外交には緊張に耐えることも、時には必要だ! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 国際的なもめ事があったときに、日本が譲歩して摩擦を起こさないようにすればうまくいき、それこそが国益に適う道だという考えに、戦後の日本は浸ってきたように思います。

 しかし現実はそれほど単純なものではないはずです。確かに日本から譲歩することが国益に適うことは全くないとまでは思いませんが、時にはその場での緊張感の高まる道だとしても、その道を選ぶ方が適切だということも、大いにありうる話です。

 このことを象徴的に示すのは、2007年6月にドイツのハイリゲンダムで開催されたG8での、当時の安倍総理の一連の行動です。

 このG8において、安倍総理は中国に対して、胡錦涛主席と首脳会談を行いたいとの申し入れを行いました。この時中国側は、李登輝氏が近々来日することを知っていたため、「李登輝が来日するのであれば、首脳会談の雰囲気は醸成されているとはいえない」というものでした。これに対して安倍総理は「『雰囲気は醸成されていない』というのが『首脳会談ができない』という意味ならば、李登輝氏の来日はすでに決まっていることで変えられるものではないので、それならまた別の機会にしよう」と投げ返しました。

 これに対して中国側は「では来日は認めるが、李登輝が公開の場で講演などで話すのは止めさせてほしい。その場に報道陣を入れるのもやめてもらいたい。」という条件を出してきました。これに対して安倍総理は、「日本には言論の自由も報道の自由も保証されているから、それはできない。中国側のいう条件を全部受け入れなければ首脳会談ができないというのであれば、今この時期に首脳会談を求める気は私にはない。」と答えました。そうすると、最終的に中国側は何事もなかったように首脳会談の受け入れを伝えてきたのです。

 そして胡錦涛主席との会談が予定されていた日の朝に、李登輝氏は何と靖国神社に参拝しました。これに対して日本の外務省が敏感に反応して、「これでは今日の首脳会談がキャンセルになるかもしれない」と安倍総理に言ってきたそうです。しかし、そのようなことは全くなく、普通に首脳会談が開かれました。首脳会談では、李登輝氏のことについてはどちらからも触れることなく、相互に必要な話が行われました。

 またこのG8で、議長国ドイツのメルケル首相から「今回はオブザーバーとして参加している中国を、今後はフルメンバーとして加えたいという意見も出ているが、どう思うか?」という話が出たときに、安倍総理は「この席に座るのは、言論の自由が保障され、指導者が選挙で選ばれているというのが前提条件ではないだろうか。中国がそれを満たしているとは到底言えない。軍事費も不透明で、19年連続で2桁の伸びを示しているし、大量虐殺を行っているスーダン政府を支援し、国際的なルールを守っているとも言えない。従って私は反対だ。」と返答し、中国の正式参加を拒否しました。この安倍総理の筋の通った意見に、メルケル首相も同調し、アメリカのブッシュ大統領も賛同したので、中国の正式参加は見送られたということもあります。

 こうした事実について、私たちはもっとしっかりと知っておく必要があります。相手の要求をまずは呑むところからスタートするのが外交だと考え、交渉の初めからそうした態度で臨むとすれば、それは完全に間違っているということになるでしょう。時には相手に対して一切譲歩せずに強く主張することが、国益になり、日本の存在感を高める役割を果たすことも当然あるはずです。その時に生まれる緊張感の高まりは、気の弱い人間にしてみれば当然避けたいものでしょうが、そこを敢えて耐えなくてはならない時もあるはずです。どうも日本のメディアは、このあたりのことを勘違いしているところがあるのではないかと思います。その上で「日本には交渉力がない」と嘆いてみせることもあるのは、ちょっと無責任ではないでしょうか。

 安倍総理の示した毅然たる態度は、もっと正当に評価されてしかるべきだと私は思います。

 摩擦を回避することが常に最も大切なことだとする、日本の外交に対するマスコミの姿勢はやはりおかしいと考える方は、クリックをお願いいたします。


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