さっそくお読み下さいまして、ありがとうございます。

奇想天外、おやじギャグ満載の作品。最後までお楽しみ下さい。

 

(前回の続き)

 

「御二人さん、ようこそ、我が家へ」
突然、ふたりの背後から男の声がした。
「きゃああ、あなたはだれ・・・  なんなの・・・ 」
「うわわ・・・ こわっ・・・ 」
若菜と智恵美は、お互い抱き合って、そおっと男を見やった。古風な中年男が、すっと立っていた。黒い羽織・袴を着て、背はそんなに高くなく、立派な髭が印象的な端正な顔立ち。落ち着きのある風貌で、年は四十歳ぐらいだろうか。その男は、無言で古民家の中へ手招きした。磁石のS極とN極のように、ふたりの体は男の家の中に惹き寄せられてしまった。立派な門を通過すれば、さまざまな樹木や花のある庭があって、縁側に畳敷きの部屋が二つほど見える。奥には、板張りの部屋もあった。
「若菜、こわーい。あのひと、悪者ではないの・・・ 」
「悪者か分からんけど・・・ でも、あの人にすがるしかないように思う・・・ 」
「すみません、ここは何処で、何時代でしょうか、私たち、迷い込んでしまって」
若菜が冷静に男にたずねた。
 男は、畳の間に静かに正座をし、そっと目を閉じた。二人が土間に入っても、男は、我関せずの体。真剣な顔をして、妄想に入り、話し出す様子はない。
「すみませんが、あなた様はどなたで御座いますか。ここは何処でしょうか」
智恵美は、ぶるぶる震える口で訊いた。
「御二人は、学生さんかね」
男はふたりの質問には答えず、目を閉じ座ったまま訊いてきた。
「は、はい。学生です。農業大学の学生です」
ふたりはやっとの思いで答えた。
「農業大学・・・ それは、大いに結構。農は、土に触れ、作物を育て、実りの時期には喜びに溢れる、素晴らしい業で御座る。大いに学んで、実務に励まれよ」
「え、ええ。はい、頑張ります」 「頑張ります」
「うん、良き心がけじゃ」
男は、偉そうではあるが、悪い人ではなさそうだ。若菜と智恵美は安心し、座敷にあがって、正座した。
「吾輩は、五高で教鞭を執る者じゃ。英文学を学生に教えつつ、翻訳の仕事を行っておる。近頃、諸外国の事情を探り、付き合いを模索の身である。外国には、その国特有の風習がある。日本は日本で、独特の文化と伝統がある。吾輩は、両国の違いを埋め、異文化を頭の堅い役人に伝えることに苦労して居る。尚且つ、英文学を学生諸君に教えることはむつかしい。苦難の連続で、心がぼろぼろに御座候。兎角人の世は住み難い・・・ 」
「そうろう? わがはい? では、あなた様は、大学の教授ですか。そんな偉い方が、こんな山奥で何をされるんですか」
「吾輩は今、此処に於いて、しばしの安息を頂いて居る。この国の動向を案じつつな。何しろ、世は慌ただし過ぎる。文明開化だの富国強兵だの騒々しい事ばかりだ。吾輩の言動は遠くに漂流し、無駄に感じてしまう。その点、此処に居れば、改善命令や世迷言も入って来ぬ。貧乏暇なしが得たひとときの安らぎだ。こうして、御前さん方の様な美人にも逢えたのだからな」
「貧乏暇なしって、大学教授なら、お金持ちではないのですか」
「そうはいかんのが、世の習いだ。貧すれば鈍する。吾輩は、御前さん方の健気の良さが羨ましい。麗しき肌の白さ、済んだ瞳、物怖じしない所作・・・ ああ、病んだ心がすこぶる癒やされそうじゃ」
「おじさん、そんなに褒めても何も出て来んよ。麗しき肌の白さだなんて・・・ 」
「とにかく、他人には分からない苦労があられるのでしょうね。心が病んでしまわれるほどの・・・  大変ですね」
「優しいのお。吾輩の目に狂いはなかった。貴殿たちを呼び寄せて、大正解じゃ。吾輩は、自己本位ゆえ、己の意を汲んでくれる若き冒険者を探して居った。それで、天に祈り、呼ぶに至ったのじゃ」
「呼んだ? つまり、私たちをこの不思議な時代にワープさせたのは、あなたの仕業ですか? 此処は何処で何時代ですか? 私たちは急に不思議な現象に巻き込まれてしまって・・・ 」
「神隠しじゃよ。吾輩以上に神が御前さん方と逢いたいと御想いになられたのだ。御前さん方のハイカラな服や背負の袋を見て、神がこの地へ誘導なさった。なに、心配御無用。此処は、吾輩が気に入った人情深き処なれば、ゆったりと過ごされよ」
「ええーっ、神隠しって。そんな事ありえません。私たち、これからどうなるのですか」
「安心なされ。お茶を入れるから、ひと息ついて、話を続けよう」
ふたりは、お茶をいただいた。そのお茶は、少し苦かった。
