人が集まれば、様々な意見や考えが集まる。
 
私がTwitterを始めたのはツクールフェスというゲームでツクラーさんたちと交流をしたかったからだ。
そうやっていくなかで、有用な情報も手に入ろうし、なにより自分のゲームのアピールになると思ったからだ。
原則は自分のゲームを知ってもらうため。
 
それから色々あってゲーム以外のことでも話をしたり、あるいは普段から懇意にさせてもらっているフォロワーさんもいる。
Twitterはそれなりに楽しく活用させてもらっている。
 
さてさて、こんなことを言い出したのは何やらツクトリのコンテストに色々と思う方がいらっしゃるからである。
仔細は分からないが、なにやら不穏な‥‥トラブルらしきものがあったようだ。
あまり首を突っ込むと火に油になりかねないので軽々に発言すべきではないのだが、ブログでは思うところを述べたいとは思う。
 
一部、そこに書かれていた「Twitterは内輪であり、その中だけで盛り上がっているコンテスト」との旨。
まぁ、半分は間違いではないかもしれないが、何分、ツイッターを発端にしたコンテストだもの。
そりゃ仕方ない。そして、決してTwitter専門のコンテストでもない。
嫌なら参加しなくてもいいし、思い切ってツイッターのクラスタに参加してみるのもいいだろう。
 
何かしら理由があってそういった行動に出ることが出来ない人もいるかもしれないが。
 
私個人としてフリーゲームでは
普段から懇意にしていたり、進捗を出しあったりして楽しそうだな、と感じる方のゲームをプレイしようとする。
それは私自身にもいえることで、だからこそTwitterに私自身も参加しているしアピールもする。相互利益、という感覚だ。
 
興味を持ってもらうためのツール、方法。興味を持ってもらえないと中々手に取ってもらえないし、フィードバックが少ないと感じるから。ツイッターはそういう意味ではいいツールだ。
 
無論、そんなものは不純だと思うのならTwitterでゲーム創作クラスタに参加しなくてもする必要はない。
そういったものがなくても人気のある大作を作れる人はいるだろうし、それを目指すのであれば、そうすればよい。
 
みんなと一緒にワイワイしたいのならそう言えばよいし、毛嫌いするのら離れればよい。
 
よいではないか、内輪でワイワイしたい人はワイワイしていればよいのである。
『自分はそんなやつらとは違う』というなら、そういった人たちの集まりの中で鎬を削るもよし、孤高にゲームを作るのもいいだろう。
 
確かに、Twitterは作者と直接やりとりを行える分、レビューのあり方、言葉の選び方など気を遣う面は多々あり、お世辞にも生粋のレビューか飛んでるとは言いがたいだろう。いわゆる『お上手ね』をするべき場面、振る舞いをする必要はある。
 
が、それも自己選択・自己決定であり別に、周囲など気にせずに淡々とした忌憚なきレビューをTwitterでしてもいいハズだ。
 
自分のいたい場所を見つける。あるいは作る。場に合わせる‥‥。
何を得たいのか、何を我慢するのか。
 
色々と思うことがあり、感じることはあるだろう。吐き出すのもいいだろう。後はそこからどうするのか、である。
 
これは公式のコンテストではない。仕事ではなく有志で行っているのである。
中々大変だとは思う。自由時間に動画まで取っているのである。
 
主催者様のおかげでゲームは集まり、自作も手に取ってもらえる機会も増えた。
そこには感謝の意と労いの言葉を示したい。
 
いろんな意見が集まるところは調整が難しい。
自分の思いが通らぬこともあるだろう。
 
コンテストの内容、取り決め、やり方に納得がいかぬ、不満に感じるならサイトやツイッターの運営に相談・提案するもよし、運営に加わるもよし。代わりに自ら理想を実行するのもよし。
 
はたまた少し言葉にしてスッキリするのなら、それもまたよい。
 
個々の能力には限度があり、要は趣味やよかれと思ってやっていること。
変な話、今すぐにでも「コンテストの中止」をしてもよいのである。
ゲーム制作を中止するように。
 
ただ、それは避けたいし、そうならぬように手伝える部分は協力もしたいし、盛り上げることがそれならできる範囲で盛り上げたい。‥‥というのが自分のスタンスだ。
 
ただ、何かしら不満があった人の気持ちを斟酌してやりたい、という思いも一方ではある。
誰かだけを切り離すやり方ではなく、何か手段をもって大代案や折り合いをつけ、なるべく多くの人が納得し楽しめるモノであってほしいとは思う。
これも、言葉で言うのは簡単で自分でも無責任だとは思うが。
 
何か問題が発生した時にはどう折り合いをつけるのか、は重要なことだと感じた次第である。