昨日は特に夜のフラッシュバックが酷くて

少し発狂してしまった。

本当に気が狂ってしまう。

生きることの不安なことひとつが急に頭から出てくると

連鎖的に色んなものが偶発したり

繋がったり

そんなことでおかしなくらいに汗をかいて

心臓が早く動き落ち着かなくなる。



俺はそうなった時にいつも

違うことに目を向けるために楽しい妄想や

空想を描く。

実際寝る時なんて気を紛らわすことでできるのは

頭の中で考えることだけで

俺が良くない記憶や思考に邪魔されるなら

安らかに少しでも寝るためにできることなんて

それくらいしかない。



日常でなんの前触れもなく

ふとした時に調子はどうだと言わんばかりに

突拍子もなく現れてくる。

呼吸は止まるし

それらがストレスで怒声がでる。

これは長い時間をかけて段々酷くなっている。



くまが酷いから病院に行った方がいいと数ヶ月前に

同期に言われたがまだ行ってない。

当たり前なことが

何一つできない。

できたことができなくなって

やり方って皆教えてくれるけど

戻し方なんて知らないから

俺はいずれにしてもぶっ壊れた状態で今後も生き抜く。



薬や娯楽もただの

壊れた人生の一時のごまかしでしかなくて

常に俺には不安がつきまとい

お陰様だ。



幼少期の頃のあの無限に動けた体なんてどこにもない。

思い描いたかもしれない覚えてもいないけど

楽しい人生は見つかりませんでしたと

昔の自分に教えてやりたい。

君はこの後すぐに親に死んで欲しいと言われ

皆俺を好きじゃなくなって

俺も人を好きになれず

楽しさや人生の豊かさを捨て

ドブのような苦痛の中で

ただ自分の生きることの証明を繰り返すそんな人生だと。



眠ることもままならず

食事も満足にできず

身体も弱って

人を憎んで自分も周りも許せずに

死んでいくだけ。



終わってる人生。

見事だとしかいえない。

こんなに惨劇のような人生に誰ができるのか。

自ら捨てたのは

諦めたのは

お前でもあったから、と言ってあげたら

俺は早めに死ねたかもしれん。



この人生は

できるだけ生きることがくだらないことだという

答えを見つける旅で

それは俺にとって容易かった。

ひとつのおかしな部分は

掘り下げていくと元から芯が腐った根っこだったということの連続であって

人生はそんな腐りきってそして小さな土台に

大きなものを何も考えずに誰かが置いていく。



俺は人が楽しいこととか

幸せや将来的な希望、未来を叶えるために生きている部分とは逆行してる。

その因子は境遇や運的要素

文化も人も今までのことが絡んでできたことだが

でもそれを決めた責任は俺だ。



俺は死ねなかった自分信じてるんですよ。

自殺しくった時って

色んな人から後ろ指をさされて

誰も味方なんかいなくて

寝たきりで、死ぬしかなくて

毎日泣いて、毎日死んでやるとか

誰も生きて欲しいと思ってないくせに

綺麗事ばかり吐いて、皆呪ってやるって

人生なんてもうダメで

皆んなが楽しいことしてる時に

俺はいつもこんなんで

それも隠して必死に繕って

障害患って

それすらも罵声あびせられて

死ねとか使えないとか

生きる価値もないと値札つけられて



つくづく

俺って正しい判断だった。

世界が綺麗で素晴らしいと言うなら

そこに俺の居場所はないし

俺はそこを信じなければ

いようと思わない。



同級生や先輩が

将来の志望校とか夢とか語ってる時に

俺は自宅のドアノブで首吊って

周りや大切な人に丁重に扱われ

応援され鼓舞されてる時に

俺は泣きながら遺書書いて



生きてる道なんて皆違うとか

それでも同じ人間とか

馬鹿なんじゃねえの。

生きる価値生きる意味生きてる尊さ

命の尊厳

人の情

価値観

文化

総じて役に立たねえよ。



確実に死ねてたあの日は意識が消えたのに床に

落ちててしくじった。

でも俺が死ぬ決断ができたのは衝動で

その衝動には

今までの過程がある。



人間が楽しいことをするというのにもその前に楽しさをしることや

人生の目的をはっきりさせるところから始まって

俺はあの頃から変わっていない。

なにひとつ。



俺はあれから考えて少し経って

ひとつひとつ

人生における自分の存在意義と

生まれた経緯

愛の存在

信用の存在

生きることについて

はっきりさせるために生きることにした。



そして目一杯馬鹿で愚かな人間を笑ってやるために生きようと思った。

少しでも強くなって。

反吐の出るような腐った温い中で生きてるヤツらが

泣き叫んで辛いと喚く社会で

弱い人間を大いに笑ってやった。

あの時散々笑われ

バカにされてきた記憶は忘れない。



人に助けられ

人に縋って

支えられてようやく立ってるようなやつばっかりだった。

それは常に一緒であり

人をいじめるやつも

殴るやつも、どうせ誰かが何とかしてくれるから

そこに甘えて強がれてるだけだった。



俺は。今までの恨みや

人生で失ったものや壊された尊厳の復讐と

その自分自身が生きていることと

過去のこと全てを踏まえた証明のために生きているようなものだ。

もう中身は無い。

それを始めた段階で

楽しさや幸福とは無縁だったように思う。



傷ついても

今たとえ寝られなくても

それは俺が健やかに死ねる大きな理由や原動力に貢献してくれる。

俺はもう生きることが良い事だと錯覚するようなことに出会いたくもないし

死ぬ間際にいい思いしたら

すごく死ぬのが嫌になっても困る。

俺は常にこうでいなければ

願ったように死ねないと思った。



だから俺は常に不幸じゃなきゃいけない。

たったひとりとは誇らしい。

苦痛抱えて、その中で誰の手も借りずに生きてきた自分だから死を信じることができるだけで

それ以外には何も無い。

この人生には値打ちはない。

100人いたら100人が幸せな人生を選ぶ。



俺はあの時死ねなかった自分に同情するが

それを許せはしない。

お前が死んでいれば

俺は出会わずにすんだ人や

俺を覚えずにすんだ人がいた。

それはこの先生きるだけ可能性は高まる。



この苦痛もなかったかもしれない。

必要のない苦しみはなかったとしたら

初めから楽だった。



俺の記憶の呼び戻しは

証拠を沢山持ちすぎただけの事。

どれをとっても

俺は生きるのに向いてないんだと

いつも思わせてくれるし

その連続でできるトラウマは

消しようもない。



俺は世間の人々がもっと沢山生きて

大いに笑って

手を取り合って清々しく生きることを望む。

俺みたいな人はいらない。

ひとりの方が気楽な俺には

ひとりで死んだ方がいい人生なだけで

一緒だと思うような同情するやつはクソ喰らえ。

俺はこのままで

今日も明日も生きねばいけないだけだ。