今日は参観日というか夫婦で息子のいる保育園に息子の様子を見に行った。

みんなでブロック遊びをしたり、先生と一緒に七夕の飾り付けをつくったり、

楽しそうにたくましく保育園を楽しんでいた。

11時になると皆給食の準備になり、各自自分のエプロンが置かれた席につく。

我が子も 自分のエプロンを認識している。

かえるの歌、かたつむりのうた、むすんでひらいて などを歌って いただきますをする直前、

両手をひらいて 横の子の 顔の前に 息子の手が伸びた。その瞬間、がぶりと

手をかまれてしまった。 目の前で息子がかまれてしまった。いきなり泣き叫ぶ息子

 以前から おもちゃの取り合いなどで かまれて帰ってきたことはあったが、

まさか目の前で見るとは。。これはよほどのメッセージだ。。。しかし

ミロス人は 戦わない。 以前の僕なら、 かんだ子は 誰や?腹をたて、

とかんだ子を責め、我が子をかわいそうに思っていただろう。

しかし、目の前の現象もミラーワールド、全てが自分へのメッセージであり、同時に表裏一体した、

同時存在なのだ! 僕がその状況を見て感じたことは かまれたことはビックリしたし、

息子もかわいそうだが、僕が一番今日感じたのは「かまれた我が子は自分」と

「かんだ子も、自分」ということ

だった。何が言いたいかというと、かんだ子は僕の目には

「ビックリして防衛反応を起こし、無意識にかんだ」と見えた。つまり身を守るために

過敏に反応したのである。それはまさしく僕自身の姿だった。僕は小学生の頃からずっと

敏感で 注意されることを嫌っていた。注意を受けるのは怒られているように感じてしまう。

車のクラクションにもバイクの騒音にも過敏に反応している。人間関係でも人の言い方に

ジャッジしてしまうなどなど。。相手や現象を攻撃や悪いことと受け取ってしまう「過剰反応」が

僕にもあると瞬間にして感じてしまった。今日の現象の姿が、自分だと認識できたときにぼくは

かまれた かんだ など 何故 大事な息子を通して見せられるのかを納得できた。

 かまれたことにジャッジもしないし、受け取り拒否もしない。ただあるがままを見て

自分に返すことができた。 他に今日息子を見ていると、 お友達にブロックを投げて

相手を泣かしてしまったり、 他に泣いている子をなでなでしてあげたり、いろいろな

姿をしてくれているようだった。今日はまさに自分が自分にしている過剰防衛を見た日だった。

ミロスを知ると片方だけじゃなく双方向の動きに気づく。この感覚を使って自分を自分を

知っていくと腹が立たない、自分を知るときっと目の前に見えるメッセージは変化するだろう。