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彼と私の違い~熱さまし編~


みおぼんのGoing My Days


ある寒い日、私は仕事が終わって家に一旦帰り、いつものように彼のアパートへ遊びに行きました。


私達は一緒にリビングルームでDVDを観ていましたが、しばらくすると何だか頭がボーっとし出して、口の中が熱くなっていく感覚があり、段々めまいまでしてきて、カウチにまともに座ってられなくなってしまいました。


ひょっとして風邪の引きはじめで熱が出だしたのかな?


まだ夕食をとっていなかったため、体力をつけるという意味でも何か食べておかないと…と思い、まだ体が動く今のうちにおかゆを作ることに。


今からおかゆを作るから、しっかり見ていてね。これから先もし、私がまた熱を出して動けなくなったら、代わりにこれを作って欲しいの。まぁ、一回では憶えられないかもしれないけど…大丈夫、簡単だから。昔から病気になった時や元気を維持したい時に食べられているの。フレンチトーストの倍のエネルギーを作り出してくれる、ヘルシーなメニューなのよ。


そう、私は彼に言いながら、おかゆを作り始めました。

彼も真剣に私がおかゆを作っているところを見ていました。

作っている途中から具合が悪くなっていく感じがよくわかりました。


とりあえず茶碗一杯分のみ、ゆっくり食べ終わるともう体は限界で、カウチの上に倒れるように寝そべりました。

もう人と話すのもつらい所まできていました。

寒気も少しずつ強くなり、掛け布団をぐるぐるに巻きながら仰向けに横になりました。

次の日は遅番で何としてでも一晩で熱を下げて出勤しないと…と、当時人数の余裕がなかった私の職場では、簡単に休むことが出来ませんでしたので、それの事が気になって仕方ありませんでした。


意識が眠りの中へ入ろうとしたその時、私の額に何か黒くて薄く、湿ったものがひんやり、ピトっと触れました。

薄目を開けてそれを手に取ると、ビックリしました。


それはサラリーマンがよく履くナイロン製の靴下の片方でした。


思うように話が出来なかった私は、思わずそれを手で払い落としてしまいました。

いっときして私は声を振り絞って、


…なんで……靴下…


としか問うことが出来ませんでした。

彼は慌てた様子で、


君の熱を下げようと思って、タオルを水に濡らして額に置きたかったんだけど、小さなちょうどいいサイズのタオルがうちになくって…。それで靴下を使ったんだけど…。あ、大丈夫、それ洗濯しててキレイなやつだから。


いや…、そういう問題じゃぁないだろ………。

私が熱以外で顔をしかめていると彼はすぐにゴメン…と言ってその片方だけの靴下を拾い、どこかへ持っていきました。


彼の気持ちは嬉しかったですが、以前にもある場面で靴下を用いたことがあり、その時に叱り飛ばしたことがあります。それがこんな状況で使われることになるとは想像も出来ませんでした。


日本に冷えピタシートなど便利なものが存在していることを知らなかった彼は、後日それを知ることとなりました。


どうにかこうにか翌日には熱が完全に下がり、体も思った程弱っていなかったので仕事に影響が出なくて良かったです。


…それにしても、さすがにこの話を周囲の人にすると驚かれ、笑われ、いまだに話のネタになっています(笑)。

靴下を額に置かれたオンナなんて…なかなかいないかもしれません……。


彼と私の違い~お洗濯編~


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私は彼と付き合い始めて、彼のアパートに通い妻のような感じで過ごしていたのですが、ずっと気になっていることがありました。


それは洗濯物の干し方が明らかに汚い良くないということ!


最初こそは国や育った環境が違うからかなぁ~?なんて思ってみたりもしましたが、周りの外国人の友人(この場合、男性に絞ります。)達を見ても、きちんと洗濯物を干している人も多いのですが…。


洗濯機から洗濯物を取り出して、それを室内・外両方で干すのですが、取り出したままの状態でそのまま干していくんです!!


もう、それを見てビックリしました!と、同時にショックでした…!


そして彼のお母さんが来日する一週間前に、とうとう口論勃発。


せっかく洗濯しても、しわしわの状態でしかも一定の空間をあけずにビッシリ干していく様を見て、さすがに私も一言言いたくなりました。


ちょっとー、そんなにシワシワで隙間なく干してたら乾くものも乾かないじゃない!こうやってきちんとシワを伸ばしながらちゃんと間をあけて干さないと。


と、実演しながら文句を言うと、それまでかなりなぁなぁな態度だった彼が、


この方法でいいんだよ!ここは僕の家なんだから口を出さないでよ!


