さて、当時のことはハッキリと覚えている。


姉は9歳で、私は7歳になったばかりの1988年2月頃のこと。


マミちゃんは、マミちゃんのお母さん(私たちにとってはお祖母ちゃん)が亡くなり、1ヶ月以上眠れず睡眠薬で自殺未遂。姉のブログ「吐き出し」の文章通りです。



初めての自殺未遂をして、ICUから一般病棟に移り、1週間ほどで退院してきたマミちゃんは、父が銀行の預金通帳やお金を自分の良いように使ったり、取ってしまうんじゃないかと心配していた。



一番辛いときに、眠れないと言っても「そんなはずはない。眠ってたじゃないか!」と冷酷に言いはなって話を聞いてくれず、おばあちゃんが死ぬという時も死んでしまってからも、思いやりのある言葉がない父に怒りと不信感でいっぱいになっていたんだろう。



もちろん、病状もあったと思うけど、こんな背景もありました。



私も父が「寝てたじゃないか!あれのどこが寝てないっていうの?」とちょっと横になっていた母の揚げ足をとるように母を馬鹿にしてせせら笑っている光景が何度もあったこと…その父の声の調子も覚えている。



あの時は、退院してきたマミちゃんが「銀行の預金通帳はどこにあるの?見せてほしい。」というような内容を父に言っていた。



父は「預金通帳はあるよ。お前が見てもわからないだろう!俺を泥棒呼ばわりしやがって!俺はお前のお母さんやお祖母ちゃんが何も話てくれてなかったから色々手続きやら何やら大変なんだよ。お前のお母さんは俺を騙してたんだぞ!(病気のことを隠して結婚させられたと言っている)」


というようなことを2人で言い合っていた。



父と母は炬燵を挟んで斜めに向かい合って座っていた。

母はとっさに立ち上がり、台所にいき包丁を手にして戻ってきた。


父は予想もしないことだったんだろう、かなり取り乱し、立ち上がって逃げる体勢を作りながら


「やめなさい!やめなさい!あ、ほんとうにおかしくなっちゃったよ。」


と、いま思えばちょいちょい人格否定的な言葉を盛り込み母の神経を逆撫でしていた。


母はその刃を父に向けて、興奮で震えていた。

ものすごい形相で父を睨み付け、今にも襲いかからんばかりの状態だった。



私は母の隣りに居た。

姉は私の隣りに居て、怖さで小さくなっていたように感じた。


母の様子にほんの少しスキが見えた。母は怖がっていたし、弱さがあった。


興奮して尋常ではない状態ではあったけど、私には絶対に絶対に傷つけるようなことはしないと、子供心に確信できた。

私が近づくと「危ない」という母の心の声が聞こえた。


イケル!


私はわざと包丁の刃に近い取っ手に触れるふりをして「痛い!!!!」と叫んだ。



母はハッと我にかえったようになり、一瞬、手の力をゆるめた。




長くなります。

今日はこのへんで...おやすみなさい。

妹の ちと でした(^_^)/