「ところで、農業を志す女子と申すは、珍しいの。大体に於いて、野良仕事なるものは、男子が行う業じゃ。御前さん方、何故に農業大学に在籍して居られるのか」
「私たち、本当は、農業なんてしたくはないんです。もっとカッコいい勤めに就いて、安定した収入を得たいと・・・ 」
智恵美が本音を言った。
「そうであろう。農業などというものは、困窮を極めた土に生きる男どもの為すべき業なれば、憐れな女は、早くに結婚して、男に尽くすことが幸せへの道じゃ」
「あ、でも、それはちょっと・・・ 男がすべきとか、女は早く結婚しろとか・・・ それには賛同できません。女性差別ではないですか・・・ 私たちは、農業大学に在籍していても、就職は、農業以外の道を考えているだけです」
「御名答、若菜。田嶋先生が喜ぶ発言だよ。今の時代、女も男も、田や畑に出て土にまみれ、作物を育てる。女だからこそ、出来ることがあり、やさしい心遣いがあります。そして、男も、子育ても家事にも積極的になるべきです」
ふたりは、えらそうな教授様に、勢いに任せて反論した。
「おおーっ、西洋の先進的な考えを、御前さん方から聞けるとは思わなんだ。素晴らしい。女も男もか・・・ 」
「そうです。男が威張って女に命令し、家長として振る舞う時代はとうに終わったんです。女性も人間らしく生きる権利があります」
「確かに、女性を男性が尊重し、協力し合うことは、社会の有り様として大切なことだ。そこまで言うのならば、御前さん方も、農業の道を進まれるのが良かろうて。大学での学びを生かして・・・ 」
「はい、それは、考えてみたいと思っていたところでした。私は、農業をきつい、きたない、きけんだと思っていましたが、近頃、食を支える農業の素晴らしさに気づき始めまして・・・ 」
若菜は、今の自分の想いを正直に話した。
「私は、のんびり屋なもので。農業は、日々、作物の世話が大変だから、私には向いてないと。うちは母ひとりでスイカの生産をしています。母は私にあとを継いでほしいという願いを持っているのですが、私のモチベーションが・・・ 」
智恵美は、母の想いを叶えたいが、農業には自信がないことを告白した。
「うん・・・ 吾輩は、生の根本をつかさどる農業に励んでほしいと御前さん方に願う。農業への道は険しかろうが、努力すれば必ず道は開ける。立ち向かって欲しい」
「でも、農業にはお金がいるし、大胆な経営構想や技術も必要です。私たちに出来るものでしょうか・・・ 」
「御二人ならば、大丈夫じゃ。きっと良きアドバイザーが付いて、新しき農業を実らせ、大成功をおさめることであろう」
「ありがとうございます」 「農業を頑張ってみようと思います」
「ところで、先生、肘をつかれて、体調が悪いようですが・・・」
「吾輩は、まるで霧の中に閉じ込められた道化師のようじゃ。役人から英国留学を命ぜられ、一縷の望みを持って英国に渡ったが、あちらでは、つまらぬ事ばかり。様々な本を読んでみても、倫敦(ロンドン)市内を散策しても、空しき日々。五高で学生たちに英語を教えても、何かしっくりこない。ついに、吾輩は、神経衰弱になってしもうた。体より心が病んでしもうて・・・」
「先生が、精神を病んで仕舞われるとは・・・ 華やかそうに見える教授のお仕事も、苦労苦労の連続で、大変ですね。私は学生なので、今は時間にゆとりがあります。でも、社会人になると、時間に追われる日々が・・・ 落ち着いて己を見つめる余裕が無いように思います 」
若菜は、先生の苦労と自分の将来を案じて言った。
「そういうことじゃ。世は慌ただし過ぎる。じっくり自分を見つめ、物事の本質を捉えようとする態度に乏しい。吾輩は、近頃、禅的境地に目覚め、自分の感情や欲望を捨て去り、世を冷静に客観的に眺めたいと思う。他人に動かされず、自らの意志で動いてみたい。それは、小説を書くことで、叶うのだと信じておる」
「小説を御書きになっておられるのですか。ステキですね」
「吾輩は、出逢いの大切さをつくづく思うこの頃じゃ。吾輩は、正岡子規先生との出逢いで、もの書きの良さを知った。今や、生きがいと言ってよいほど、小説を書くことが好きになって居る。御二人も、夢中になれるものを見つけると良いぞ」
「仰る通り、夢中になれる何かを見つけたいと思っています。幼少の頃から何となく生きてきたもので。今は、農業、農業に向かっていこうと・・・ 」
