ミニマリストは、どう暮らすのか。
ミニマルかつシンプルな暮らしというのは、ただ単にモノを減らすという以上の意味合いがあると思う。
ここ数日ミニマリストになるための行動について考えていると、
おや、これはエコにつながるな、ロハスだな、スローライフだな、と気づくことが多々ある。
それぞれ言葉は違うから、別々のものだと思いがちだけれども、
その本質をよく考えてみると、
生活の質を高めたいという点が共通項として浮かび上がってくる。
たとえば、食事。
ミニマリストの定義を食事にあてはめてみると、
不必要なものを削り = できるだけシンプルな材料で
本当に必要なものだけを = 本当に食べたいものを
と、なるのかな…
なんて考えながら、パートナーの用意してくれた食事を口に運ぶ。
田舎の素朴な、でも最高においしいパン屋まで買いに行ったドイツパンにバター、ハム、野菜、モッツアレラチーズ。
塩コショウだけの味付けだけど、これがびっくりするほどいい味で。
ものも言わずにぺろっと食べる。
私のパートナーは、ミニマリズムの体現のような人物。
対する私は…筋金入りのマキシマリスト。
真逆だから、惹き合ったのかしら、なんてとぼけながら、
私は本当は彼のようにミニマルに生きたいと思っている。
ミニマリストの作る食事も、ミニマルなんだなぁ…
そんな本日のチャレンジは、宅配買取。
先日、有名な某企業の宅配買取に申し込み、今日が集荷の日。
周りはお祭りで騒がしい中、集荷に来てくれた運送業者のお兄さんに感謝。
空の箱を6箱、持ってきてくれたので、
こんなかんじで、ぽいぽい詰める。
6箱、あっという間にいっぱいになってしまった。
午後は、ものを出したクローゼットの模様替えと、さらなる点検。
ひととおり選り分けたはずだったのに、まだまだ出てくる、必要以上のものたち。
多すぎる枚数の下着を選別したりしながら、ミニマリズムとエコについて考える。
こうやってたくさんモノを処分するのは気持ちいいけど、ただ捨てるのは…気が咎める。
誰かが一生懸命作ったものを、まだ使えるのにゴミにするのは。
宅配買取で買い取ってもらい、それが誰か必要な人の手にわたっていくことを考える。
そういえば、何年も何年も、繕いながら着た最初のトレンチコートは、古着で手に入れたんだっけ。
鮮やかな黄色いライナーが、ものすごく好きだった。
誰かにとっては、もう役に立たなくても、
他の誰かのお気に入りになるかもしれない。
助かるシステムだなぁ。
特に、集荷に来てくれるというところがありがたい。
今後も定期的に利用することになりそう。
さて、こうやって取捨選択していくということ、
これから私がすべきことは、
今後家に入れるものは、厳しく選別していくということ。
当たり前のことなんだけど、
なぜか難しいの、マキシマリストには…