と、珍しくいらつき気味で反論しました。

温和な彼はいつもはこんなものの言い方をしなかったので、その態度に驚きましたが、それであやまる私ではありません(苦笑)。


…そ。じゃ、どーぞご勝手に。でもそんなんじゃぁお母さんが来るまでには絶対に乾かないよ。


と思いっきり釘をさしてその日、私は自分の家に帰りました。


…六日後、久々に彼の家におじゃましたら、彼の大量の洗濯物はまだ大半が生乾き状態でした。


ほらー、見てみなさいよ!私が言ったとおり乾かなかったでしょー?どーすんの、コレ。


彼はだいぶ反省した様子で、


うん…。みおぼんの言うとおりだったよ。もう明日にはお袋もくるし…。今から仕事に行かないといけないからコインランドリーに行く時間もないし…。はぁ~…。


と、シュンとした顔でため息をついた彼。

これからお母さんが来日するっていうのに、しかも私は初めて対面するのに、こんなザマは彼女として恥ずかしいし絶対に見られたくないので、私は彼が仕事に行っている間、大量の洗濯物(その内、下着は過半数を占めています)を一枚ずつ丹念に、家に一台だけの縦型ヒーターで一生懸命に乾かしました。


…なぜ、せっかくの休みなのに私がこんな事を……?


途中泣きそうになりながら、なんとか全ての洗濯物を無事、乾かすことが出来ました。

仕事から急いで帰宅した彼は、無事に乾ききった大量の洗濯物を見て、


ありがとー、みおぼん!ホントに助かったよー!ありがとう!!


と言いながら、私をきつく抱きしめました。


それからというものの、洗濯物を一緒に干す際は素直に私の指示に従って動いてくれるようになりました。


結局、彼の個人の性格なのだと思いますが、うまく直せて(?)良かったです。


…でも、昼下がり、彼のアパートで一人ぼっちで大量のパンツを懸命に乾かす作業は、自分でもかなり切なく感じました………。


巌流島


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彼と彼の元ルームメイト、オーストラリア人のRは「宮本武蔵」が大好きです。

彼が好きになった理由は、この友人Rから借りた英語版の「MUSASHI」という本を読んだのが始まり。

元々Rは日本へ来る前、元カノからプレゼントされたというこの本を読んで、武蔵の生き方や考え方にとても共感し、その興味もあって来日したのですが、それがルームメイトである彼の手に渡り、彼も武蔵にはまってしまったのです。


彼らは非常にラッキーな事に、偶然にも宮本武蔵ゆかりの石碑や場所などにとても近い街に住んでいました。


そこで、私は私自身もまだ行ったことのない巌流島へ3人で一緒に行こうと誘ってみました。

すると二人は目を輝かせ、「うん、行く!」と即答。


数日後、私達は門司港駅に到着し、そこから歩いてすぐの船着場へ。

ここから巌流島行きのシャトル便が出ているので、早速乗り込みました。

私達は潮風が大好きなので、中には入らず、二人はタバコを吸いながら、私はじっくりと海を眺めていました。


10分程して巌流島に到着。

話には聞いていましたが、想像以上に小さい島で高い山や丘などもなく、あっという間に島を一周することが出来るほどです。

次の便が来るまで彼と友人Rはたくさん写真を撮り始めました。


もう二人ともかなりの興奮状態。

二人で武蔵と小次郎の対決のシーンを再現したり、彼は草っぱらでバッタを見つけると子供のように追いかけだしたり、いくつかの歴史的なお社のようなものがあったり、武蔵が乗ってきたようなボロボロになった木の小船が砂浜に打ち上げられてる場所があったり、だいぶ人工的な感じもありましたが、武蔵好きにはたまらないと思います。


じっくり堪能して、ちょうどタイミング良く門司港へ帰る便がやってきたので、それに乗って島を後にしました。


夕日に照らされて遠ざかっていく島を、私達はちょっと切ない感じで見送りました。


二人は帰りの電車の中でずいぶん私にお礼を言ってくれました。

単に私は巌流島へ行くまでのアクセスを軽く調べて、案内がてら私自身楽しんだだけなので、そこまでお礼を言われるほどの事は何もやっていないのですが…。みんな楽しめたし、いい思い出が出来たのでそれが何よりです。


この日、私と彼は仕事がお休みだったのですが、友人Rは実は仕事があったそうで、結局遅刻して出勤したそうです…。


ちなみに、友人Rは巌流島の事を「舟島」と、元々の名前で呼んでいます(笑)。





彼のお母さん来日 その4


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彼とお母さんが京都・奈良・兵庫の旅行から帰ってきました。


