はじめまして^ - ^

 

東北の宮城県仙台市を

中心に活動をしております。

 

スポーツメンタルコーチの

です^ ^

 

今私は、

高校生や大学生のアスリートを中心に

チームから個人までメンタル面から

目標達成のお手伝いをさせていただいおります。

 

個別に関しては、

主に直接お会いして行なっておりますが、

(遠方の方はzoomやLINE電話で)

 

チームに関しては

全国各地へ飛び回っております!!

 

主な実績としては

 

関西プリンスリーグへの昇格

 (兵庫県 三田学園高等学校サッカー部)

 

宮城県大会優勝・東北大会優勝・インハイ初出場

 (宮城県 仙台育英学園空手道部)

 

 

少し長くなりますが

 

私のこれまでのストーリーや

 

どうして

メンタルコーチを

目指し、そしてなったのか?

 

私自身を知ってもらう為

赤裸々にお伝えしていこうと

思います!!

 

 

それでは

お付き合いください^ ^

 

 

   荒れた家庭環境   

 

1989年5月11日

茨城県古河市という所で

私は誕生しました。

 

家族構成は

父、母、そして

10歳上の兄の4人家族。

 

私は末っ子でとても

兄のことを慕っていて

 

兄も末っ子の私のことを

とても可愛がってくれました。

 

しかし、

 

夫婦関係良いとは言えない

家庭環境で育ちました。

 

夫婦喧嘩が絶えない家庭環境を

私は選んで生まれてきたみたいです!!笑

 

とにかく

夫婦喧嘩の絶えない家庭でして

(詳しくはショッキングすぎるので伏せますが)

 

私は

喧嘩が始まるのと同時に

身震いが始まっていました。

 

 

今はだいぶ落ち着きましたが

人が怒鳴っているのを見るといまだに

身震いをする時があります。

 

 

そんな夫婦喧嘩を見てて

 

私は小さいながら

 

『どうして父と母はこうなんだろう?』

 

『なんでお互いが自分が正しいと押し通すのだろう?』

 

と考えていました。

 

 

 

ある日算数を父に教わっている時に

どうしても分からなくて

 

何回も「どうして?」

 

と質問をしていたら

 

怒られ、

そのまま教えてくれなくなった

経験から分かる振りをするようになりました。

 

 

分かっていないけど

分かっている雰囲気で

相槌をうつ。。。

 

 

これは自分の成長をはるかに

遅くさせる癖にもなりました。

 

 

正直に「どうして?」

と質問することによって

 

 

『相手に不快な思いをさせるんではないか?』

 

 

と思って、なかなか質問や

自分の意見を言えないでしました。

 

 

『他人に不快な思いさせるんであれば

   自分が我慢すれば良い』

 

とも思っていました。

 

 

特に目上の人に対して

その傾向が強かったと思います。

 

 

なので、

親はもちろん

先輩やコーチや監督には

自分の意見を言うのは苦手でした。

 

 

今振り返ると

当時からメンタルについて

興味があったんだと思います。

 

 

そして、

勉強して思うのが

これは科学的にも立証されてますが、

家庭環境で子供性格が育まれるんだな〜

 

と実感しました。

 

 

ただ、そんな家庭環境下でも

 

 

大好きなサッカーを

やらせてもらえたことは

本当に感謝しています。

 

 

おそらく

 

サッカーがなければ

あまりよろしくない道に

行っていたかもしれません。。。

 

 

実際に中学時代には

そのような誘いが

たくさんありました。笑

 

茨城なので、、、笑

 

 

しかし

 

 

サッカーがあったから

サッカーに専念できていたから

今の私があるのだと思います。

 

 

サッカーに専念できたのは

紛れもなく両親のお陰です。

 

 

そう考えると

スポーツに感謝と同時に

スポーツをやらせてくれた親には

感謝してもしきれません。

 

 

順風満帆なスポーツ生活 〈小学~中学〉◆

 

幸運にも運動神経は

とても良かった幼少期

 

 

足も小学生ではまぁまぁ速い。

身長も小学生では大きいほう。

 

 

兄の影響で小学2年生から

野球を始めました。

 

 

当時は本当に野球が大好きで

巨人の試合をTVで見ながら

ジャイアンツの選手になりきり

相手投手の投げるタイミングに

合わせておもちゃのバットを

振っていた程でした。

 

 

そのおかげで

打率は8割でした。

 

 

 

しかし

 

 

どうしても勝ちたかった大会で

負けてしまい。

 

 

仲間のミスのせいにして

仲が良かった友達が

サッカーをやっていたのもあり

サッカーへ転向しました!!

