香港のデモ | 岐路に立つ日本を考える

岐路に立つ日本を考える

 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 香港の学生・市民のデモ活動についてのマスコミの扱いについて、なぜここまで中国に対しておもねているのか、大いに疑問を感じます。

 そもそも問題の根本は、中国側が香港の民主主義を否定し、中国の気に入った人間しか行政長官に立候補できないようにした上で、建前としては「普通選挙」を実施するというまやかしの民主主義に対して、学生らが反発しているということです。つまり、本当の民主主義を実現して、香港市民であれば誰でも立候補でき、誰でも投票できる真の民主主義を実施するということになれば、今の問題は完全に解決することになります。

 しかしながら日本のマスコミは、「香港に来る観光客が減って、経済に悪影響が出ている」とか「親中派のデモも行われていて、香港の世論は1つにまとまっているわけではない」とか、問題の本質とはかけ離れた話題をわざわざ持ち込んで報道しています。親中派のデモは一体何人だったのでしょうか。百人程度の官製デモを20万人とも言われるデモと並列的に扱っている疑いが濃厚ですが、その意図は何でしょうか。

 日本のマスコミに聞きたいのは、香港にまともな民主主義と自治が認められた方がいいのか、香港まで中国共産党の全体主義に飲み込まれた方がいいのかというところです。マスコミが民主主義が必ずしも善とはいえず、全体主義も時には必要なのだという見地に立つのであれば、たとえば特定秘密保護法に対するあの執拗な攻撃は一体なんだったのでしょうか。私はあの攻撃は的外れでしかなく、日本の民主主義を守るためにこそ特定秘密保護法は必要なのだと考えますが、それはともかくとして彼らは特定秘密保護法を民主主義に対する重大な挑戦だとみなし、民主主義を絶対に守り抜かなければならないとして激しい攻撃を行ったのではなかったのでしょうか。その建前を本当に重要なものだと考えるならば、整然と民主主義を求め、催涙弾などを向けられても暴力に走らずに民主主義に基づいた理性的な解決を求める学生・市民の立場を、なぜ全面的に擁護できないのでしょうか。

 そして我々が気をつけておくべきところは米国の態度です。オバマ大統領「米政府は香港民主派デモの状況を注視しており、平和的な対応を期待する」といった、極めて「穏当」なメッセージしか示していません。「香港の学生・市民は催涙弾などによる強圧的な沈静化策に対しても非暴力を貫いており、完全に理性的である。これは香港の市民が成熟した民主主義を実現できる高い能力があることを明確に示している。こうした市民の要求を聞き入れないというのは著しい人権侵害であり、米国としては当然容認できない」くらいのことを言うべきではなかったでしょうか。さらに踏み込んで「このまま民主主義をあくまで抑圧しようというのであれば、香港人が独立を考えたとしても、その心情は理解できる」くらいまで言ってもよかったとさえ思います。それをやらないところに、現在のアメリカの限界を見るように思います。

 そして日本政府の「冷静」な態度にも不愉快さを覚えます。少なくともオバマ大統領と同程度のことは言うべきでしょう。中国は「内政干渉」を盾に当然反発してくるでしょうが、「尖閣列島どころか沖縄まで中国のものだという主張を展開し、沖縄のデモにまで中国人を送り込んでいるのは内政干渉ではないのか」くらいのカウンターを打つべきではないでしょうか。沖縄県知事選を控えたこのタイミングだからこそ、こういう機会をうまく捉えて言うべきことは言う態度へと転換すべきではないのかと思う次第です。


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