京都では金閣寺や清水寺、奈良では東大寺や興福寺、兵庫では姫路城などを観光してきた二人は、とても良かったと満足げに旅の話を代わる代わる私にしてくれました。


もうすぐお母さんがカナダへ帰るということで、彼がお母さんについでに持って帰って欲しいもののパッキング作業などを一緒に手伝いました。

シワになっても構わない服とそうでない服を聞きながら、より多く詰めることが出来る方法をなぜか私が教えたりしてお母さんと彼とせっせと詰め込んでいきました。


そのあと、彼の大量のパンツ(下着)やシャツなどの洗濯物を取り込んでどんどんたたんでいき、衣装ケースにしまった後は、旅の間に出た汚れものを洗濯機に投入し、終わったあとは洗濯物を次々と干していきました。

この作業の際は、お母さんは手伝おうとはせず、キッチン横のバルコニーのガラス戸のところに立って私達の動きを時々眺めていました。

洗濯物の干し方については、お母さんが来日する一週間程前に彼と口論になり、結果私の意見が通り、私の指示に従って動いてもらった為、なんとかきちんと干すことが出来ました。


翌日、彼とお母さんの3人で門司港と下関へお出かけしました。

私達が住んでいる街から近く、かつて私は門司港にある雑貨屋さんに勤めていた経歴もあることから、特に門司港エリアに関しては土地勘がありましたので、二人を案内することが出来ました。


彼はこのエリアが好きで、叔父さんが来日した際も、私が仕事中の時は二人で近くの小さな山へ登っていったりした程で、その理由は、「歴史的な建造物があるのはもちろんだけど、門司港と下関を定期船が繋いでいたり、ちょっとのんびりしたムードや、海と山の距離が近かったり、目の前には関門橋が通っていたりして何だかバンクーバーに似た雰囲気だから。とのこと。

人というのは、自分が慣れ親しんだ環境に似た所へ行くと、親近感が湧きやすいのだろうなぁとその時思いました。


一通り観て回ったあと、お腹が空いたので市民の足でもある定期船に乗って下関へ。

乗船時間は約5分ととても短く、あっという間に私達は下関に到着。すぐそばには唐戸市場があったり、お母さんと彼はあとで見てみたいと言ったので後ほど行くことに。


下船してすぐ目の前に小さな食堂があるのですが、そこは安くておいしく、特にふぐのから揚げやフライがおいしかったので、そこで昼食の時間をとることにしました。

ふぐ刺しの丼とふぐのから揚げ、フライ、お吸い物と香の物がセットになったものを3人で注文。

以前、一緒にデートした時にここを訪れた彼はいたく感動し、その中でもお吸い物は初めて食べた日本料理の一つでとても気に入ったようです。それを、今回お母さんにも勧めていました。

お母さんも味噌汁とは明らかに違う初めての味に感動していました。日本の繊細な味を褒めてくれると、とても嬉しく思いました。


食べ終わり、唐戸市場へ移動した私達ですが、時間からしてもうとっくにセリの時間は終了しており、市場内の出店もその日の営業は終了してしまった所もいくつかあったのですが、それにはあまり気にせず楽しんでくれたのでちょっと安心しました。


それから周辺の神社を観て回りました。

下関は様々な歴史の舞台となった場所ですが、神社・仏閣が多い土地でもあります。

港からすぐ近くの二ヵ所の神社に行ったのですが、最初に訪れた神社は、大きく段数の多い階段が上までずっと延びていました。そこを上りきると、たくさんの桃の花や水仙などが咲き乱れ、私達を歓迎してくれました。

お花や自然が大好きな二人は写真をたくさん撮っていました。


神社の中では何かの行事があったようで中には入れませんでしたが、いっときすると唐衣を身にまとい、頭には金色のすかし編みのような細かい作りの飾りを着けた幼い子供達がわらわらと出てきました。

全部で20人ぐらいの子供達は年の頃は4,5歳ぐらいで、女の子はきちんとお化粧をしてもらっていて、とてもかわいらしく華やかでした。


せっかくの機会なので、私はその子達の保護者の方に撮影の許可をいただき、写真を撮らせてもらいました。

お母さんは子供達を見ると顔がほころび、とても嬉しそうでした。

写真のモデルとなってくれた子供達もとてもいい笑顔でした。


そして神社を後にし、もう一つの神社へ。

その神社は私も一度は行ってみたかった所だったのですが、前回訪れた時には時間がなく行けませんでした。

朱色がトレードマークでもあるこの神社は、建物の作りなどがとても素晴らしく、その形状からして中国や韓国などの異国の影響を多少なりとも受けているのかしらと思わせるほど、どこかエキゾチックな雰囲気を醸し出していました。