 

親や野球のチームメイトからも

泣きながら止められました。

 

 

その止めてくれた相手というのが、

後のプロ野球選手・・・

 

 

元ソフトバンクホークスで活躍していた

塚田正義選手です。

 

 

しかし私は、

当時の家庭環境がボロボロで

別居をしていることもあり

そして、すでに野球をやりたくない

心が固まっていたため

その呼び止めにも動じず

野球から身を引きました。

 

 

塚田選手にはそれ以降、

会えてないです。

 

もし会えるなら

本当にありがとうと

直接伝えたいと思っています。

 

 

そして

 

サッカーへ転向、

サッカーへ転向してからも運良く

身体能力のおかげで

半年で地区の選抜チームに選ばれ

 

 

 

当時の夢は

当時のイタリア代表が

好きだったということもあり

 

高校卒業したらプロになり、

Jリーグで活躍して21歳か22歳で

セリエAでプレーして24歳には子供を産んで~

 

なんて事を

小学校の将来の夢を書く

授業の時に書いた記憶があります。

 

 

今でいう

本田圭佑選手であったり

イチロー選手みたいな

細かな目標設定ができていました。

 

 

そのおかげなのか?笑

 

中学1年生の時に

茨城県の選抜チームに選ばれ

 

 

その2年後の中学3年生の時に

当時の関東トレセン候補

(現在のナショナル候補)まで

推薦していただきました。

 

 

海外でプレーすることは

本当にプレーできる!!

 

 

中学生までの私は

本気でそう思っていました。

 

ただただ、

サッカーが大好きでした。

 

 

初めての壁 〈高校・前編〉◆

 

『海外で活躍する』

 

『必ずプロになる』

 

という強い気持ちを持ち

 

入学した高校では

最高ランクであるS特待という

評価をいただき

 

スポーツ推薦で同じ茨城県の

強豪校へ進学しました。

 

 

高校では親元を離れ

寮生活をしていました。

 

 

そして

 

私が入学した時には

2つ上の先輩に

 

様々なチームを渡り歩き活躍した

元プロサッカー選手の

金久保 順さんがいました。

 

 

 

他の先輩方のレベルもとても高く。

 

[スピード・技術・体力・強さ]

 

全てで3年生には

歯が立たないと感じました。

 

 

そしてなにより

1番プレー面に影響を与えたのが

古くからの悪しき習慣である

1つ上の先輩と後輩の関係性でした。

 

 

まぁ昔はどこにでもある

先輩からのすごい教育ですよね!!笑

 

 

例えば

 

 

点呼が終わったら

先輩に呼び出され

 

 

特に何もしていないにも関わらず

先輩が気に入らないというだけで

 

 

正座をしながら説教をくらう!!

 

 

約1時間半!!笑

 

 

座布団なしの途中で

モジモジできない正座は、

歩けなさすぎて逆に笑えます。。。笑

 

 

などなど他にも

 

 

食事のことや~

チャリダッシュのことや~

早朝草むしり~

 

と身内ネタなので

これ以上は話は自粛します!!笑

 

 

今でこそ笑い話ですが

 

当時はそんな笑い話にもできず

 

無意識に先輩の機嫌を

損なわせないような

私生活での行動であったり

プレーをしていました。

 

 

『プレー中に感情を出す』

 

 

ことができてなかったので

思い切りの良いプレーなんて

できていませんでした。

 

 

このころからだっと思います

 

他人の目を気にして

プレーするようになり

 

監督などの評価や

チームメイトからの評価も

敏感になっていました。

 

 

あんなに好きだったサッカーも

全然好きになれていませんでした

 

 

そんなこんなで

1つ上の先輩方とサッカーを

することが嫌になった私は

高校2年生の時に寮を脱走しました

 

 

この話はすご~く長くなるので

お時間がある時に下記のリンクから

読んでみてください!!

