慈愛に恵まれた天女として旅立つ☆母が天に還る⑤ | 本質が活きる・みちひらきコーチング☆室井奈実

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みちひらきコーチ 室井奈実です。

今年の夏は
「最愛の母が他界する」という
大きな出来事がありました。

振り返りながら
「母が天に還る編」を
書き記しておこうと思います。
(私の備忘録です)

ご参照記事↓
母が天に還る編
①母と私が生まれた土地で守護を祈る
②誕生日には母に感謝を伝える
③主人と母の最後のお約束
④母を決して独りにしないという私の約束


7月21日に母が逝くと、
納棺、通夜、葬儀まで数日
とても慌ただしい時間でした。

しかし冷静に(見えるらしい)対応できたのは
母が2ヶ月という準備期間を
与えてくれたのだと思います。

母の弔いに際して
お棺に何を入れようか?
と考える時、

「母はどの様な生き様だったのか?」
を振り返ることになります。


関西の糸関係の商家に生まれ
小さい頃から芸事を習う
お嬢さんでした。

学生時代は奈良女高師に通い
スポーツ万能で
インターハイに出場しとか・・

その後、京大を経て
役者(女優)の道を進み・・と
当時にしては自由奔放な女性です。


一人っ子なせいか・・
どんな時も
確固たる自分の世界
持っていたのも印象的です。

ある意味とても強い。
 
結婚後、30歳の時には
両親を亡くし、
家族は自分の家庭だけ。。

とても家族を大切にする人でした。

三人の娘を育てながら
手描き友禅を習い、
たくさんの着物や帯を描き
染め上げて
和裁で着物に仕上げる。


次に大きな機織り機を
何処かからかもらってきて
ストールや敷物などを織る。

糸関係の商社の娘らしいです。

晩年は謡を習い、
祖父から受け継いだ本を使い
能楽の世界を楽しむ。

亡くなる3ヶ月前まで
自前の手描き友禅の着物を着て
謡の発表会で能舞台に上がる。
 
入院する一週間前、
ギリギリまで能楽鑑賞を楽しむ。

一方で父と共に
40カ国も旅をする。

国内では夫婦で観音巡りなど
祈り旅をしていました。
 
とにかく活動的な女性で
人生を楽しむ天才でした。

「人生はアートだ」
見事に成し遂げたのだと思います。
 

納棺の時には
母が自分で描いた
友禅の着物と帯を広げて掛け、
祖父から受け継いだ
「羽衣」の謡本、
たくさんの御朱印帳
を入れました。
祖父の謡本(大正時代の物)

大好きだった物も入れました。

寂しくないようにと
小さな姪から
犬のぬいぐるみ4頭とお手紙。

大阪の今井のうどん
柿の葉寿司・・
↑↑
大きな姪の想い出みたいです。
 
大好物なもので賑やかな祭壇
主人が買ってきてくれたプリンも
御供えをしました。
 
菩提寺からいただいた法号(戒名)に
慈恵院(慈愛に恵まれた人)という
意味合いと「謡」の文字を
いただき旅立っていきました。
 
正に羽衣の天女のイメージです。

謡曲「羽衣」になぞらえて
一番母らしい法号をつけてもらい
本当に幸せだと思います。


告別式の日の空、
雨の予報でしたが
太陽が雲間から
優しく顔を出してくれました

この瞬間、
母が天に還っていったのが
よくわかります。

告別式の日、7月25日は
大阪の天神祭の本宮の日でした。

小さい頃、
毎年天神祭に行ったのを
思い出します。

母の昔話によれば
大阪天満宮の近くで
祖父母は商売をしていたそうです。

きっと小さい頃から
馴染みがあったのですね。

この日、関西では
虹が出たそうです。

魂は自由自在・・
関西方面から虹を渡り、
富士山から天に還ったのだと思います。

何故、富士山かというと・・
満中陰(49日)が終わったら
書きますね。
 
月命日を終え、
本格的にお仕事も再開です。
 

親愛を込めて!
With Joy & Love~
ハート