小説家 北田薄氷 | 墓守たちが夢のあと

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梶田家の墓

 

北田薄氷

 

 日本画家・梶田半古の二度目の妻は尾崎紅葉門下の小説家・北田薄氷(本名:尊子)です。明治9年(1876)大阪で生まれ、弁護士の父に従い東京へ転居。
 東京府高等女学校へ入学しますが母親が亡くなったことから兄弟の面倒を見るため中退。私立学校「女子文芸学舎」(現・千代田女学園)に入学し国語、漢文、英語を学びます。
 小説家を志した尊子は、尾崎紅葉に師事。明治27年(1894)18歳の時に師尾から授かった「薄氷」の名で「三人やもめ」を発表し評判となり、「乳母」「鬼千疋」「黒眼鏡」「白髪染」など、封建的なしがらみの中で生きる女性を描いた作品20編ほどをのこします。
、明治31年(1898)日本画家の梶田半古と結婚しますが、新婚生活は、一男を出産したものの病気がちで、2年を経た明治33年に腸結核で25歳の生涯を閉じています。
 なお、同じ尾崎紅葉門下である泉鏡花の「薄紅梅」に登場する女主人公は薄氷がモデルであると言われています。

東京都豊島区染井霊園  一種イ4号2側