 

 

【2006年のこの時期、私は脱走しました。。。】

【その1】

【その2】

【その3】

【その4】

【ラスト】

 

 

人生最大の挫折 〈高校・後編〉◆

 

そして、

そんな私も3年生になり

最高学年になり

下級生を引っ張っていく

立場に変わりました。

 

右葉曲折はありましたが

 

3年生の中で話し合い

 

自分達は

先輩にやれらてきたことはやらず

自分達の代で終わらせようと決め

 

後輩がサッカーに集中しやすい環境を

つくるように心がけました。

 

そのことが功を奏したのか

高校サッカーの最後の大会

 

全国高校サッカー選手権大会

茨城県予選

 

優勝

 

第86回全国高校サッカー選手権大会

 

の全国大会へ出場を果たしました。

 

 

 

しかし

 

ここで、同時に

個人的に大きな挫折も

味わうことになります。

 

 

 

私のポジションはFW

 

FW(フォワード)とは

点を相手から奪うことに特化した

ポジションです。

 

主な有名選手でいうと

 

・クリスティアーノ・ロナウド 選手

・ハーランド 選手

・シェフチェンコ 選手

・ロナウド 選手

・岡崎慎司 選手

 

など点取り屋の象徴の

FWというポジション、

 

 

そんなチームの攻撃的な

ポジションにも関わらず、

 

 

なんと

 

 

茨城県予選の初戦から

全国大会1回戦まで

(PK戦の末、宮崎県代表:日章学園に敗れました。)

 

 

ほとんどの試合で

スタメンで出場しながら

 

 

決めたゴールの数は

 

 

 

 

0ゴール………

 

 

 

 

 

これには本当に

笑えませんでした。

 

県予選の2回戦、3回戦は

格下との対戦がほとんど、、、

 

 

対戦相手の方には申し訳ないですが、

 

『格下相手にも点が取れないのか・・・』

 

そう思っていました。

 

 

今振り返れば

 

そのリスペクトに欠ける意識

パフォーマンスを発揮できなかった

原因の1つでもあると考えています 。

 

 

そして、自分の中ではありますが、

 

『自主練を人よりもやってきた』

 

と思いが強かった為、

 

練習しても結果に

結びつかなかった事

何よりも悔しくて悔しくて

そこから自分で自分を責め続ける

ようになりました。

 

 

ちなみに

こんな感じで責めていました。

 

 

『俺はつかえないな!!』

 

『どうして俺は結果をだせないんだ!!』

 

『いくら練習しても大事な時に結果を出せないんであれば意味がない』

 

『どうして俺はダメなんだ!!』

 

 

全国大会が終了し引退をしてから

ずーーーーーっとそのことが頭から離れず。。。

 

 

もともと注目選手でも無く

 

 

結果の出ていないFWには

当然、スカウトの目に留まるはずも無く

高卒プロ入りという夢は潰えました。

 

 

いつの間にか

 

 

輝かしいはずである

全国大会に出場したという経験

恥ずかしいと思ってしまう程でした。

 

 

夢を諦める 〈大学〉◆

 

当時、大学サッカーには

とても興味が持てず

 

 

ヨーロッパサッカーが

大好きだったのもあり

 

 

高校を卒業したらすぐに

海外はスペインにサッカー留学を

希望していていました。

 

しかし、

 

親や兄の方針もあり

結局、大学に進学。

 

 

ちょうどよく指定校推薦内で

スペイン語を学べる大学があった為、

 

 

拓殖大学に入学を決めました。

 

 

もちろん

サッカー部にも入部しました。

 

ここでも2つ上の先輩に

現在、川崎フロンターレで活躍している

小林 悠選手がいて、

紅白戦をやったりしていました。

 

振り返ると本当にいい思い出です。

 

 

しかしいくつかの弊害がありました。

 

 

