こんにちは!
ミント新宿店MLB担当のホソミです。
今回紹介していく選手は、MLBの長い歴史の中でも投打に人気と実力を兼ね備えたスター選手たちが際立って多く在籍していた1990年代に活躍した選手でした。
1990年代といえば、NBAでマイケル・ジョーダンが大活躍していた時代ですが、MLBでもバリー・ボンズやマーク・マグワイア、フランク・トーマスなどに代表される長距離打者たちが活躍した時代であり、グレッグ・マダックスやロジャー・クレメンス、ランディ・ジョンソンら球史にその名を残すスーパーエースたちが君臨していた時代でもありました。
そんな群雄割拠の時代の中で、傑出した実力と歴代最高クラスの人気を誇ったのがシアトル・マリナーズのスター外野手、ケン・グリフィー Jr.氏でした。
2019 PANINI NATIONAL TREASURES Treasured Signatures / Ken Griffey Jr. 47/49
18000円
2000 UPPERDECK SPX Autographs / Ken Griffey Jr.(表面キズあり)
20000円
ケン・グリフィーJr.は同名の父親ケン・グリフィーSr.もレッズ等で活躍したメジャーリーガーであり、早くから注目を浴びる存在でした。シアトル・マリナーズから全体1位の指名を受けて入団したグリフィーJr.は、入団2年目19歳にしてメジャーデビューを果たします。
その後、フェンスを越える打球にも追いつく圧巻の守備能力と勝負強いバッティングでチームのレギュラーに定着した彼は、デビューから5年目となる1993年に45本塁打を放ち、大ブレイクを果たしました。その年の活躍は凄まじく、本塁打数をはじめ、得点、塁打数でも当時の球団記録を塗り替えました。
続く94年に入っても彼の勢いが衰えることはなく、6月終了前に30本塁打を突破する大活躍を見せ、その年のオールスター投票で当時の最多得票数を記録しました。
94年はその後MLB全体でストライキが起きたために本塁打の記録は伸びませんでしたが、40本塁打で自身初の本塁打王のタイトルを獲得。その年の活躍でグリフィーは名実ともにメジャーを代表する選手となりました。
その後も1997年に56本塁打147打点、OPS 1.028を記録し、満票でリーグMVPを獲得。この年から3年続けてア・リーグ本塁打王に受賞するなど輝かしい実績を残し、いつしか彼は90年代最高の選手と呼ばれるようになりました。
2000年のレッズ移籍後は度重なるケガの影響もあって成績を落としてしまいましたが、現役引退の2009年に古巣マリナーズに復帰。翌2010年をもって現役を退きました。
以上の通り、グリフィーは間違いなくリーグでトップクラスの実力者でした。しかし、彼は実力だけでなく、その人気もリーグの中でずば抜けた存在でした。
特にマリナーズの地元シアトルでは、生え抜きのスター選手であるということももちろんながら、その美しいスイングや気さくで親しみやすいキャラクターから絶大な人気を誇り、イチローやエドガー・マルティネス、ランディ・ジョンソン、アレックス・ロドリゲスなど名選手が数多く在籍していたマリナーズの球団史においても、最も支持を集めたプレイヤーでした。そのため、『グリフィーが建てた家』とも称されるセーフコ・フィールド(現T-モバイルパーク)のゲート外には彼の銅像が建てられています。
そのスター性は、イチローをはじめとした後のスター選手たちにも大きな影響を与えました。
それら全ての点において、グリフィーはまさに90年代MLBを象徴するスーパースターであったと言えます。
キャリア通算で2781安打、630本塁打、1836打点。7度のシルバースラッガー賞に10度のゴールドグラブ賞、13度のオールスターゲーム選出などの輝かしい実績に加え、ステロイドなどの疑惑とは無縁のクリーンな選手だったことも高く評価されて、有資格1年目となった2016年に当時史上最高となる得票率99.3%を経てアメリカ野球殿堂入りを果たしました。(現在は2018年マリアノ・リベラの100%が最高)
これを受けてシアトル・マリナーズはグリフィーの付けた背番号『24』を永久欠番に指定しました。これは『42』以外ではマリナーズ史上初となる永久欠番でした。
以上、最後まで読んで下さりありがとうございました。
イチローもあこがれたシアトルの英雄の一枚、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。