吉田喜重⑥「嵐が丘」 | こだわりの館blog版

吉田喜重⑥「嵐が丘」

嵐が丘

【吉田喜重監督作品特集】第6弾・最終回は「嵐が丘」です。
今は亡き名優・松田優作を主演に、吉田喜重エミリ・ブロンテの「嵐が丘」を、
自らの解釈で思い存分、自由に自分の世界で展開させています。
重厚なセットに大規模なロケーション撮影、しかしその内容は難解ないかにも“吉田喜重流”。
これだけお金をかけた文芸作品も、バブル崩壊の今日ではまず製作不可能でありましょう。


吉田喜重
吉田喜重監督作品特集第6弾(最終回)
1988年劇場公開・西友・西武セゾングループ作品
原作:エミリ・ブロンテ
脚本:吉田喜重
出演:松田優作、田中裕子、名高達郎、石田えり、萩原流行、三国連太郎、他


1986年「人間の約束」の発表で、吉田喜重は1980年代に劇的に復活しました。
しかしその復活の背景には、当時企業のメセナ活動真っ盛りのバブル経済が一役買っていた、
ということは「人間の約束」の記事 にも書きました。
「人間の約束」はその衝撃的な内容と、当時文化の最先端を突っ走っていた
西武セゾングループのバックアップで、作品的にも高い評価を得、興行的にも成功を収めました。
そこで企業のメセナ活動にて“二匹目のどじょう”を狙うべく西武セゾングループは
第3弾を(間に「次郎物語」がありました)再度吉田喜重に白羽の矢をたてたわけであります。

吉田喜重もエミリ・ブロンテの「嵐が丘」の映画化を永年温めていましたが、
その内容の地味さからなかなか実現できないでいましたので製作は一気に具体化。
西武セゾングループの潤沢なる財源(当時は、ですよ)のバックアップを受けた、
吉田喜重念願の時代劇大作が遂にここに完成したわけであります。


  時は中世。
  父の神を祀る山部一族の東の荘の当主・高丸(三国連太郎)は、
  ある日都から鬼丸(松田優作)と名づけた異様な容貌の童児を連れて帰った。
  鬼丸は下男として仕えたが、高丸の嫡子・秀丸(萩原流行)は鬼丸に嫉妬した。
  秀丸の妹・絹(田中裕子)は京に上り巫女となる身だったが、鬼丸に惹かれて一計を案じ、
  西の荘の嫡子・光彦(名高達郎)に嫁ぐことにした。
  式の前日、鬼丸と絹は結ばれ、変わらね愛を誓い合った。


  やがて高丸は侍に殺され、東の荘の当主となった鬼丸は姿を消し、
  代わって東の荘の当主となった秀丸も村の衆に惨殺され、
  妻・紫乃も野盗に輪姦さされたあげく殺されるという山部一族の悲劇が続く。
  鬼丸は再度東の荘に戻り、当主となり光彦の妹・妙(石田えり)を下女として迎えた。
  ところが光彦との間に女児を出産した絹が産後の日たちが悪く、やがて息を引き取ったことで、
  鬼丸には狂気が兆しはじめた…。


「嵐が丘」西武セゾングループが世界に放つ日本映画超大作として、
豪華なセットに壮大なロケーション撮影など、
一目見て「お金かかってるな~」というのがわかる作品ではあります。
また吉田喜重念願の企画という事もあり、自ら「描きたいことを自由に描く」という演出コンセプトからか
描写も非常に観念的な部分が多く
役者たちの演技も極力役者が持つ“個性的な部分”は排除され
全体的に古典芸能の【能】を見ているかのような印象を受けます。
まあ良くも悪くも吉田監督の【気合い】がみなぎっている作品であります。

しかしこの“制作者側のコンセプト”と“演出側のコンセプト”がどうにも一致しないんですね。
制作者側は世界にこの作品を放ちたいのに、演出側は自分の世界に収縮させようとする。
作品が【外へ】向かおうとしているのに、演出が【内なる物】に逆のベクトルで動いている。
見ていて非常にアンバランスな印象を受け、正直何が言いたいのか良くわかりません。


当時のプログラムを読むと【製作にあたって】でこう書いてあります。
  …西洋世界で広く知られている「嵐が丘」を取り上げ、その普遍的国際的テーマを、
  日本人の美意識に照らして再構築し、日本映画史上に残るような傑作にしたいと考えました。

これは制作者側の考えでありますが“日本人の美意識に照らして再構築”といっても
日本人にも理解しがたい【難解】な世界にこの作品の演出が突入してしまったため、
とてもこの題材の持つ“普遍的国際的テーマ”などはわかりませんし、到達していません。
日本人に充分理解できる作品になってこそ始めて、
海外にこの題材の持つ“普遍的なテーマ”もアピールできるのではないでしょうか。


この作品が公開されてもう17年が経とうとしています。
バブル経済も終焉を迎え、この作品の制作にあたった西武セゾングループもメセナ活動どころか、
自分たちの会社自体が清算せざるを得ない状況となったのはご存知の通り。
また吉田喜重も80年代に復活はしたものの、この作品の後は「鏡の女たち」の制作まで
実に15年近く再度沈黙をせざるを得なくなり、
「鏡の女たち」も非常に困難な制作状況を体験せざるを得なかったわけであります。

制作者側も演出側もその後はお互いに悲劇的な状況を迎え、
また今日この作品について語られる事はほとんどありませんから、
まさに「嵐が丘」は作品の内容に負けるとも劣らぬ【呪われた作品】といってもよいかもしれません。
制作者側は世界にこの作品を放とうと湯水のごとくに制作費を与え、
また演出側も潤沢な制作費をまるまる使って壮大な【私的世界】を描いてしまう。
今日「嵐が丘」を鑑賞してみるとバブル経済の頃の“誤ったメセナ活動”の一端が見えてしまったようで、
もう少し双方が時代に踊らされずに長期的視野に立った、用意周到な活動を行っていれば
メセナ活動もバブル崩壊と共に消える事もなかったのに…と、何か後味の悪いものを感じてしまいます。


■「嵐が丘」はこのDVD-BOXに収録されています。

  
  ジェネオン エンタテインメント
  吉田喜重全集[86-03]炎を映す水


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