寝起きの青い口周りはお互い様。
これが異性間だったら夜と朝の差を感じてしまうのかもしれないが、自分も同じ現象が起こる生き物なのだ。
ちょっと濃いのがうちの彼氏。
そこが可愛いんだよっていうのは、異性にも普通の同性にも理解できないことかもしれない。
ただ、朝特有の鼻にかかるような声は、チャンミンと朝を過ごして好きなもののひとつだということに気が付いた。
開かない目とか、鼻声とか、そんな状態で懐に潜ってくる仕草は、俺の所有物感を大きくしてくれるようで。
夜の卑猥な姿も、朝の甘える姿も、その差でさえも、全てが俺によるものだと思うと、男として満足するものがあるんだ。
そういう部分でとても相性がいい俺達は、やっぱり添いながら生き続けることが合ってると思ってる。
体も、心も、魂でさえも、添って絡んで溶け合うように生きていくのが合ってるんだと思うんだ。
体が溶け合えれば、心が混ざりあって、魂も融合できる。
久しぶりに見つけたこの一目惚れは、俺にとって大きな大きな転換期になったのかもしれないな。
足りないものが見つかったような。
欲しかったものが見つかったような。
相性という言葉を超えた何かを、見つけたような。
そんな気分の朝だった。
眠たい目をどうにかして出勤出来るまでにするには、数分間のキスと、「愛してる 」の交換が必要になる。
チャンミンの今朝の荷物には絵本が数冊入っていて、リュックの隙間からその角が見えていた。
重たそうにしてスーツを着た上からリュックを背負う。
何かの修行レベルのその重さには、チャンミン曰く俺の為の荷物が多々入っているらしい。
そんなに一緒に居られるわけじゃないし、体調不良だって保健室に行けばそれなりの常備薬はあるのだが。
それも愛だと思って有難く背負ってもらっている。
手を繋いで部屋を出て、出勤する。
お互いの青い髭もすっかり綺麗になくなって、朝日と重なるチャンミンの笑顔はとても綺麗だと思った。
俺の出勤時間に合わせて部屋を出るのだが、少し時間が出来るチャンミンは、学校の近くのカフェなんかでカフェインを注入している。
ふたりでカフェに入って、軽く物を腹に詰めて、朝の会話を楽しみ、俺が先に店を出る。
今日もその予定で、互いにモーニングのセットを頼んで席に着いた。
重たそうにリュックをソファに降ろして撫で肩を回し深く座る。
モーニングトーストとコーヒーを注文して、静かな店内で甘いひとときを過ごす。
運ばれてきたコーヒーに、チャンミンが俺のカップに砂糖を入れて混ぜてくれる。
「ミルクは?」って聞いてくる上目使いと声が愛可愛くて、頬を撫でてやったら嬉しそうに目を細めて。
チャンミンに任せて砂糖とミルクが入ったコーヒーを頂く。
その味は、ふたりの間の甘さに比例しているようにも感じた。
『今日、社会とかで図書室行きたいな、』
うちのクラスは今日は図書の時間は入っていない。
『今調べますね、』
トーストを食べていた手を叩いて、重たいリュックを持ち上げ、中から手帳をとりだす。
丁寧に時間割を書き込んでいるらしい。
『6年生の時間が2時間目にあるんですが、先生達と確認してみてください。あ、時間割変更とか聞いてないから、低学年のクラスとも話した方がいいかもしれないですね、』
今は運動会の練習が入って、どの学年でも様々な授業が変更になっている。
イレギュラーばかりな時間割で当たり前の時期だ。
『わかった、ありがと。もし行けそうで、連絡出来そうならするよ。』
『はい、2時間目がいいな。5時間目とかだと僕は途中でいないから。』
『うん、そうだネ。』
チャンミンがいないと、図書室に行く意味がない。
行くならチャンミンがいる授業がしたい。
少しでも長く。
少しでも一緒に。
熱々のトーストをふたりで頬張って、パンくずを取ってもらったりしているうちに時間が迫ってくる。
『チャンミン、あのさ、』
昨夜の想いは、今朝になっても変わらなかった。
その事を少しだけ声にしたかった。
『教師って、多分、誰もが同じ指導は出来ないと思う。』