大きな門の上部には同じく大きな菊の紋章が配され、私達はそこで一緒に写真を撮りました。

後に、この写真は彼のお気に入りの一枚になりました。


その神社も後にし、私達は晴れた空の下、海のそばの遊歩道をゆっくり歩きました。

その途中、世界地図が地面に大きく描かれてある広場を発見し、少しの間だけ寄ってみました。


小さな日本からカナダがある北米大陸まではやはり遠く感じました。

お母さんは私達が地図の上で遊んでいるのを少し離れた所から眺めていました。その間にお母さんから写真を撮られていたことに私達は気付かず…。


この日の夜はうちの母も交えて2回目の会食に。

彼がお気に入りのお好み焼き屋さんで、今日の出来事を母に話しながら4人でおいしくいただきました。

実は最初にお母さんと会食した際に、お母さんからカナダのお土産と贈り物をいただいたのですが、私達はお母さんや家族へちょっとした贈り物のお返しをしました。お母さんはビックリして、気を遣わなくてもいいのに…と言ってくれましたが、和柄のハンカチや小物を見てとても嬉しい表情をしていました。


私は久しぶりにポストカードサイズの用紙にオリジナルのイラストを描きました。

自分の中では「幸せな雰囲気」が頭の中にイメージとして浮かび上がっていましたが、あまりにも抽象的過ぎてイマイチビジュアル化するのに手間取りました。

それでもなんとかアウトラインは定まり、一気に描き上げていきました。

バラの花に囲まれた幸せそうに目を閉じる女性の顔を、ややローアングルから全て点描で描いた私は、お母さんがこのイラストを受け取った時の表情を思い浮かべながら心を込めて仕上げていきました。

インクの色がチャコールだったのと、スモーキーピンクのパステルと色えんぴつで色づけをしたこの作品は、レトロな雰囲気を上手く出せたように思います。


お母さんに手渡す時緊張しましたが、私のイラストを見たお母さんはとても驚き、感動してくれました。

そしてあたたかいハグもしてくれました。製作時間にどのくらいかかったのか?と訊かれたので、約7時間です。と答えると、目を丸くしていました。お母さんは大きくて長く、平たいポーチに慎重深く私のイラストをしまい込み、これは私の宝物の一つだわ。と嬉しそうに言いました。彼女の笑顔と、イラストの女性の微笑みが私の中で重なった瞬間でした。


食事のあと、街で一番高さのあるホテルの最上階にあるバーで飲むことに。

ここからの眺めは、周辺に遮るものが何もない為とても視界がひらけていて、特に夜景がキレイなので連れていきました。

スコッチやワイン、カクテルなどを思い思いにオーダーし、街の喧騒から離れた静かな空間でゆったりとお酒を愉しみました。


お母さんはこの日本に来ることが出来てとても嬉しかったと語ってくれました。

息子やその新しい彼女の様子も知ることができ、私の母とも会ってこのように話を出来て良かったとも。

私達もまた、とても満ち足りた気持ちでした。

初めに感じていた緊張感はすっかりどこかへ消えていました。

閉店間際までいた私達は、自分達がいた席とは反対にある夜景を堪能し、家路へ。


次の日はお母さんの帰国する日でした。

お母さんは新幹線で東京まで行き、成田からカナダへ帰るため、私と彼は駅まで見送りに。

最後に、ゴディバのチョコレートと共に私にくれたものは、グリーンキャッツアイの石がついたブレスレットでした。

来日した最初の日、お母さんが私にくれた最初の贈り物の一つに、ゴールドとシルバーカラーのシンプルなアンクレットがあったのですが、後日着用してみた際、私には若干サイズが大きかったのをお母さんは気にしていたのでしょう、同じくシンプルなデザインのブレスレットをくれたのです。


もうすぐセントパトリックスデーだから、その日身につけていくといいわ。


と、渡してくれました。セントパトリックスデーのシンボルカラーはグリーンなので、その日何か一つグリーンカラーの物を身につけるという点で、今年は何を身につけようかと悩んでいたので助かりました。


これからも会える機会があるというのに、急にものすごく寂しい気持ちがこみ上げてきました。

この二週間という短い期間に、予想もしていなかった程私達の間には深い情が出来ていました。

私はポロポロと涙を流しました。

そんな私を見たお母さんも涙を流し、私を強く抱きしめてくれました。


次はみおぼんがカナダにいらっしゃい。私達は大歓迎だから、ね。


と涙がまだ残っている目ではっきりと言ってくれました。

彼が、まだ泣いている私を抱きしめ、なだめてくれました。


いよいよ出発の時間になり、彼はお母さんとハグをし、お母さんを乗せた新幹線は遠くに消えてしまいました。


お母さんと過ごした二週間は私達にとってとても素晴らしく、また、貴重な時間となりました。




彼のお母さん来日 その3


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翌日、私と彼は仕事がお休みだったので、お母さんと三人で改めて街案内をしました。


