2007年、走り旅の思い出-佐倉街道(成田街道)-2 | 日本全国ぶらり街道一人旅

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タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

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2007年、1月8日、佐倉街道(成田街道)の第二日目
この日も快晴で、走り旅にはもってこいのコンディション

東葉高速鉄道の八千代緑が丘も新興都市だったが、京成のユーカリが丘駅も
高層ビルのマンションが立ち並び、この辺り来た事がなかったのでびっくりだった

成田街道はほとんど296号線を通るのだが、残された旧道も多少あり
手繰橋と云う所を渡って左に入ると急激な登りになる、ここが旧道らしい

この旧道の中に妙覚寺と言うお寺があり、その門前に、雷電為衛門の石碑がある
子供の頃漫画で見たがこんな所で会えるとは思わなかった

やがて佐倉に入り、佐倉城跡が右手に見える、佐倉城は東方の搦手を守る
重要な拠点として、家康が土井利勝に命じて築いた城だ

佐倉城は、土井利勝や堀田正睦など、徳川譜代の重臣、幕府老中クラスが
任じられる格式の高いお城だった

佐倉の街は新旧入り混じった落着いた良い街で、旧道も残されており
瓦葺屋根のりっぱな旧家があったりした

やがて蘭学通りに入っていく、順天堂発祥の地、佐倉順天堂記念館が見えて来る
後で調べたのだが、「弥勒坂道蘭学通り商店街案内図」に下記の謂れが書いてあった

揺れ動く幕末、この時期順天堂に学んでいた塾生は100人を越えていた
若き塾生は、江戸に新しい蘭書が入ったと聞くと、夜を徹して江戸に向かったという
ここ弥勒坂道は新しい文化と出会うために夢をいだかせた”蘭学への道”であった。

道は本佐倉を左折して旧道を行き、51号線と合流する、合流して一つ目の信号を
右に入るのが旧道、ここはこの街道中最も旧道らしい所だった

入っていくと竹林が続き、道は険しい登りである、竹林を抜けると右手には
冬田が広がり、日本の田舎の風景が展開する、成田街道最高の見せ所です。

成田山新勝寺は初詣客でごった返していた、今年も無事に走り旅が出来る事を
お参りして帰路に着いた

本文はここ
  ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/minosun/45195677.html