今まで勉強のべの字

してこなかった私にとっては

勉強でついていくことで必死。。。笑

 

 

さらには

はじめての1人暮らし

はじめてのバイト

 

 

などとサッカーだけやっていれば

良かった環境では無くなった為、

その環境に慣れることがとても大変でした。

 

 

そして、追い討ちをかけるように

 

 

ここでもまた家庭環境に

嵐が吹き荒れました。。。

(何があったからは伏せますが。。。)

 

 

 

当時の私にとっては

相当なショッキングなことだったので

当時の精神レベルでは処理しきれず

 

 

 

母からは

『大学だけは辞めるな!!』

と言われていたので

 

 

なんとなく

優先順位が『学校』になり

 

 

志半ばでサッカーから

身を引くことを決めました。。。

 

 

サッカーを諦めることが

どういう意味なのか頭では

分かっていました。

 

 

サッカーをやめる = 大学を行っている意味がなくなる

 

 

それでも大学は卒業してくれと

母から頼まれていたので

通い続けました。

 

 

その日以降、

私の心にはポッカリと

大きな穴が開いていました。

 

 

小さい頃からの

夢を手放して。。。

 

 

自分には何も残っていない。。。

そんな想いに押しつぶされてました。。。

 

 

大学生活は実にチャランポランで

色々な人に迷惑かけていたと思います。

 

 

遊んでも遊んでも

心のそこから楽しめていない。。。

 

 

全然、マインドフルでは

ありませんでした。

 

 

そんな状態でもなんとか

大学を無事卒業しました。

 

 

 

そして夢・目標の無いまま

社会人になりました。

 

 

外資系営業会社で ◆

 

めちゃめちゃ外資系という響きは

カッコいいですが、、、

 

業務委託で完全歩合制の営業会社でした。

 

完全歩合制なのでお給料はというと

 

月に1つも売れなければ0円という

とても厳しい世界でした。

 

 

業務内容的には

飲食店の割引チケットを

個人の家に飛込み営業を

していくというものでした。

 

これを2年半つづけました。

 

 

何も知らなかったからこそ

できた仕事でしたね。。。笑

 

 

しかし、

この仕事を通して

 

目標設定の重要性だったり

 

目標と達成する為の考え方であったり

 

自分自身をコントロールする

ことの大切さだったり

 

多くの気づきを与えてくれた

場所でした。

 

夢を失い目標もなかった

私にとって本当に衝撃的で

 

この間に

 

日本一

売り上げを2回達成

 

することができました。

 

 

この時に

 

アメリカや世界的に有名な

アンソニーロビンズの著書を

読んでいて

 

コーチングについて

興味が湧いていました。

 

『日本でもこんな仕事ないのかぁ~』

 

なんてことを薄々思っていました。

 

と同時に、自分が現役で

サッカーをやっている時に

 

『こんな人が側にいたら

絶対に違う結果になっていた!!』

 

と思ったのです。

 

 

 

◆スポーツメンタルコーチとの出逢い◆

 

部下の面倒を見る立場になり

ここで大きな壁にぶち当たります。

 

 

『部下が育たない。。。』

 

 

そして

 

自分自身の売り上げが上がらず

イライラする日々が続きました。

 

 

そんな時に

 

Twitterで後の

スポーツメンタルコーチの師匠になる

鈴木颯人さんにフォローを

されたのがきっかけで

 

『 日本に俺がやりたい仕事を

    やっている人がいるじゃん 』

 

と知ることができました。

 

 

すぐに『目標設定』の

セミナーに参加。

 

 

最初は、

自分自身の学びと

部下にも還元できたら良いな~

という思いで参加をしました。

 

 

そして

 

コーチングってなんだろう?と

疑問があったので

体験コーチングも受けました。

 

 

そこでは

 

 

今の悩みをばーーっと話し

これからの目標を話しました。

 

 

体験なのにこんなに

充実したものなのか!?

