おはようございます。
北海道苫小牧市の峰 ゆり子です。
昨晩の苫小牧は、月齢12(暦の上では十五夜)のお月さまが天上にぽっかりと浮かんでいました。わたくしたち人間にとって一番身近な天体でありながらも謎を秘めている月。神秘的だから惹かれるのかもしれません。
幼い頃から、その神秘の月に憧れを抱き続けてきましたが、肉体が老いても、心はさほど変わらない私です。
北海道は、四季の移り変わりがとても早いので、植物たちが戸惑っています。
お庭では、秋のコスモスが
玄関フードの中では、夏の花『ハイビスカス』が、次々と花を咲かせてます。
インターロッキングの上には冬を迎える準備の『葉ボタン』が、デーンと鎮座し
ベランダには、お正月向けの万両(まんりょう)が花と実をつけてます。
南天(ナンテン)は成長過程です。
昨日、新葉が出てきているシクラメンの植え替えをしましたが、植物って、優しく手をかけてあげればそれなりに答えてくれます。
この頃ちょっと思うのですが、わたくしの若き日頃は、植物を枯らすことが多かったんです。40歳以降からでしょうか、植物が私に答えてくれるように生き生きし始めました。考えられる要素は心の余裕とゆとりです。30歳代は、とにかく心に余裕がないくらい忙しく目まぐるしく生活をしておりました。植物たちも分かるのかもしれません。お部屋の観葉植物さえ枯れてしまうのです。
その時は、大好きな植物を枯らしてしまうので、とてもショックでした。
「私って、植物を育てる才能がないのかも?」と。
この齢になって、わたくしは、自分をちょっとだけ褒めるようにしています。それは、植物を活き活きと咲かせる才能があるかも? と、自己満して、植物と常に対話をしているんです。
父 「峰の家の植物は活き活きしているな、俺んとこの植物はダメだは、枯れてしまう」
父は母が亡くなってから、心のゆとりがあるように見えても無いのかもしれません。もともと植物が好きな人なので、心の隙間を埋める何かが見つかれば…。
人は誰しも何かしらの才能を持って生まれていると思います。自分自身で見つけるのは難しいですが、「好きこそ…」。それを見つけて、自分で自分を褒めてあげてくださいね。ただ、それを人にひけらかすのは良くありませんけれどね。
それでは、また。ごきげんよう。
皆様の今日もさらりさらりゆるりゆるりとお過ごしくださいませ。
合掌