日本よ、“厄介な小兵力士”になれ! | みおボード

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舞の海秀平(大相撲解説者)

<戦後教育への疑問>
私は昭和43年、高度経済成長期に生まれ、「日本はアメリカと戦争して負けた」という実感がないままに育ちました。

父親の兄が戦死していることもあり、親戚が集まると、先の戦争の話題になることはありました。昭和7年生まれの父親も、「順番が来たら自分も戦地に行くのだ」と思っていたと言います。

学生時代は、戦後教育の影響をもろに受けて育ちました。
「真珠湾攻撃は不意打ちで卑怯な攻撃だった」
「日本軍は中国に対して残虐非道の限りを尽くした」

右のようなことを先生に授業で教えられたあとの休み時間、子供同士で集まって
「日本は悪い国だったんだね」と話をした記憶があります。

そういった歴史観がおかしいと感じ始めたのは、力士を引退した頃です。

現役時代はスポーツ紙を読む程度で、一般紙はあまり読みませんでしたが、引退すると 自分も社会人として新聞を読んで社会情勢を把握しないといけないと考えるようになったのです。


どの新聞を取ろうか迷っていると、現役時代 私が入門していた出羽海部屋のポストに毎朝、産経新聞が入っていたことを思い出しました。
私は青森の田舎出身で、新聞といえば朝日・読売くらいしか知りませんでしたから、妙に印象に残っていた。

そこで 産経新聞を購読し始めると、これまで学校で教わったことと逆のことばかり書いてあり、衝撃を受けたのです。

産経購読を機に、近現代史に興味を持ち、総合誌なども買って読むようになりました。
真珠湾攻撃はABCD包囲網によって石炭、石油の輸入を止められ、じわじわと締め上げられたことに対する抵抗だったこと、

東京裁判は戦勝国による一方的な復讐であったことなど、真実を知るにつけ、これまで教わったことはなんだったのかと憤りを覚えました。
同時に、「日本=悪」と一方的に教え込む、戦後教育の恐ろしさも感じました。

こういった話を師匠の佐田の山親方とすると、「よく気づいたな」と褒められました(笑)

時々、国歌斉唱に参加しない公務員のことが問題になります。
そういった方は、自分が国家に生かされている感覚がないのでしょうか。

相撲の千秋楽では国旗を掲げ、国歌を斉唱します。その時でさえ、席に座っている人はひとりもいません。

<日本人力士が勝てない理由>
最近は、祝日に国旗を掲げる家が少なくなりました。
以前、グルジア(現ジョージア)出身で 力士の黒海 太氏を取材した時のことです。

彼は自分の部屋に祖国グルジアの国旗を飾っており、理由を尋ねるとこう言いました。
「毎日、国旗を見て故郷を思い出すようにしているんです。そうすると『よし、今日も稽古を頑張ろう』という気持ちで稽古場に降りていける」

日本人も黒海氏のように もう少し国旗を大事にしてもらいたい、と思います。


いま、相撲界はモンゴル人力士が力を発揮し、平成10年に三代目・若乃花が推挙されて以来、日本人横綱は出ていません。
モンゴル人力士が悪いというわけではありませんが、相撲は日本の国技です。この状況をなんとかしなければなりません。

日本と相撲界の立て直しには、ことに教育が重要になります。小学校低学年の時に相撲を集中して指導すると、10年後、20年後に教えたことが生きてくる例を私はたくさん見てきました。

しかし、近年はゆとり教育の影響か、日本人力士は のほほんとして人の好い力士が多くなった気がします。
戦後民主主義のもと、過度の平和主義、平等主義が浸透してしまったからでしょう。

私生活で人の好いのはいいのですが、勝負の場でもお人好しが過ぎる。
たとえば、「俺は真っ向勝負で行く。だから相手も真っ向勝負で受けて立つはずだ」という力士がいます。

ところが、いざ取組になって真っ向勝負で突っ込んでいくと ひらりとかわされ、かち上げをくらって負けてしまう。
あまりにも相手を信用しすぎるのです。

私は現役時代、過去に一度もおかしな取組をしたことのない相手でも、自分の時には予想外の技を繰り出すかもしれない、と常に警戒して臨んでいました。

サッカーのワールドカップを見ていても同じことを感じます。
外国の選手は引っ張ったり、相手を蹴ったり、反則スレスレの行為をしてくる。そんな相手に対して、いくら良いチームを作ったところで相手にケガを負わされたら、元も子もありません。

いまの力士は、昔と比べて食生活が豊かになり、体格はよくなっている一方、技の応酬がなく、押し相撲ばかりです。
押し相撲は相撲の基本ですから重要です。しかし、指導者は押してダメな場合はどうすればいいかを教えないし、本人も考えようとしないのです。

昔の力士であれば、「こう工夫したけどダメだった。じゃあ、次はこう工夫してみよう」と試行錯誤したものです。

これは外交にも同じことが言えます。
たとえば、拉致問題。何十年もずっと同じことを繰り返している印象です。
新聞の見出しで「日朝協議が始まる」と目にすると、一応、期待はするのですが、裏切られ、結局 なんの進展もない。経済制裁で北朝鮮にプレッシャーをかけても、あまり効果がありません。


経済制裁をしてもだめなら、どうすればよいのか。北朝鮮に乗り込んで、もっと強硬な態度に出ることも視野に入れる必要があるのではないでしょうか。
ところが、こういうことを言うと、皆 口をつぐんでしまう。いまの日本人力士と一緒で、思考停止してしまっているのです。

また相撲の譬え(たとえ)になってしまいますが、相撲で負ける時でも
「こいつとの取組は厄介だった。二度と相撲を取りたくない」と思わせて負けなくてはいけません。
「こいつ、たいしたことないな」と舐められて負けてはいけないのです。

外交も同様、日本には「日本と交渉か… 頭が痛いな」と諸外国に思わせる したたかさが必要なのです。


私は体格に恵まれず、足りない部分をどうやって補うかを常に考えていました。
たとえば、私より百キロ以上も重い曙さんとの一戦(平成3年)では、緻密な作戦を練りました。

普段の稽古で曙さんと取り組む時は、わざと一突きで飛ばされ、
「舞の海とは本場所で当たっても楽勝だな」と油断させていました。1メートル飛べばいいものをパフォーマンスで3、4メートル飛んでいましたから、相手は気持ちよかったことでしょう。

<日本はもっと したたかに>
もうひとつ工夫した点として、手のつく位置を仕切り線よりも後ろにしました。
曙さんは他の力士よりリーチが長いため、間合いをとる必要があるからです。
ただ、手をつく位置も いきなり後ろにつくと警戒されてしまうので、制限時間いっぱいまでに徐々に後ろに下げていきました。

取組が始まった瞬間にも作戦がありました。
一度、すっくと立ち上がって、曙さんの目線を少し上に逸らしたのです。これは彼の手が伸びてきた時に落差をつけて、下に潜り込みやすくするためです。

以上の作戦が功を奏し、なんとか曙さんに勝つことができました。
日本も私と同様、国土が小さく、資源に乏しい小兵力士。不足をどう補うかを常に考える必要があります。

昔から日本人は 人付き合いや商業の取引において、“阿吽の呼吸”で、なあなあでやってきました。
ですが、外国相手となったら頭を切り替えてしたたかになり、、
外務省の方々には曙vs舞の海の一戦を参考にしていただき(というのは冗談ですが)

世界に「日本は厄介な国だ」と思わせなければいけません。
(月刊WiLL最新号)