そこには教師としての信念や情熱、ポリシーが含まれる。
多分この仕事はそういうものが教師という人間に必要だ。
心が教育現場の困難に負けるのも、勝てるのも、これの持ち方次第だと思うから。
排他的に生きればそつなくこなせる。
情熱的になれば自分を信じて進むことができる。
どちらも長く勤めるには必要なことかもしれない。
『そこに教師という人間味が必ず出るからだ。』
チャンミンは頷いた。
『俺は、チャンミンがしている仕事もそうなんだなって思うんだ。』
『え?』
『指導が出来る出来ないの立場の違いはあるけど、子供達にとってチャンミンがしてくれていることは、チャンミンの人間性による支援だって思ってる。』
『…、』
『俺はあの日の図書室でのチャンミンを見てそう思ったんだ。』
俺とチャンミンはどんな立場や環境であっても友達なんだと、子供達に話したあの日のこと。
あの日はチャンミンでなければ、心から本当の気持ちと言葉で子供達に伝えることは出来なかった。
チャンミンと臨んだ授業だったから、完成させることが出来たものだった。
『俺はまだチャンミンがしている仕事について知らないことばかりだ。でも、チャンミンが持っている本質は、チャンミンの仕事になっているんだなってわかったんだ。』
『ユンホ…、』
『チャンミンが学校の中で選ぶもの全てが、きちんと考えられていて、そして「人として」っていう部分が込められているのを、すごくすごく感じられるんだ。』
今学校の中に足りないものを持っていて、静かに発信し始めたんじゃないだろうか。
チャンミンがしてくれる仕事は、教室だって職員室だって、子供達の家庭の中だって変えられる力を持っているんじゃないのかなって思う。
じゃあ、それは一体なんだろう。
チャンミンという人間から俺が感じ取ったものの名前は、なんだろう。
多分それは、俺だって教師として忘れてしまいがちなものだ。
現代の俺たち大人が、忘れてしまいがちなもの。
『チャンミン、昨日の続きだけど、どうしたいか、素直になってもいいんじゃないかなって俺は思うよ。一晩お前のこと考えて、やっぱりそう思う。』
『…、』
時計を見て、急いで残りのトーストとその他を口に運ぶ。
チャンミンの手は止まったままだった。
ソファに置いたリュックからは、やはり絵本の角が見える。
チャンミンはどうしたいのだろう。
何を望んでいるのだろう。
そして俺には何を望んでくれるだろう。
コーヒーを飲み干して全てを胃の中に落とす。
チャンミンの手に口元を拭われて準備完了。
自分のリュックを背負う。
『じゃあ行ってくる、図書室行けるか分かったらすぐに知らせるから。』
『うん、いってらっしゃい、気をつけて。』
チャンミンの頭を撫でて、肩を抱いて、背中を擦る。
カフェを出て、学校に向かう。
朝がまた少し明るくなった。
チャンミンは何を気にして、何と何を天秤に掛けているのだろう。
チャンミンがこの学校で働きたい気持ちは俺にも伝わっている。
チャンミンが学校の仕事に専念すると、どんなことに支障が出るのだろう。
学校と今までの仕事は兼任出来ないのだろうか。
立場が変わるのだろうか。
雇用形態が変わるのだろうか。
チャンミンはまだ、何も言葉にはしていない。
「…、ユノと離れるのが、なんだか怖くて。」
これまでのチャンミンの言葉を思い出す。
引き出してみる。
「私は、それがユンホ先生でしたよ。」
「結婚してくれるんでしょう?」
「ねえ、結婚しよう?」
「ちょっと大き過ぎるお嫁さんだけど、いいかな。」
何かが見えた気がした。
学校へ向かう足が止まっていた。
チャンミンはもう、答えを見つけているんじゃないだろうか。
どうしたいのかっていうのは、もう決まってたんじゃないだろうか。
そこに新しい選択が現れて、チャンミンは自分の選択を重ねようとしていたのではないだろうか。
チャンミン。
お前、そこは俺に言わせたいんだよな。
そういうことだろう?
最初から素直になっていたんだよな?
