高野山と空海と丹 | われは河の子

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ブラタモリ高野山編第2話。

弘法大師空海は高野山の奥の院に未だにいらっしゃるらしく、
毎日二度の食事も1000年以上毎日欠かさず運ばれているんだとか。

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高野山奥の院にて。

空海は永遠ですが、たった30年ほど前にこれだけあった私の髪は絶滅寸前です。
ナニコレ?パーマまでかけてやがんの!
今ではロッドに巻く事すら叶いません。

私の話はどうでもいいのですが、
問題の空海さん。

死期を悟ってから長い五穀断ちに入り、深い瞑想を続けて印を結び、入定したのは貞和2(835)年3月21日と伝えられます。

「自分は56億7千万年ののち、必ず弥勒菩薩とともに全ての仏弟子を救うために下生し、わが跡を訪れるだろう」といい残して。

7日目に蘇生したキリストに比べてなんとおくゆかしいことでしょうか!

56億年後の蘇生のためには肉体を保持しておかなければなりません。
エジプトのファラオも同じようなことを考えましたが、カラカラに乾燥しているエジプトとは違い、湿潤高温な日本で肉体をミイラ化させるための方法が
漆を飲むとか水銀を飲むとかというやり方でした。

丹こと水銀、あるいはその原料となる朱砂は不老長寿の妙薬として崇められましたが、
それは現世での不死ではなく、死後の不老長寿だったのです。

実際に遺体の腐食を抑える働きがあるそうですよ。
強い毒性によって菌やバクテリアの繁殖を防ぐんでしょうね

昔の人は馬鹿な考えで命を縮めたと考えるのは簡単ですが、
水銀は、化学的にみても金、銀、銅をはじめとする貴金属と容易にアマルガム(合金)を形成する特徴をもつことで、いわゆる錬金術(東洋においては錬丹術)の中心要素でした。
化合させてから水銀だけを蒸散させることで、生の金銀が生まれるのです。
奈良の大仏の金メッキもこうやって造られました。
西洋での賢者の石(エリクシール)とはまさにこの朱砂のことだったのですね。


古代のこれを支配していたのがスサノオであり、
それを奪ったのがアマテラスなのでしょう。 
さらに時代下がった時に、それを獲得したのが空海さんというわけです。

実際、これもブロ友の砂漠の月子さんのナワバリの、宇陀水銀鉱山あたりから丹生を経る鉱脈から産出される水銀を使って、伊勢白粉という特産品が作られました。
高野山と伊勢がその恩恵を独占したんですね。

起源を西暦に置き換えにくい伊勢神宮の歴史と、9世紀以降の高野山の歴史はリンクし難いように思いますが、
それはうまくしたもので、両部神道という中世に形成された神道密教があるのですが、これは複雑すぎて私にはよくわかりませんね。
ただ、大雑把にいえば、ブラタモリでも紹介された密教の哲学を表す曼荼羅の金剛界と胎蔵界は、イザナギとイザナミであり、それを受け継ぐアマテラスとツクヨミが仏教でいう「日天子」と「月天子」に習合しました。

ここでもアマテラスとツクヨミの弟であるスサノオは仲間外れにされています。


え、ナニいってんのかわからない?

大丈夫、私にもよくわかっていませんから。

まぁ、高野山と伊勢神宮と朝廷に莫大な富をもたらしたであろう空海さんの水銀(丹)は、
実は空海さん自身の不滅のための必須アイテムだったんだろうというお話です。


あ、そういえば、
タモリが自身の前世はカッパだったって公言しているのはご存知ですか?