今日テレビによく出ていた
メンタリストの優生思想のような
記事を目にしました。
あんまり人のことに
ダメ出しとかしたくないのですが
この思想は危険だと思うしやっぱり
影響力ある人が口にするには多くの
思慮が欠けていると感じました。
なんて言いながら…
私自身も若かりし頃はですね…
周りの人への思慮・配慮が
欠けていた時期があると思います。
いつ死んでも構わないと自暴自棄に
なっていた20歳前後から仕事頑張って
一人で食べていけるように
なった20代後半の頃。
ここで状況が大きく変わった時に
心の成長が追いついてなかったん
だと思います。
(今でも成長過程ですが…)
この時は
自分は一人で頑張ったみたいに
考えている時期でした。
その時の気持ちとしては、
何針も縫うような怪我を負わされても
田んぼの真ん中に置き去りにされても
お医者さんも警察官も誰も誰も周りの大人たち
助けてくれなかったっていう思いがあって…
大人は誰も誰も助けてくれないっていう
思いが強すぎたんだと思います。
誰も助けてくれなかったじゃないかと
環境も社会も恨んでいたと思います。
だから私は一人で頑張った。
仕事もたくさんしてゼロから頑張って
やっと食べていけるようになった
みたいな気持ちがあって。
これが自負みたいになっていて。
弱い人をみると
頑張れ!潰れるな!這い上がれ!
とは思っても手を差し伸べるような
優しい心は持てていなかったように
思います。
自分で歯を食いしばって
這いつくばってでも必死で這い上がれ!
みたいな。
ただ、そんな時にも
正しく優しいモヒートが横にいたのが
私が間違った方向に突き進まなかった
理由だと思います。
彼女は正しく優しい。
ホームレスの人にも心を寄せられる人です。
何故あの歳になってそういう状況に
なってしまったのか。
かわいそうじゃない?と…
かわいそうじゃないよ。
頑張りが足りないだけと言う
私によく説いてくれました。
(モヒートさん宗教とか変な思想家ではないです!)
頑張らなかったと切り捨てるのは
簡単だけど、世の中に起きる物事は
そんな単純なことではない…
何故そうならざるおえなかったのか
そこに思いを巡らせることが大事と
説いてくれました。
前にも少し書きましたが
黄金の絨毯の本を教えてくれたのも
実はモヒートです。
私が今大事にしている言葉。
「日本人は生まれた瞬間に世界最高の
インフラ・安全・パスポート持っていて、
日本人は生まれた瞬間に黄金の絨毯の上に
生まれたようなもの」
あともう一つ大事にしている言葉。
上野千鶴子さんの東大の祝辞で
話題になった言葉。
私自身フェミニストではないし
彼女を全面的に支持しているわけでは
無いのですが、この言葉は好きです。
うざいという感じる人が多かったことが
少し残念だなーーと。
そして今日みたいな記事を目にすると
能力ある人こそこういう気持ちでいて
欲しいなと思いました。
かなりの人がうざいとも感じたみたいで
賛否両論あるのでしょうが…
私自身は誰の言葉であれ
こんな人ではありたいと思ってます。
以下、引用になりますが
自分への戒めも込めて![]()
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がんばったら報われるとあなたがたが思えること
そのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、
環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」
と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、
あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、
やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、
がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて
心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」
「どうせわたしなんて」とがんばる意欲を
くじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、
どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを
貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために
使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、
支え合って生きてください。