(前回のつづき)

 

 夏の日の夕方、道路工事のアルバイトが終わって、寮の前の石段に腰掛けて休む。
あーあ、疲れたなあ。汗を拭きながら、ぼんやり空を見やる。

バイトで、アスファルトを固める重機を動かしたので、身体全体がぎしぎしと痛む。

怪我なく仕事が終わり、賃金を即払いで貰えた。薄水色の空に向かいほおっとため息をつく。

のどが渇いてたまらん。冷たい物で汗を引っ込めさせて涼しくなりたい。

夕方とはいえ、沖縄の真夏の太陽はじりじりと肌を焼く。かーあっと顔が痛む。

太陽光線が東京の十倍は裕に降り注ぐのではなかろうか。

おおマイゴッド、氷水か何か、冷たい物持ってきてくだされ・・・

あっ、そうか。あの喫茶店で冷たい物を頂こう。あのお姉さんまだ居るかなあ、会いたいものだ・・・

急に思いつき原付バイクにまたがる。今日もまた話ができるといいなあと期待に胸を膨らませる。

喫茶店に着いてすぐに入ってみると、以前と変わらぬ綺麗で洒落た店のまま。

エアコンが効いているだけで涼しくなる。彼女を見ると、コーヒーメーカーを洗っていた。

真顔で黙々と働いている。とても可憐。

店内には彼女以外他に誰も居ない。迷わずカウンター席に腰掛けた。
「あいや、久しぶりですね」
「覚えていてくれたんですか、ああ良かった」
「うん。この前来た時、コーヒーを飲むときの顔がおかしかったさ。

 コーヒーは苦手ですって、顔に描いてあったさ」
「俺、本当はコーヒーは飲めないんです。にがいから」
「はははっ、じゃあ、今日は何にする?コーヒーがダメなら」
「オレンジジュースください」
「そうね、暑いし、うんと冷たいの作るね」
氷を割るしなやかな手。ジュースを注ぐ柔らかな仕草。

見とれてしまった。

東京の女性よりもずっと大和撫子ではないか。品がありおしとやかで、一本芯の通った姿。
「はい、どうぞ」とオレンジジュースをコースターに乗せてくれた。
「あのー、すみません。名前を忘れてしまって。前来たときに教えてもらったけど、忘れてしまって」
「沙織です、さ・お・り。覚えてね」
「あっ、はい、沙織さん、今日は絶対覚えて帰ります」
「洋一さんだったね。この前見たときよりも、ずいぶん日焼けしたさ」
彼女は、ぼくの名前を覚えてくれていた。
「バイトで日焼けしたんです。今日は、道路工事の仕事をして来たから、もっと肌が焼けたかな」
「うん、逞しくなった。きりっと引き締まって見えるさ」
「ありがとう。学費を稼がないといけないんで」
「ああ、琉大生だったか、たしか東京から来たんだよね」
「ええ。東京です」
「そっか、親元離れてバイトと勉強の両立でたいへんだ」
「ああっ、すっきり、うまかった。汗が引っ込んだ」
オレンジジュースを一気に飲み干した。

すると、彼女の手がすうっと伸びて、もう一杯オレンジジュースを置いてくれた。
「これ、サービスだから。私の奢り。この炎天下、バイト大変だったね」
「すみません。遠慮なくいただきます」
「アルバイトか・・・私も一緒。この仕事はアルバイト。

 本当は、本職決めてきちんと働かないといかんさ。でも沖縄にはいい仕事がない」
「そ、そうでしたか・・・ぼくはまだ大学生だから、気楽なものかな・・・

 工事現場の仕事から家庭教師まで幅広くさせて貰えるから、恵まれてますね」
「羨ましい。私は宮古島出身で高卒だから。これまでに四つアルバイトを渡り歩いて来て、

 辿り着いた所がこの喫茶店。時給が安くてやっていけん」
「宮古島から那覇に出て来られたんですか」
「そう。那覇で何か事務の仕事ないかって思ったんだけどね・・・

 世の中そんなに甘くない。私の宮古島の友だちもいい仕事が見つからなくて、

 米軍基地で美容師やっているさ。嘉手納の米兵相手にね」
「あっ、訊いてみたかった。実際、米軍基地は、住民の暮らしに影響があるのですか」
「それはもう、毎日毎日爆音がすごいさ。戦闘機がゴオオーッっとうるさくて。