と思いました。

 

 

  蕁麻疹を発症させて失神

 

そして

 

その1週間後の2014年6月17日

蕁麻疹を発症し失神しました。

 

 

その週はたしか

出張で山梨県にきていて

 

出張2日目の朝だったと思います。

 

ふと目が覚めたら

蕁麻疹がでてました。。。

 

 

中学生の時に

 結構な頻度で蕁麻疹がでていたので

ひさびさに蕁麻疹でたなぁ~なんて

思っていたら

 

動悸がして、、、

 

『ヤバイ、、、トイレに行かなきゃ』

 

と思い部屋のドアを開けた瞬間に

床へ吸い込まれるように

倒れこみました。。。

 

 

びっくりしました。

 

 

まさか蕁麻疹で倒れると

思っていなかったので。。。笑

 

 

 

 

今思うと、

「自分がやりたい」と

思っている仕事を

している颯人さんとの

コーチングを受けてから

1週間後ということで

もしかしたら好転反応

だったのかもしれません。

 

そして

 

その半年後に営業への

熱が覚めてしまった為

身を引くことになりました。

 

 

  スポーツメンタルコーチを学び始めて~

 

辞めたと同時に

 

颯人さんが始めて

スポーツメンタルコーチになる為の

資格講座を開催することがわかり

すぐにその講座に申し込みました。

 

 

そこから

スポーツメンタルコーチになる為の

勉強が始まりました。

 

 

 

 

そして

学べば学ぶほど

現役時代の自分に聞かせてやりたい

ことばっかりだったのです。

 

 

結果を出せなくて必死で頑張っている

アスリートから

 

 

すでに結果をだしているが

さらに高みを目指していきたい

アスリートまで

 

 

さらには

 

営業マンや経営者と

 

幅広いジャンルで

役に立つものだと確信しました!!

 

 

今までの自分の人生は

とても色々なことが多く

ありました。

 

 

このような経験をしてきて

嘆き、悲しみ、不満愚痴

言い散らかすことも可能です!!

 

 

実際に

 

「どうして俺の人生は・・・」

 

などと嘆いていた時期もありました。

 

 

しかし

このスポーツメンタル

との出逢いにより

そのようなことはマイナスな発言を

言い散らかすことは

絶対にしたくないと思いました!!

 

 

なぜか?

 

 

私たちは自由に選択できて

私たちは自分の好きなように

物事をみることができる

 

それが分かったから

 

 

 

『ピンチはチャンス』

 

という言葉がありますが

まさにその通りで

 

 

物事には必ず二面性があります!!

 

例えば

怪我をした事実に対して

 

「ヤバイどうしよう。。。」

というピンチの側面もあれば

 

「身体を強くすることができる」

というチャンスの側面もあります

 

どちらの側面をみるのか?

それは自分自身で

決められるということ

 

 

これを知ってしまったからこそ

どんな状況でも

夢を諦めて欲しくない

充実した競技生活を送ってもらい。

 

その手助けになれればと強く思い

スポーツメンタルコーチになろうと

決意しました。

 

 

さらにいうと

 

 

このような

変わった家庭環境

結果の出せなかった現役生活などを

経験をしてきた私だからこそ

 

 

より一層、

選手(クライアントさん)に

親身になることができるし

 

 

つらい心理状態でも

寄り添って乗り越える方法を

お伝えすることができます。

 

 

親しみやすさは他のコーチよりかは

あると自負してます!!笑

(あえて自分で言うスタイルですw)

 

 

私はどんな状態や状況でも

 

 

私たちの

心の中にある木を大きく育て

大樹にすることができます。

 

 

それが心の豊かさとなり

 

 

それがパフォーマンスの

向上につながり競技人生を

最高のものにすることに

つながります。

 

 

それだけにはとどまらず

人生そのものに大きな影響を与え

最幸なものになると信じています。

 

 

現在は二足のわらじで

アスリートをサポートしていますが、

 

 

1人でも多くの

アスリートの幸せに貢献する為、

日々、精進してまいります^ ^

 

 

すごーーーい長文を読んでくださり

ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

これが、

スポーツメンタルコーチ

吉野 稔の全貌です!!笑

(細かなところや複雑なところなどはかけていないので、もし聞きたかったら会いに来てくださいね♪)

 

 

 

 

これからよろしく

お願いしますm(_ _)m

 

 

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