今までの2回の自我にまつわるエッセイで、第二の自我について書きました。

第二の自我は夢として現れることもあります。

夢を起きた後で思い出すと、

自分の通常の頭では思いつかない話の展開になっていることが

あります。

例えば実家の夢を見ているのに、その実家の隣に

現在の家があり、自分が行き来している。

そしてそれぞれの家族(自分から見て親の家族と子どもの家族)や友人が

相性のいい同士で各部屋に住んでいる。

それを自分はながめていて、「これなら平和だ」と思う。

そんな発想は覚醒時には自分は決して思いつかないだろう。

 

そのような経験をしたとき、ふと感じるのは、

「ではそのような物語を作った主体は誰なのか」

もちろん夢ですから自分しかいません。

でも覚醒時の自分ではありえないのです。

いわば自分の中にもう一人の自分がいて、その自分が

睡眠時に活動し、夢を作っている・・・

 

ちなみにドイツロマン派の文学者、芸術家の多くは

そのもう一人の自分を感じ、作品として表現しました。

たとえばノヴァーリスやフリートリッヒなどの人物です。

 

20世紀の人物で言えば心理学者のユング。

彼は夢解釈を通して、もう一人の自分を育てていきました。

もう一人の自分は意識化し、注目することで変容をとげることがあるのです。

 

もうひとりの自分を意識し、注意を向けること。それも

自己教育のひとつではないかと思います。