは楽しんでしなければ上手にならないって言った事を 本当にわかった気がした。

まず俺がしたことは毎日の野球の練習はもちろんだが

同級生の野球部の友達よりもかなり遅れているので毎日練習が終わったら
自宅で野球のルールを覚えた、

その覚えた方法は 
マンガおもしろ野球ルールブック

 

俺は何も言ってないのに、この本を父親が降る本屋で見つけて買ってきてくれた。

父親はルールも知らなかったら野球もできないだろうっていうことで・・・

本当に嬉しかった。


この野球ルールブックを毎日携帯して学校にまで持ち込み休み時間に読み返していた。

この本自体は非常に古い本だけど

本当にルールを覚えるのには役に立った~

細かいことは野球の練習しながら先輩とか友達にしっかり教えてもらったので
ルール自体はすぐに覚えることができた。

後は野球をしながらルールを覚えていく 

そんな感じで野球を進めていった。

キャッチボール
バッティング
連携プレー いろんなこと練習して

毎日毎日がものすごく充実していた小学校3年生の思い出 

レギュラーになることはなかなか難しかったけどね。。。