2022.04.09(土) 勇払資料館で得た事実…… | 霊観占 大幸(れいかんうらない だいこう) 

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おはようございます。北海道苫小牧(とまこまい)市、『霊観占い大幸』代表の峰ゆり子です。今日も御縁を授かり感謝いたします。また、いつもブログをご支援くださいましてありがとうございます。

 

昨日、勇払資料館に行って来ました。

館内をひと回りし終わる頃、館長さんが奥の事務所から出てこられて、約1時間ほど、苫小牧のあれこれ話を聞かせてくださいました。

こちらからも質問させていただき、勇払神社がどうして蛭子から恵比寿に変更したのかも聞くことができました。下記の神棚が勇払神社に関わっているとのことでした。

館長さんのお話を伺っているうちに、今回の勇払神社での出来事が、何か見えない糸で手繰り寄せられていくような気がしました。

遡ること1800年(寛政12年)、勇払神社もそこからスタートするそうです。勇払(ゆうふつ)の地名の由来は、アイヌ語で「イ(それ)・プツ(入口)」から名が付けられたそうです。当時、北前船で江戸や上方(関西方面)へと加工された鮭などが送られていたらしく、勇払はやがて「いぶつ→ユウフツ」に表記されていったとのことでした。当時、徳川の命令で、北海道に初めて1799年(寛政11年)に勇払に会所を置くことが決まり、1800年に八王子千人同心、原新介らが勇払(鵡川)に移住することになったようです。八王子とは関東の八王子です。当時北海道は、蝦夷(えぞ)地としてアイヌの方々が統治していたらしく、本土から最初に蝦夷地入りしたのが勇払だったようです。

勇払恵比寿神社はその頃に設立されたらしく、勇払で一番古い由来を持つ龍神様の弁天神社なのだそうです。当時、この神社は、神様と仏様を一緒に祀っていたらしいのですが、徳川から明治政府に切り替わった時、統廃合されたそうです。当時は、この場所には無く現在の勇払資料館の敷地内にあったらしいのですが、その時に拝まれていた神棚が、上記写真の神棚だったそうです。お供え物を欠かさなかった神棚だったようです。

お話によると、日本国を明治政府が治めることになった時、明治政府の命令で、仏とみなされる仏像は全部壊されてしまったようです。

 

1869年(明治2年)、蝦夷地を北海道と改め、胆振国勇払郡と地名が変わったとのことでした。その後1870年(明治3年)には、高知藩70余名を勇払と千歳に派遣し、分領支配と開拓を始めたとのことでした。明治に切り替わる時、この地には不動明王様が祀られていたそうです。当時は不動明王様は波切不動と呼ばれていたらしく、その仏像も壊されそうになったとのことでした。しかし、住民が一丸となって「これは神様です。」と言って守ったとのことでした。その不動明王様が現在では『勇払津不動尊』と呼ばれているようです。

『勇払津不動尊』は、江戸時代の勇払における海上安全の守り神様だったようです。本土から蝦夷地に入るためにはどうしても船が必要だったからとのことでした。『勇武津不動尊』は、1803年(享和3)、当時、勇武津会所役人だった高橋次太夫(たかはしじだゆう)と、八王子千人同心が、河西祐助(かさい ゆうすけ)という人物が願主となって、「航海安全、外敵退散、漁業繁栄、病災排除」などを祈願して建立されたとのことでした。そこには、北極星を祀った妙見様の御堂と祈祷札、剣などがあったそうです。しかし、明治初年に新政府は神仏混淆の廃止を唱え、不動堂は廃止される予定だったらしいのですが、住民の一心願により、妙見堂(みょうけんどう)に 移され、妙見堂は『北辰(ほくしん)妙見堂』と改められたとのことでした。

この手水舎↑は、弁天龍神様と深い関わりがあるらしく、古くからあるそうです。明治以降、勇払の事代主社(ことしろぬしばしら)を『蛭子神社』に変更↓

1952年(昭和27年)に勇払恵比寿神社と名を変えたとのことでした。

館長さんから、たくさんのお話が聞けて、何かが少しずつ見えてきました。お話を伺うと、館長さんのご自宅は、我が家から近いところにお住まいでした。これもまた何かの御縁と感じ受けました。苫小牧文化財のお話の続きは、また明日書かせていただきますが、勇払恵比寿神社に関しては、200年の眠りから覚めた龍神様の御魂なのかもしれません。生徒さんやお客様を通して知らされた勇払神社のお話。今年2022年3月21日春分の日、200年続いた「地の時代」から「風の時代」へと完璧に切り替わった直後の出来事でした。

館長さんにこのお写真を見せると↑「不思議ですね。このように龍神が姿を見せるなんて!」

 

館長さんのお話を聞き、この写真を改めて見てみました。ひょっとしたら、この赤色の渦は、赤龍ではなくて『波切不動尊』の御魂なのかもしれないと? 

 

なぜなら、縁結びカードを引いてみましたら↓

飛び出しカードで『塩つちの神』が・・・・

このカード↑は、「海上安全の神様」す。

 

そしてまた、今朝、飛び出しカードが・・・・↓

この続きはまた。

 

今日のメッセージ↓「縁結び」

あなたに起きている物事は、あなたの成長に必要だからこそ起きている出来事です。経験値が増すことで乗り越えられます。龍のように力強く天上に昇るように乗り越えていきましょう。すべてを客観的に見つめましょう。あなたひとりが不幸なわけではありません。

 

皆様の今日という1日の一瞬一瞬をゆるりゆるり、サラリサラリとお過ごしができますよう。そしてまた心安らかな日となりますよう。

合掌

『北の星詠み伝道師  占い鑑定家』
霊観占い大幸 代表 峰 ゆり子

 

★【占いWEB】 -下記の評価をご頂戴いたしました。

 

【霊観占い 大幸】 峰ゆり子先生 アップ

https://uranaiweb.jp/list/17880.html

 

★2021年7月15日木曜日大安

占いWEB(https://uranaiweb.jp/

 

★2021年7月4日日曜日 大安吉日

 『電話占い未来さん』からインタビューの依頼を受けました。

https://denwa-uranai-zero.net/

『霊観占い大幸 峰ゆり子』のコンセプトや、どのような『占いの家』なのかを分かりやすく、プロ目線でインタビュー記事にしてくださいました。ありがとうございます。わたくしの生徒さんが仕事をしている占い企業さんもランクインしています。

【霊観占い 大幸】峰 ゆり子先生に独占インタビュー!

理念や得意な占術などの質問に回答してもらいました。

https://denwa-uranai-zero.net/interview/mineyuriko

 

インタビュー記事を糧にして、これからも精進させていただきます。


★2021年05月12日6月号『雑誌美人百花』にてご紹介を賜りました。

★2020年占いマガジン 『ウラッテさま』がご紹介してくださいました。
https://uratte.jp/posts/tomakomai-uranai-ataru

 

★2006年3月29日4月号『anan』雑誌にてご紹介を受けました。

 

お弟子さん紹介↓

豫 空潤(よ あうる)先生

↓お気軽にお問い合わせください。

 

セイラ先生
『電話占いウイル』で活躍してる占い師さん。


https://d-will.jp/G/REVIEWLIST/INDEX/OPID/477/P/1/

 

紫響(しきょう)先生
九州でご活躍されているベテランの占い師(もと看護師)さん。