僕の東京物語 第一章 | 未来和樹のブログ

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僕は熊本の地で、沢山の方々に助けられ、支えられて生きてきました。

温かい地元のみなさん。
僕が東京へオーデションを受けに行く時、
「がんばれ〜!!」
そう言って、とびっきりの笑顔で送り出してくれました

東京でのオーデションは、タップやアクロ、本格的なバレエなど。
経験の無かった僕にとって、それは厳しく大変でしたが、思いっきり歌ったり踊ったりできることはとても楽しく、夢のような時が流れました。


そんな中、大地震が熊本を襲ったのです。


震度7・・・・・・。


まさか。


「頭が真っ白になる」という感覚を、生まれて初めて覚えました。

ガタガタと震えながらみんなに連絡をしますが、電話は不通。

ほんの数日前、僕を送り出してくれたみんなの笑顔が思い浮かびました。

みんな・・・。


しばらく経って、
「怖いよ……。」
ぐちゃぐちゃになった熊本の写真と共に、友達から次々とLINEが送られてきます。

テレビでは連日特番が組まれ、日々壊れて行く熊本の姿を泣きながら見ていました。

通っていた中学校の校庭に、

「のみ水ください」

そう
大きく書かれた文字がテレビの画面に写し出された時は、もう、胸が張り裂けそうになりました。

そして、みんなは今、僕が計り知れない程大変な思いをしているのに、自分だけ安全な東京で歌ったり踊ったりしている事が苦しくなりました。

何もできない自分がもどかしい。


そんな時でした。

大好きな仲間たちから、
「和樹の歌が聴きたい」
と連絡がありました。
「ブルースカイが聴きたい!」

みんなお気に入りのオリジナルソング、『この青空と』。

すぐに録音をして送りました。

「ありがとう。元気が出た!」
心に絡みついていた糸が少しほどけたような、ほっとしたような、何とも言い難い気持ちになりました。


そうだ!

今の僕に出来ること。

みんなに歌を送ろう。

歌ってみんなに少しでも元気になってもらおう。

『僕が一番欲しか
ったもの』を歌って、熊本のみなさんへ送りました。

“僕のあげたもので 沢山の人たちが幸せそうに笑っていて
それを見たときの気持ちが 僕の探していたものだと分かった

いつも、自分の事よりも誰かの幸せを願って生きているみなさん。
そんなみなさんがいてくれるだけで嬉しい。
色んなものを無くしたかもしれないけど、僕を含め、ずっと想っている人達が沢山いるんだよ。
どんな大地震が起きても、それは決して無くならないんだよ。
いてくれてありがとう。
本当にありがとう。
そんな思いを込めて贈りました。

その歌を聴いてくれたみなさんは、
「いろんなものを無くして、今は和樹くんの合格だけを楽しみに待っているからね。みんな命はあるから、
心配しないで思いっきりオーデションを頑張って。」
……逆に僕を励ましてくれたのです。

みなさんの、
「楽しみに待っている」。
この言葉は、この日からオーデションが終わるまで、ずっと僕の心の支えになりました。
こうして僕は、熊本のみなさんへ少しでも明るいニュースを届けたい、そう気持ちを切り替える事ができたのです。 

無事に二次オーデションは合格。
飛んで熊本に帰りたかったのですが、交通機関が麻痺してしまい、しばらく東京に滞在する事になった僕は、公演が開催される予定の会場を見に行きました。
正面玄関では無く楽屋入口を。
「1年後にここから入られるように頑張ろう。」
そう心に誓い、目に焼き付けてきました。

数日後、やっと熊本に帰ることができました。
覚悟はしてましたが、街のあちこちで家が崩れ、傾き、変わり果てたその姿に心が傷みました。

そしてみなさん、毎日怖かっただろうに、毎日泣いていただろうに、僕が会いに行くと、
「おめでとう!」
と送り出してくれた時と変わらない笑顔で言ってくれました。
その時のあったかい笑顔は、今も僕の心の中の一番大切な宝箱にしまってあります。
(続く)

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