 その友人が、轟音が通り過ぎるのを待って仕事を始めると言っていた。

 最近も、墜落事故や米兵の犯罪なんかがあってね、安心して生活できないわけ」
「ああ、轟音と墜落事故、それに犯罪ですか。東京に居た頃は、

 全く普天間のことなど気にしていませんでした。今、沖縄に来て住んでいるから、

 少し米軍基地のことが気になるってとこです」
「そこが問題だと思うの。基地問題の何が問題かって、よそ事だから関係ないって思うこと。

 基地があることと自分たちの暮らしが結びつかない。無関心でいられることが問題だと思う」
「そうですね。ぼくも沖縄に住むようになって、やっと基地問題が気になりだしたんです。

 高校までは、沖縄の米軍基地が住民の生活に害を及ぼしていることや、

 沖縄が米軍の世界戦略の重要な拠点であることさえ知らなかった」
「普天間基地って、あれは米軍が勝手に作ったんだよ。強制的に土地を奪ってさ。

 たくさんの人が亡くなった戦争が終わって、故郷に戻ってみると、

 自分の家が軍用機の滑走路となっていた。

 元から居た人たちは、米軍に土地を奪われて住む処がないから、

 基地周辺に家を建てて住んだんだ。でも、基地の周囲は危険と隣り合わせ。

 住民はものすごく基地反対運動をしたわけ。

 そして、いよいよ本土復帰となった時、みんな期待したんだよ。

 沖縄から基地がなくなるって。沖縄も本土並みになるって。

 でも結果はご存じの通り・・・」
「今の話を聞いて、今度、普天間にも嘉手納にも行ってみようと思いました。

 実際に見てみないと分からないですよね」
頷いて、彼女は再び洗い物を始めた。

有線からぼくのお気に入りのヒットソングが流れてきた。

聴きながら曲に合わせるようにストローを動かし、一気にオレンジジュースを飲み干した。
「ねえ、東京から出てきて、沖縄での暮らし、慣れた?」
「はい、え、ええ・・・」
「まだ慣れないよね、何か月もたってないでしょ」
「そうですね、慣れない。それに、ぼくのことナイチャーとかヤマトンチュと言って、

 馬鹿にしているような気がして・・・特にバイト先で・・・」
「なるほど、それは分かる。私も宮古島からこっちに来たときに『よそ者』という感じで見られた。

 何というのか、島国根性かな。勝手に土足で入って来るなみたいな・・・」
「でも、ぼくはよそ者じゃないのに・・・」
「そう。でも、ウチナンチュの気持ちも理解して欲しいの。アメリカ世もうんざりだけど、

 ヤマト世はもっと酷いという気持ち。強制的にやらされて沖縄の良さが失われてきた。

 琉球が壊されてしまった。その危機感と悔しさが、沖縄人の心根にあるということ」
「はい・・・それは・・・」
「洋一さんは、方言札って知っている?」
「い、いいえ、知りません」
「ヤマトへの同化政策のひとつさ。私は父から聞いて知っている。

 方言札というのは、小学校で方言を言ったら、罰として方言札を首からぶら下げられ、

 廊下に立たされた。だから嫌でも標準語を話したんだよ。

 そして、ウチナーグチが衰退していった。宮古には宮古の方言があって、

 こちらとはまた違うんだけれども、みんな標準語がいいものだと思い込んできた。

 私もそのひとりだと思うと、複雑な気持ちがする」
「ああ・・・」
「あっ、ごめん、説教みたいになって」
「いいえ、おいしかった。おかげで汗が引っ込みました。有り難うございました」
ぼくは、立ち上がり背伸びをしながらお礼を言った。

沙織さんは、カウンター越し手を伸ばした。
[洋一さんへ 電話してね]と渡してくれた紙には、電話番号が書いてあった。
「私一人でアパート暮らしなの。だから、ね」とうつむきながら言った沙織さん。

