ブログ投稿をサボっている間
いろいろありました
4月、5月、6月とあっという間に
過ぎていく。
そして、
2度目の骨髄移植から1年経ってた、、
最初の移植は1年経たずに再発したので
なんだか複雑な気持ちです
来月移植後1年のマルクとPET検査を
やることになりました。
今の体の具合は
カリニ肺炎も良くなり
輸血も1ヶ月に一度あるかないかくらいまで
回復しています。
血液は作り出されているけど
肝臓の値が悪く
亜鉛も足りない。
薬を大量に飲んでるせいなのか
慢性GVHDなのか。
それと
左側肋骨が痛くて痛くて
5月からこの痛みと戦っています
CTでは問題なく、
骨よりも肺の中に
細菌かカビかウィルスかわからない
影が映ってるんだそうで。
血液検査の結果ではアスペルギニスが反応していたけどまだはっきりとはわからないと言われ。
両足の痺れは相変わらず
それでも1月に体重30kgを切って
緊急入院した頃から5kg増えました
私の父の作る田舎料理で
食事療法をしているおかげだと
思っています。
早くマルクの結果を持って
命の恩人であるO先生に会いに行きたいと思っています。
息子は少しずつ学校や学童クラブに慣れて
重いランドセルを背負って頑張っています。
担任の先生への私たち夫婦の信頼関係は
築けていませんが(笑)
彼が楽しいならそれで良い
そう思える余裕ができてきました。
私は
今のうちに
息子とたくさん
笑いたい
ただそれだけを願って毎日を過ごしています。
毎日編みぐるみを編んで
昼寝して
美味しいごはん食べて
とても穏やかな日々です。
肋骨との戦いはあるけれども
最後に
私の闘病フレンドが
先月末に虹の橋を渡りました。
私の母のように
あれこれ心配してくれて
可愛がってくださりました。
いつもLINEで
同じ病気を患ったもの同士の
気持ちを共有していました。
悲しくて悲しくて寂しくて仕方ないけど
あの年齢で移植に踏み切り
辛い辛い副作用を堪えてきた彼女を
尊敬します。
穏やかな顔で眠る彼女を見て
涙は出ませんでした。
「やっと痛いや苦しいから解放されたね。
もう泣かなくてすむね。」
そう思わす言ってしまいました。
彼女のご主人も移植後のケアをしていたので
私と同じ思いだったそうです。
あんな苦しみが無い世界へ旅立つのなら
それで良かった、と。
私は彼女と東京オリンピックを見に行く約束をしていました。だからリハビリをして歩けるようになって体力をつけて生きなければと思っています。
会えないけれど
私の中にその希望や目標を
残してくれた彼女に
心からのお悔やみを申し上げます。
どうか虹の向こう側で笑顔でいてください。