現在の教育改革の流れに断固反対する! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 前回の記事の流れをたどって、教育に関する話題を今回も取り上げます。

 第5回の教育再生実行会議で福井文部科学副大臣は「世界トップレベルの学力をベースに、外国語によるコミュニケーション能力・論理的思考を身につける必要」があると話されました。こんな話を聞けば、日本の高校生や大学生が「世界トップレベルの学力」を備えるようになり、母国語だけでなく外国語においてもそうした学力を表現できるコミュニケーション能力・論理的思考を身につけていこうというのだから、大変野心的で結構な目標ではないかと思われる方も多いかと思います。

 ではそのために何をしていくのかというと、「国際バカロレアの導入促進」に取り組むというのが打ち出されています。

 「国際バカロレア」と言われてもよくわからないという方の方が多いと思いますが、欧米において国の違いを超えて通用する高卒認定教育のことだと思ってください。要するに、高卒認定資格として国際バカロレアのディプロマコース(高卒認定コース)を修めておけば、欧米の国の大学受験がそのまま受けられるという話です。(実際にはTOEFLなどを別途要求される場合もあります。)

 この教育の特徴は、知識の量よりも「探究」を大切にし、「教科の枠にとらわれない学び」を実践することにあります。耳障りのよい話ですが、この話はどこかで聞いたことがないでしょうか。実は「ゆとり教育」と理念が同じなのです。実際安倍総理自体が教育再生実行会議の中で「ゆとり教育は発意、政策をつくった人たちの意図は良かった」と発言されています。思った結果は出せなかったかもしれないが、方向性は正しかったという認識であるわけです。ゆとり教育型の教育への回帰を正しい教育改革の方向として企図しているのが、現在の教育再生会議の流れであるわけです。そしてその流れを実現することが「世界トップレベルの学力」への道だと考えているわけですから、ずいぶんな皮肉ではないかとも思います。

 この国際バカロレア教育は英語・フランス語・スペイン語でしか認定されていなかったのですが、一部の教科は日本語でも可能になるように政府が働きかけを行い、日本語と英語の合わせ技で単位認定してもらえるように、国際バカロレア財団(本部スイス)に認めてもらいました。そしてこの国際バカロレア教育を行う「スーパーグローバルハイスクール」として56校をこの3月(平成26年3月)に認定し、これに準じる「スーパーグローバルハイスクールアソシエイト」として54校を認定しました。2018年にはこの「スーパーグローバルハイスクール」を200校にまで拡充する予定です。

 以上の話をベースにすれば、「世界トップレベルの学力をベースに、外国語によるコミュニケーション能力・論理的思考を身につける必要」という福井文部科学副大臣が発言した意味がどのようなものか、具体的にわかってきたのではないかと思います。国際バカロレア教育への転換を文部科学省は企図しているわけです。

 前回私は「スーパーグローバル大学」の記事を書きましたが、今回取り上げた「スーパーグローバルハイスクール」と「スーパーグローバル大学」には実は連動性があります。イギリスのタイムズ社が毎年発表している世界大学ランキングでベスト100に入る大学を、現在の2校(東大・京大)から10校に増やしたいという意図のもと、こうしたトップレベルの大学を「スーパーグローバル大学」に認定するという話を前回書きました。つまり日本の名だたる大学は全て「スーパーグローバル大学」に選んでしまおうとしているわけです。そしてこの「スーパーグローバル大学」の評価基準の中には「入試における国際バカロレアの活用」ということが謳われ、その中にはわざわざ「帰国生に限らず、国内の日本人生徒の有資格者を含み、そのことが明示されているか」という項目も入れられています。国際バカロレア認定校で行われる授業は、従来の日本の高校の授業と同一ではないので、大学入試の際に従来の「知識偏重」型入試の受験をさせたのでは国際バカロレア認定校の生徒達が不利になるから、この点での配慮も求めているわけです。

 構造がよく見えてきたでしょうか。日本のトップクラスの大学を総じて「スーパーグローバル大学」に認定した上で、ここにゆとり教育型の「国際バカロレア」教育を受けてきた「スーパーグローバルハイスクール」出身の生徒達の受け皿を作らせ、この流れを加速していく中で日本の教育改革を実現しようという流れができているわけです。

 「知識偏重の入試から脱却し、意欲や適性も含めた多面的な人物評価で大学進学者を選抜する」という話題を呼んだ入試改革案も、こうした動きと照らしていくと、一貫した思想によって貫かれているものだということがよくわかってくるのではないかと思います。

 さて、このような議論の方向にも、自信を失った日本の姿が端的に表れているとはいえないでしょうか。「知識偏重」の日本型の教育は欧米よりも遅れた教育であり、国際バカロレア型の教育を行う方向に切り替えることでようやく世界レベルになることができると考えているからです。「世界レベル」と言ったらバカにされそうなので「世界トップレベル」と言い変えていますが、国際バカロレアを超えたレベルを構想しているわけでもないのです。

 そもそもイギリスのタイムズ社が発表している世界大学ランキングの評価基準に「外国人教員比率」や「外国人学生比率」があるから、これを引き上げるようにしてランキングの上位に上がるようにしようという発想が、相当に歪んだものだといえないでしょうか。タイムズのこの評価基準では国際言語となっている英語圏の大学が上位に来るようにもともと仕組まれている(英語を自由に使える人材が世界中に豊富にいるから、外国人教員比率が高いとランクが上だとすると都合が良く、外国人が多く学びに来やすくするとランクが上がると都合がいい)と考えるべきで、事実2013-2014のベスト10には、アメリカの大学7校とイギリスの大学3校しか存在していないわけです。そこでのランキングを高めるために、国防動員法もあってスパイ活動が大いに疑われる中国人であっても留学生としてどんどん入れていく政策を展開しているということのおかしさに、日本政府は気付いていないようです。

 教育にいろんな改革が必要だとは思っていますが、現在の教育改革の流れは明らかにおかしいというのが、私の考えです。


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