お母さんが一番興味を持っていたのは街の市場。

どこの国へ行っても庶民の生活が垣間見ることの出来る市場巡りは、私も旅をする上で必ず見るポイントの一つなので、お母さんと気が合いました。


私の街で特に大きな市場が二ヵ所あり、そのどれも見たいということで早速連れていきました。


カナダではお目にかかれない珍しい食材や、市場独特の匂い、雰囲気にお母さんは子供のように目を輝かせながら、「あれは何?これはどうやって調理するの?と興味深々でどんどん私に質問をしてきました。


この頃には、まだ日本語はあまり話せませんが、私の言いたいニュアンスを彼はうまく汲み取ってくれ、より分かりやすくお母さんに伝えてくれたので、とても助かりました。


二ヵ所目の市場を案内し終わった後、ぶらぶら歩いている途中、彼に急用ができ、少しの間抜けるので先にアパートへ帰っていてくれと部屋の鍵を預かった私は、急にお母さんと二人っきりになってしまいました。


今までは必ずといっていい程彼が側にいたので、言葉の面では安心していましたが、いざ二人っきりで残されると大丈夫かな、ちゃんと意思の疎通はかれるかな?と不安になってしまいました。


ですが、せっかく彼のお母さんがわざわざ遠いカナダから来てくれ、縁あってこうして出会えたのですから、英語が流暢に話せる・話せないに関わらず、自分の感じたこと、考えたことなどを自分なりに伝えようと思い、積極的にコミュニケーションを計っていきました。

無言なんてのはもってのほかですし、何より相手に対してそれはとても失礼な態度であり、また、もし自分がお母さんの立場ならすごく悲しいことです。


お母さんは私からのちょっとした質問に対しても丁寧に答えてくれ、予想以上に話は大盛り上がりし、彼の家には真っすぐ帰らず、彼のアパートの周辺を案内しながら、私達はいつまでもぺちゃくちゃおしゃべりに花を咲かせていました。

そんな時に彼から電話が。


おーい、二人とも今どこにいるんだー??家に帰ったらドアが開いてなくて鍵をみおぼんに預けているから入れないよー。


意外にも早い帰宅に私達の方が驚き、くすくす笑いながらすぐに帰ることを伝え、早々に電話を切りました。


ちょっとしたお菓子を買うぐらいの時間はあるでしょ。本人には少し待ってもらいましょう。


と、お母さんの余裕の一言で私も真顔でそうですね。そうしましょう。と即答し、アパートに戻ってから一緒に食べようということで、彼の家のすぐ近くにあるコンビニでお菓子を買い込み、帰り着きました。


彼は半分呆れ顔で、ドアの前で腕を組んで待っていました。

この日はルームメイトは仕事で不在の為、誰も開けてくれる人がいなくて少しかわいそうだったかな?と思いましたが、言いませんでした。


でも、急に仲良くなった私達の様子を見て、彼はどことなく嬉しそうな表情を浮かべていました。


どんなに言葉をうまく話せても、その内容がマイナスなものや心がこもっていないと何の意味もないと私は思います。

時々周りの人でそういう日本人と会うことがありますが、言葉はかなり話せるのにやたら下品過ぎる内容のものばかりだったり、人の悪口が多かったり理屈っぽくなり過ぎて妙に攻撃的だったり、勘違いな言動が多かったり、同じ日本人に対してしたらすごく失礼な言い方を外国人・日本人問わず平気で言ったり…。

英語がカタコトであっても、最低限、そういうタイプに陥らないようにと常日頃肝に銘じています。


そのせいでしょうか、意外にも今回のようにコミュニケーションがすんなりといきやすい私です。

彼が以前、私に話してくれました。


言葉は技術よりも、話す人の気持ちが大切だよ。その思いが、言葉の壁を越えるんだ。だから君の考えや行動は間違っていない。


自分の考えに心から共感してくれ、ハッキリと言葉にして言われたら、ものすごく嬉しかったことを憶えています。

今、国内・外において語学の勉強をされている方々に、一番伝えたいことです。



彼とお母さんは次の日から京都と奈良、兵庫へ旅行に出るため、二人とは数日明けてからの再会になります。