東京と熊本を行き来する日々が始まりました。
自然が美しい熊本、人智の最高傑作のような東京。
崩れゆく町並み、きらびやかな街並み。
複雑な気持ちでした。
何かを気付かないといけないのだろうと思いながらも、ゆっくり考える暇もなく、ただただ慌ただしい日々が流れていきました。
お母さんは、沢山の野菜を詰め込んだキャリーバッグをいつも東京の滞在先へ持ち込み、僕の身体を考えて、おいしい料理を作り続けてくれました。
寒い日は暖まる料理、暑い日は涼しくなる料理、落ち込んでいるときには元気が出る料理。
どんなに疲れたときでも、お母さんの作ったごはんを食べると、心から生き返りました。
東京と熊本を往復する日々の中で、毎回僕がどうしても笑いをこらえきれなかったことがあります。
それは、空港で荷物を預けるときのことです。
係の方に、割れ物や貴重品が入っているかどうか尋ねられ、
「はい!!」
若干食い気味に答えるお母さん。
係の方は、余程高価な物が入っているのだろうと思ったことでしょう。
でも僕は知っているんです。
家を出発する前、台所で大事そうに大事そうに、「大根」を詰めるお母さんの姿を。
「出来る限り気を付けますが、保障はできません。宜しいでしょうか?」
この問いに対してはお母さん、
「……はい。」
とても不服そうな顔をして答えていました。
こんなやり取りが、空港に行く度に続きました。
大切な大切な割れ物は、「大根」のときもあれば、「かぼちゃ」のときもありました。
空港の方には相当怪しまれただろうなぁ。
母は心配そうにキャリーバッグを見つめるし、息子はケラケラ笑ってるし。
大田黒さんが毎週届けてくれる愛情たっぷりの野菜は、お母さんにとって、どんな高価な宝石よりも大切なものだったと思います。
「食べたものがその人の身体になるんだよ。」
そう言って、毎日丁寧に料理を作ってくれるお母さんには感謝の気持ちで一杯でしたが、ひとつだけ問題がありました。
とにかく方向音痴……。
移動するときは、全然頼りになりません。
慣れない東京で電車を乗り継ぎ、あちこちのレッスン場へ向かうのは、かなり大変でした。
少しでも早く着いて練習を始めたい僕は、常に急ぎ足で歩いていたのですが、後ろを振り向くとお母さんが居なくなっている、ということがよくありました。
人混みの中から迷子になったお母さんを探し出し、
「頼むからちゃんと着いてきて‼」
そうお願いしても、ばつの悪そうな顔をして、
「人生長いんだからさぁ、そんなに急いでいると大切なものを見失うよ~」
いつも同じ言い訳をするのでした。
東京でのレッスンは、いつも一流の先生方に教えて頂き、嬉しくて嬉しくて夢のような日々でした。
どんなに小さなことでも無駄にしたくなかった僕は、先生が指導してくださることを全て記憶しようとしていたのですが、それにはとても集中力が必要で、レッスンが終わると身体だけではなく、頭もクタクタになっていました。
そして忘れないうちにと、帰りの電車中ですぐにノートへ書き留めることも、必ずしていました。
そのノートはどんどん溜まっていき、それらは今、僕の大切な宝物のひとつになっています。
指導されたように踊るには筋力も必要で、毎日筋トレを続けていると、徐々にお腹の肉が割れていき、腰回りや脚がどんどん大きくなっていきました。
何だか男らしくなったようで喜んでいる僕に、
「上半身はガリなのに何かおかしいよ」
とお母さんは大笑いしていましたが、筋肉痛にならないよう、毎晩時間をかけて僕の脚をマッサージしてくれたので、僕はいつも気持ち良く眠る事が出来ました。
こうしてあっという間に3次オーデションとなり、合格できた僕は、最終オーデションに向けてさらに高度なレッスンが始まりました。
他のメンバー達とは、お互い苦手な部分を教えあったり、時には悩みを言い合ったり、ライバルではありましたが、大切な大切な仲間となっていきました。
そして、一夏を越した12月、いよいよ最後のオーデションが始まったのです。
これまでのオーディションよりももっと高まる緊張感。
その中でもやっぱり、思いきり歌ったり踊ったりできることは楽しかった。
結果発表のとき。
1人ずつ個室に呼ばれて合否を伝えられます。
呼ばれた人はそのまま帰宅です。
順番が最後だった僕は、今までの人生の中で一番ドキドキしたと言っても過言ではないくらい緊張しました。
「未来和樹さん、どうぞ。」
誰も居なくなった待機室の中を、しばらく見つめてから個室に向かいました。
そして。
僕はとうとう4人の中の1人に選ばれたのです。
熊本のみんなの顔が浮かびました。
9ヶ月間、辛いことや大変なことも多かったけど、熊本のみんなは、僕とは比べ物にならないくらい大変な思いをしながら、僕を応援し続けてくれました。
みんなが居てくれたからこそ、僕はここまで乗り越えてくることができたんです。
さっきまでの緊張を一気にほぐしたり、みんなの顔を思い浮かべたりと、心や頭が大忙しの中、後ろを振り向くと、1度も僕の前で泣いたことの無いお母さんが、顔をぐちゃぐちゃにして大泣きしていました。
翌日、僕たちはあの憧れのTシャツを着ながらの記者会見でした。
会見は生配信され、熊本のみなさんにも見てもらうことができました。
みなさんは、僕が登場したとたんに号泣されたそうですが、インタビューで僕が暴露したお母さんの話に、
「お母ちゃん、またやらかしてるよ~」
と大笑いされたそうです。
数日後、熊本に帰った僕は真っ先に、みなさんのところへ今までのお礼を言いに行ったのですが、また逆に、お礼を言われました。
「今年は大変な年だったけど、1年の最後に嬉しいニュースが聞けて、これで気持ちよく年が越せるよ。和樹くんありがとう。」
この言葉が聞きたかったから、僕はこの一年間頑張ってこれたんです。
この言葉を聞けて良かった。本当に良かった。
今までは、熊本のみなさんのために頑張ってきたけど、これからは、観に来てくれるお客様みんなのために頑張って、今度は、今のこの気持ちを少しでも沢山の人に届けていかないと。
そう強く心に誓って、僕の2016年は幕を閉じました。
(続く)