義理の母は体型痩せ型、血液型A形。
わたしの体型はデブ線、血液型B型。
義母からわたしは色々、不要なものであったり、漬物を作っては貰っている生活です。
義母は自分が不要なものであったり、食べきれないものはすぐに他の人へ渡すタイプです。
常日頃、食費の面では助かっていますが、結婚当初から考え方が違うな、と、いう気持ちになることがあります。
先日、わたしの妹の旦那へ、日本酒を持って行ってね。
と、言われました。
素直にわかりました、
と、いい、渡しに行きました。
わたしの夫も日本酒は飲みます。
わざわざ、人を指定して渡してね、と、いうのは、運び役を任されたものにしてみれば、疑問がわきます。
①自分でなぜ渡さないのか
②渡す人を指定するくらいならなぜ運び役に渡す先を任せないのか
こんなこともありました。
義理の父が亡くなった後、使っていた質の良い時計を、義理の父の友人に渡したい、と、言い出したのです。
賛成です。
わたしが、運び役になると、言いました。
時計を預かりましたが、しばらくの間、わたしが、時計を渡していなかったので、義母は気になっていたのだと思います。
待てども待てども渡さないわたしに痺れをきたし、わたしから時計を奪いました。
わたしにしてみれば、これ、幸い。
渡しにいかずに済みました。
ですが、やはり違和感は残ります。
いずれ渡すであろう人を信じず、結局自分で何とか渡そうと思い直したこと。すぐに渡してほしい、という気持ちが強いあまり、わたしが渡すまで待てなかったのであろうと思いますが、渡す物に関しての思い入れが強すぎると、感じます。
わたしだったら、自分の手元を離れればその先、そのものがどうなろうともなんとも思いませんが、義母は違います。
渡した物を有効に使ってほしいのです。
こんなこともありました。
未使用品のオムツを、使う人はいないか、と、聞かれました。
ネットで売ったらどうですか、と、提案してみました。
またそういうこと言う〜
と、嗜められました。
わたしにしてみれば、おむつが必要そうな人を考えてもわからないし、そんなことに頭を悩ませるくらいなら、いっそ、売ってしまった方が楽です。
フリマサイトでは、高く売れるかどうか、などの価格の問題ではないのです。ほぼ送料だけで利益なんて無いに等しいのですが、義母はそうとは思っていません。
誰に渡すか、頭を悩ませるくらいなら捨てた方が簡単だ、とさえも思ってしまいます。思うだけで、実際にはなかなか捨てられないのですが。
わざわざ自らの頭を悩ませて、有効活用してくれる人を探すって、ちょっと、わたしにはわかりません。
世代間の価値観の相違が、あるのかもしれません。
こんなこともありました。
結婚する時、簡単な食事会の時に、結納金が父親へ渡されました。
父親は、不要だと、言っていましたが、義母は譲らず、そのまま息子たちへあげてもいいでしょ、
と、いうニュアンスで諭し、父親は受けとりました。
後日、わたしの元へ、現金が届きました。
おかしくないですか。
渡されるであろう、人の前でそんなこと言ったら、結納金を若夫婦、つまり、私と夫に渡さなければならなくなりますよね。
なぜ、そこまで下品に口出ししてまで渡さなければならないのでしょうか。
わたしにはわかりません。
常日頃、もったいないから有効に使って欲しいと、言っています。
言っていることは正しいです。
SDGDS、持続可能な社会、が叫ばれている中、現代において、使い捨てしすぎることに対する違和感はわたしも感じています。
自らが使わないものは周りの人に渡して有効活用してもらうのはよくわかります。
ですが、義母の場合、有効活用してほしいと、いう気持ちが前面にでてくるあまり、受け取る側の気持ち、行動にまで義母の想いが支配してしまう傾向があると感じています。
義母から物をもらうたびに違和感を感じていたことが何なのか、よく、わからなかったのですが、やっと最近になって気付きました。
結婚10年目にして、やっと。