夏の北海道から秋の北東北を旅してきた
142日間の記録です
もう1年以上も前のことになってて驚きです
77/142日目(その2)
大阪を出発して77日
原付を積んだ軽バンで
離島を含め北海道全域を走って
74日目から北東北を徘徊中です。
むつ科学技術館
子供向けのものも、実験教室や体験教室的なものも行われているようですが、なんとなく暗く地味な印象で、もちろんわしの興味は引かないのでスルーして原子力船の見学です。
原子炉格納容器です。
放射性物質が外に漏れることはないといい切っていましたが、放射線漏れの事故を起こしてしまいました。

ただ、漏れたのは放射性物質ではなくそこから出る放射線ですから、放射性物質そのものは漏れておらず言ってることは間違ってはいないのです。
しかし、その当時(たぶん今でも)我々無知な一般人にとっての感覚は、放射性物質だろうが放射線だろうが核燃料だろうがウランコバルトだろうが、とにかくなんでも放射能で、どれでも被曝すると癌になって死ぬのです。
むつ科学技術館の模型です。
建物がそのまま原子力船むつの形状をしています。

そしてその原子炉の部分を実際のむつから切り出して、むつを模した建物にビルトインしています。

そこまで凝ったことをしているんですがただ、なぜか積む方向が本来と前後逆なんだそうです。
なんでや。。。

なんだかいろいろ制御装置です。
ところで放射線漏れを起こしたむつですが、悪夢の被曝船的なイメージで市民や漁業関連の反対等があり、母港であり名前の元であるむつ市に帰港を拒否されます。
入港できる港を探してごちゃごちゃあって、ようやく佐世保が受け入れ表明を出して寄港できたそうです。
受け入れの見返りに、経営危機にあった佐世保の船会社の救済や、九州新幹線を通す際の佐世保ルート優先着工権との引き換えなど裏事情があった模様ですが。

しかし国鉄解体でJRになってしまったので佐世保ルートは実現せず、結局佐世保に新幹線は通っていません。
大平氏中曽根氏など、大物政治家の署名のあるむつ念書があるそうですが、そーゆー将来の約束なんか、どーなるかわかったもんじゃないですね。

それでも元の設計から耐衝突とか安全対策はビシバシしてあってその後の事故はなく実験船の任務は全う(?)しました。
原子力船むつは解体されて、原子炉は取り出されて、本施設で展示されていることは紹介したとおりですが、稼働実績のある原子炉の一般公開は世界唯一だそうです。

見学の時はガラス越しでしたが、あれ、タダのガラスじゃなく鉛ガラスだそーですし、年に1回(?)いろいろ検査が行われているそうです。

原子をデザインしたマークが入ってますね。

見学終了したらお昼をとっくに過ぎていたので、
移動の途中のスーパーで、お弁当を買いました。
麻婆チャーハン(推定430円)。

食べたら南下を続けて陸奥湾にでました。
宇田児童公園
わしが行った時はまだ工事中でしたが、R7年現在、工事は終わってる模様です。
ほんでこの公園のええところは、海上自衛隊の船を間近に見られるところです。
近くに大湊地方総監部の門があって守衛さんがおるんですが、サクッと写真撮り終わってもう移動しようとしてたわしに、もーじき出航すんでー と声をかけてくれました。
写真を撮り終えて帰る時に挨拶したら、22日にイベントがあるから、その時は基地ん中に入れるでー と教えてくれました。
なかなか魅力的なイベントですが、4日も先なので、今回は見送りました。
※実際は23日に延期になったそうです
※2025年3月現在、組織改編で大湊地方総監部は廃止され横須賀地方隊に統合され大湊地区隊となってるそうです
続きます。