ぼくは、顔を赤らめて、何も返せなかった。

ばたばたと沙織さんの電話番号の書いてある紙をズボンのポケットにしまい込んだ。
沙織さんは「もう帰るの・・・」と残念そうだったが、何も言わず支払いを済ませた。

沙織さんの顔を見ずに店を出た。恥ずかしさとドキドキが止まらない。

でも、ぼくは、彼女にモテたことに満足し、それで充分だった。

咄嗟に引き返して彼女の気持ちに応えるとか、翌日にでも電話をして彼女をデートに

誘うなど出来なかった。ぼくは、そのまま寮に戻り、シャワーを浴びてすぐ眠りについた。
 アルバイトの合間に講義に出た。一般教養。古びたプレハブの学舎に古い机と椅子。

歴史ある琉大にて学べる贅沢を感じるべし。真面目に教授の話を聞き、ノートを取るべし。

講義が終わり、寮に戻り、藤本、田代と夕食を食べながら、

大学の教授やキャンパスに数多いるかわいい美女の話で盛り上がった。

そのあと、ぼくは、ナイチャーやヤマトンチュと呼ばれることの違和感を二人にぶつけた。

藤本や田代も似たような経験があると言う。
「そりゃ、嫌味も言いたくなる気持ちも分からんでもない。歴史的に琉球処分の仕打ちや、

 戦争の時の沖縄切り捨てとかが、根深く働いていると思うばい。

 ナイチャーは憎き敵という意識が根強いと思うばい。そんなわだかまりと壁を取り払うのは、

 俺たちごとき若造には、とても無理な話ばい」と田代が言った。ちょっと意外な気がした。
「さいでんなあ。歴史の中で、ナイチャーが沖縄をさんざん馬鹿にして犠牲にしてきたさかい、

 仕返ししたい、文句を言いたい気持ちは分からんでもない。

昔、大阪博覧会の人類館事件では、沖縄の人を見せ物のようにしたこともあってんねん」
藤本さえも沖縄の人の立場に共感した発言をした。ぼくの心は揺れ動いた。
「沖縄の人からしたら、自分たちと歴史も文化も違う大和人であって、

 遠く隔たりを感じる関係になってしまう。今から俺たちがその壁をとり払いたいと思うけど・・・

 お互い歩み寄ることは出来ても、完全に壁をなくすことは難しかばい」
「その壁は大きい・・・沖縄の人たちからすると、受け入れ難いと感じるのか。

 うーん、そう言えば、ぼくらには沖縄に対する偏見があるからな。

 沖縄は外国で言葉は通じないし、パスポートが無ければ行けないと勘違いしている

 東京人は結構いる。俺は、沖縄女性は肌の色が真っ黒だと信じていたが、

 実際会ってみたら、東京人と大して変わらん。それにはびっくりした」
「あっはっはっはっ・・・阿呆か、洋一、笑わかすな」
「まあ、俺が言うのもなんだけど、琉球民族というプライドがあるけん。

 四百年続いた琉球王国の伝統と文化をなめるなよーって俺たちに言いたかとばい。

 お前ら、沖縄の門中制度って知っとるか。門中は、一族を明確に規定し、

 祖先崇拝が根っこにあるけんが。そんな社会に、俺らよそ者が入ってくると、

 面倒なことになるってことばい」
「勿論知ってるとも。門中制度の中で、一族の財産を清明祭やお盆の行事に遣ったり、

 模合に当てたりするさかい、結構たいへんらしい。

 確か、長男の嫁がとても苦労するって聞いたことがある」
「ああ。俺も聞いたことある。ユイマール精神を楯に、借金をして返さないとか、

 けっこう難しい問題があるらしい。沖縄は仕事が少ないし、賃金は安いしな。

 経済的な理由が、心のゆとりを奪う原因になってるって思う」
「戦争で破壊され尽くし、米軍基地に土地を奪われて、戦後復興がうまくいかんかった。

 今、どうにか、ナイチャー相手の観光業や、基地に勤める米兵相手のサービス業で、

 賄っているさかい。ホンマ、賃金も安うて働く意欲も低くなってまんねん。

 そいで、最近は、子どもの貧困という問題もあるって、テレビで言っていた」
「いや、だけん、もっと多様な考えや人材を受け入れて、次の時代を見据えんば、

 沖縄は経済的に行き詰まると思うばい。

 一部の人は、沖縄独立論や中国復帰論を平気でぶちまけちょるばってん、俺はどうかと思うよ」
「でも、アイデンティティって、そう簡単なもんじゃないだろ。

 伝統と時代の波。この狭間で揺れている人も多いはずだよ」
「そうでんなあ。そんな中、俺たちナイチャーが沖縄をかき乱してるんか」
「かき乱していることになるよなあ。それでも、そんな壁をぶちこわせるから、人間って不思議だよ。