「吾輩は、御二人との出逢いも何かの縁だと感じて居る。この非人情の世間から脱出して、本来在るべき人の姿を取り戻すためにも、吾輩は、御二人に、激しい世の移り変わりに惑わされず、己の意志を貫き通して欲しいのじゃ。ただし、古き時代の智恵や良心も大切にな」
「はい、分かりました、先生。自分の意見を持って、激しい世の中に立ち向かっていきたいと思います」
「それにしても、御二人は、きちんと物事を考えておって、感心じゃ。吾輩は、常日頃、一人でも戦える女たるものは、男より遙かに偉大だと感じておった。勝つのは、常に女の方じゃ。御二人の言い分を聞いて、なおその想いを強くした。この時代は、弱き男が強がるために、嘘の上塗りを重ねておる。わしは、もっと素直に、情を求める幼さや褒められる優しさの如きものを出して良いと思う」
 ああ・・・ 間違いない、この人は・・・  疑念が確信に変わった・・・ 若菜は、おそるおそる先生に訊ねてみた・・・
「あの・・・ 先生、もしや、貴方さまは、夏目漱石さまでは・・・ 」
「そうじゃ。良く分かったのう。吾輩が漱石じゃ。本名は、金之助と申す。初めて会うというに、良く知っておるの」
「さっき、峠の茶屋や金峰山の石畳を歩いていたとき、私たち、漱石先生のことを話していました。だから・・・ でも、本物に逢える訳がない・・・ 」
ふたり、信じられないと顔を見合わせた。文豪夏目漱石と出逢った? 今、明治時代に居る? まさか・・・ ふたりとも、現実のこととして受け止められなかった。
「あはーん、これは、どっきりカメラか、そっくりさんの番組・・・ 」
智恵美は、辺りをきょろきょろ。隠しカメラを探した。でも見当たらない。
「あのー、失礼ですが、奥様や子どもさんはいらっしゃらないのですか」
真偽の程を質そうと、智恵美は質問した。
「ああ、妻は居るぞ。わしらはまだ新婚じゃよ。あいにく家内は、医者の所に行って居る。精神的に不安定な状態が続いてのお。何事もなければ良いが・・・ 家内には、何かと気苦労をかけてきた。すまぬと詫びを入れたいところじゃ。今後はゆっくり静養して欲しいと思っている。吾輩も疲れた。これから友人と湯治場に行って、ゆっくりしようと思うところだ」
「では、先生が書かれた本の題名は?」
「『吾輩は猫である』は最近書いた作品であるが、それが何か・・・ 」
「いえ。奥さんもいらっしゃるし、本物ですよね、漱石先生」
「勿論だ。吾輩は、御前さん方に逢えて、こうして話が出来て、すこぶる気持ちが楽になった」
若菜も、智恵美も、本物の漱石先生と逢えたのだと、ようやく信じるに至った。
「漱石先生が、いろんな悩みを抱えておられるって不思議な気持ちです。とても人間的な方なんだと分かりました」
「ほんと、何の心配も無い偉い御方だと・・・でも、心配な事ばかり・・・ 」
「明治の世は、決して明るくない。先行き不透明で、生きることが窮屈に思える。さらに、内憂外患。まだまだ心中落ちつかぬ。どうじゃ、吾輩は小天にある湯治場に行くで、君らも一緒に行かぬか。体や心の疲れを癒やす最高の湯だぞ」
「そ、それは・・・ すみません。行けません。でも、漱石先生がお疲れを癒やされることを願っています。どうぞ、温泉につかってゆっくりされてください」
「あのー、私たち令和三年からやって来た学生で、金峰山に登山中、宙を舞う可笑しな現象に出会ってしまって・・・ どうやらタイムスリップで、ここに来てしまったと思うのです。先生、元の時代に戻るには、どうしたらよいのでしょうか」
「その事は、吾輩が御二人を呼んだのである。戻ることは難しくはない。それより、御前さん方が、湯治場へ一緒に行ってくれないことが残念で御座る。なあ、湯治場に行けば、この世のごたごたが忘れられようぞ」
「御免なさい。漱石先生。私たちを元の時代に戻してください」
「私たち、未来からこの時代に紛れ込んだみたいで・・・ 元の時代に戻れるのか・・・ そのことが心配で心配で・・・ 」
智恵美も若菜も泣き出しそうな顔になった。
「折角の出逢いが勿体ないのお。もうしばらく、御前さん方の時代の話を聞いてみたかったのじゃが・・・ 」
「はい、私たちも、先生と別れるのは、辛いです」
 ふたりがそう言うと、漱石先生は、縁側に置かれていた太い榊の木を三本取り出して来られ、ふたりの前に静かに差し出された。ふたりは、指示通り正座をして目をつむった。それで、漱石先生は、榊の木の枝を、ふたりの頭上で振られた。心を無にしたふたり・・・
「えいやあーっ」
気合いを込められ、榊の木をふたりの頭に激しく叩きつけられた。
「ああーっ・・・ 」
「わあああーっ・・・ 」