ほら、やっぱり俺は大切なことを忘れていたんだ。
チャンミンが子供達に言いたいであろうことは、大人の俺にも言いたいことだったんだ。
チャンミン。
来た道を戻る。
カフェに戻ってくると、外からも窓の外をぼんやりと眺めるチャンミンの姿が確認出来た。
モーニングのトーストだって減っていない。
『チャンミン、』
『ユノ、』
カフェの従業員に軽く頭を下げて席に戻る。
驚いた顔で見上げる顔はやはり可愛い。
『どうして、』
『チャンミン、俺はお前が学校の中で言いたいことがわかったんだ。』
『え?』
『お前は、人の心を考えるということ、「そうなんじゃないか」って考えさせることが狙いなんだろう?』
『、』
『最初から決めつけるんじゃなくて、相手の心を予測したり考えたりして言葉や態度を選べる成長を期待してるんだろう?』
『…、』
『諦めるんじゃなくて、どうにかするために本を読んだり人に聞いたりする選択ができるような成長を期待してるんだろ?お前の、自分の仕事に。』
『っ、』
『生きるための選択を豊富にするために、お前は大切なことを学校で発信してるんだって、意味がやっとわかったんだ。違うか?』
チャンミンの目が揺れる。
水分が盛り上がる瞬間。
当たりなんだろ?
大きく頷く。
頭は下がったままだった。
それからようやくチャンミンが声を発した。
『びっくりした、突然そんなふうに言い当てられちゃうと、困っちゃうよ。』
頭を下げたまま目を拭う。
『俺、そういうの、教師の俺達の仕事だと思うんだ。でも、俺達教師がみんな忘れてる。親の目を怖がって、自由になんかさせてやれてない。』
顔を上げた。
目にはうっすらとした涙。
そして俺の目を見てもう一度頷く。
そしてもうひとつ、ちゃんと言いたいこと。
当ててみせたいこと。
チャンミンが望んでいること。
これを言うために引き返して来たんだ。
『チャンミン、この学校で可能な限り、俺といよう。』
『、』
『お前はやりたい仕事をしていたらいい。』
『ユノ…、』
『俺がお前の責任をとるから。』
『え?』
『足りないものは助けてやるから、お前はお前の願いを通して働いていいんだよ。』
『…、』
『働く夫婦って、多分そういうものだから。』
『ユンホ…、』
『身軽になっていい。チャレンジしていい。ちゃんと俺が、お前の人生、責任とって幸せにするから。』
なあ、チャンミン。
お前の頭の中にはふたりのチャンミンが住んでいるんだよな。
誇りを持って勤める男としての自分と、愛する人に愛されて生きる自分が住んでいる。
チャンミンは今、そのふたりの自分の共存で揺れていたんじゃないかな。
俺といる家庭での時間を夢見ることと、新しい世界に目覚めた興味と関心。
そのふたつの共存を探していた。
俺に願ってた。
多分。
そうなんじゃないかな。
リア充して満たされて働きたい。
そうなんだろう?
『答えはみつかったか?』
多分カフェの従業員も、他の客も聞き耳を立てている。
こちらを見ている視線を感じる。
でも俺には時間がない。
遅刻ギリギリだ。
チャンミンは顔を上げた。
目の縁まで赤くして、頷く。
それから、微笑む。
目が半月になって、笑った。
『はい。』
『うん、じゃあ、黙って俺についてきな。』
『はい。』
『よし、じゃあ、行ってくる。』
『はい、あ、少し、待って、』
胸元の襟を掴まれる。
テーブルを跨ぐようにして顔がチャンミンの方へ引き寄せられる。
重なるだけのキスをされた。
ほんの一瞬のキスだった。
『ありがとう、ユンホ。新しい夢が出来たの。』
『うん、』
『僕はもう少し、誰かに必要とされたい。』
『うん。』
『人にも、場所にも、本にも、それから、』
『うん、』
『あなたにも。』
『うん。』
『あなたに望まれる人でありたい。』
『うん、もう、なってる。』
『ふふ、僕はワガママだから、もっともっとなりたいの。』
『知ってる。』
それから数秒間、とても近い距離で見つめられる。
額にかかる前髪を梳いてやっても、視線が動くことはなかった。
『いってらっしゃい、今日、図書室で会えること、願ってます。』
そう言って元の距離に戻ったけれど、チャンミンの目は、腹を括ったような、賭けに出たような目の強さを持っていた。
約束は出来ないけど、多分会える気がする。
多分ね。
俺達って予感とか直感とか本能とか、多分そういうの強いよね。
いってきます。
頬にキスを返して、学校へと向かう。
男として、大人として、愛する人の責任を取れる為に生きることも、多分幸せなことだと思うんだ。
それで愛する人が何かに安心して生きていくことが出来るのなら、喜びが生まれるのなら、そうやって人と人が成り立っていけば、きっと平和の種撒きにすらなる気がして。
俺達大人が伝えることって、そういうことなんじゃないかなって、今強く思ったんだ。
次こそラストです(´◉J ◉`)
にほんブログ村