 内地に嫁がせるなんてとんでもない、という沖縄の人の意識は根強いだろうけど、

 最近はそうした考えに反抗して、内地で働き結婚する沖縄女性も結構増えてきている。

 男性もナイチャー女性と結婚したいと思う人が増えている。まあ、人それぞれじゃないか」
「うん。しきたりとか風習とかばっか言っとられん。

 今では就職や進学などで内地との交流も多くなって、男女問わず沖縄から出て、

 そのまま内地で仕事に就き、結婚というケースもあるし、俺たちんようなナイチャー男が、

 平然と沖縄に居座って恋に落ち、結婚ということもあるけんな」
人間は生まれた所にこだわり、子どもの頃教わったことを頼りに生きていく。

成長につれ次第に視野が広がり、世界を深く知ろうと思う。自分のこだわりを変えようと思う。

だが、社会的存在であるが故に、住まう地域に大きく影響され、郷土愛が芽ばえてくる。

沖縄と本土の間に存するこの大きな障壁。

ぼくが沖縄に来て最初の大きな学びだった。
 次なる問題点の指摘が、部屋の連中からなされた。

ぼくは、九月のある日、相部屋の三人から説教をくらった。
「洋一、お前、バイトバイトって、大学には行ってるんか?」
「もうすぐ、前期のテストもあるからな。勉強しとかなアカン」
「お前バイトのしすぎだろ。講義に出ろ。お前の本業は、大学生だろ」
などと寄って集って責められた。「とうぜんだな」とぼくも思った。

「わかったよ」とやっと言い返した。十月になれば、前期の試験も待っている。

部屋の三人組が心配してくれる意味が、ぼくにもよく分かっている。留年する気は更々ない。
「よし、明日からは、真面目に講義に出よう」と心に決めて、ぼくは布団をかぶった。
 次の日から、態度を一変させた。ぼくは、家庭教師以外のバイトは、きっちりやめて、

本当に真面目に講義に出始めたのである。苦手な英語の講義だって、きちんとノートをとり、

古文概論や琉球史概論、数学、物理、そして体育の授業も真剣に取り組んだ。

分からないところは、教授に質問をしてきいたり、参考本を読んだり、

真面目なヤツに訊いたりして勉強した。そうしたら、次第と講義が面白くなってきた。

調子に乗り始め、秋から冬にかけて、ガリ勉を続けた。

その結果、前期、後期とも良い成績を修めることが出来た。

寮の相部屋の三人は、ぼくの成績表を見ながら褒めてくれた。
 もっと嬉しいことは、相部屋の三人と、以前よりも親しくなったことだ。

今日の講義での出来事を話したり、家族のこと、将来の夢なども語り合った。

沖縄のことや故郷のこと、政治の動向や週刊誌のグラドルに至るまで、何でも語り合った。

そして、行動を共にすることが増え、講義に一緒に出たり、生協の学食を食べたり、服を買いに行ったりした。

そして、誰かが買ってきたお酒を寮室で飲みながら、朝方まで語り合った。

ぼくは、寮の皆や学友との付き合いを大切にすべきだと、ようやく気がついて、

大学という所の良さを少し分かった気がした。

 

 (明日に続く)

 

今日もお読みくださり、ありがとうございました。

東京から沖縄の大学に出てきた洋一を主人公とする物語です。

原稿用紙ですと、四百枚ぐらいの作品となります。

毎日連載致しますので、お読みください。

この作品は、沖縄の突き出す問題を若者目線で捉えるところが

キーだと思っています。

途中と最後に大きな事故がある展開になります。

若者の死という問題について、交通事故から戦争に至るまで

読者に捉えて欲しいと願って書きました。

拡散よろしく御願いします。