埼玉県蕨市といえば、全国の市の中で最も狭かったり、全国の市町村の中で最も人口密度が高かったり、全国の市町村をあいうえお順に並べると一番最後にお目見えしたり、成人式の発祥地だったりと知る人ぞ知る自治体です。
そんな蕨市はもともと中山道の宿場町・蕨宿と塚越村(つかごしむら)という村が1889年に合併してできた蕨町が起源です。
さて、今回紹介いたします塚越稲荷神社は、その蕨市(旧蕨町)を構成する塚越村の名称の由来になった神社です。
新編武蔵国風土記稿の塚越村の記述を見ると、「古廻國ノ沙門經文ヲ埋メテ塚ヲ築シ地ナレバ古ハ經塚腰ト唱エシヲ後上畧シ又腰ノ文字ヲ改メシト云傳(昔、諸国を巡る出家僧が経文を埋めて塚を作った地なので昔は経塚腰といいましたが、後に上の字が省略され、また、腰の文字が改められたと言い伝えられています)」とあります。
ようするに、「塚があるから塚越」ということです。
そして、この塚は実際に塚越稲荷神社にあり、その社殿はその塚の上にあります。
赤い鳥居が連続する様はまさにお稲荷様が守護する塚越村の三つの鎮守の一つです。
また、境内には機神社(はたじんじゃ)という社もあります。
蕨はかつて「機織りの町」として反物を求める商人が全国から行き来していました。
機神社には、蕨の織物業を発展させた高橋新五郎さんと奥さんのいせさんが祀られています。
蕨の夏祭りといえば機祭り(はたまつり)ですが、このお祭りは蕨の織物業に起因しています。
同じく境内には、すでに廃寺となってはいますが定正寺(じょうしょうじ)の観音堂がきちんと残されていて足立坂東三十三箇寺の三十三番目の札所となっています。
アクセス
JR蕨駅東口、駅を背にして正面の大通りの右側の歩道を進み、1つ目の信号に来たら中央分離帯のある通りを右折。そのまま直進。10分程歩いた右手側。
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