今日は”初天神”です。
いきなりですが、天神様と聞くと野口雨情の「通りゃんせ」が頭を過ぎりました。
♪(*^ ・^)ノ⌒☆
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の 細道じゃ
ちょっと通して くだしゃんせ
ご用のない者 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも通りゃんせ通りゃんせ
o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪
この歌は、わたくしの小さい頃の遊びでした。
ふたりが向かい合わせでアーチを作り、その下を他の子供たちが通ります。「とおりゃんせ」の最後の歌い終わったときに、ふたりのアーチがさがり、その人を捕まえます。
歌っているときはあまり気にかからなかったのですが、活字にしてみると「うん?」と思いました。なぜ「帰りはこわい(怖い)」のでしょうか。
ちょっと調べてみましたら、この歌の発祥地は、埼玉県川越市にある川越天神様とのことでした。
以前わたくしは、埼玉県入間市に住んでいたことがあります。川越は隣町でした。川越は”小江戸”といわれて栄えた城下町で、現在も蔵造りの家並みや城跡などが多く建ち並んでます。
この歌の由来になったのは、菅原道真を天神様として祀った三芳野神社らしいのですが、室町時代中期頃には川越城内にあったようです。
当時、七歳になると天神様の氏子になれるしきたりがあったようで、七歳になる子供は、みんな天神様を訪れたようでした。最後の天神様に到着するまでには、南大手門から入って、厳重なチェックの三つの門を通り抜けなければいけなかったそうです。よくよく調べてみますと、川越城に1度入ると、スパイ防止のために更なる厳重なチェックがあったようです。ですから、帰宅時はかなり”疲れた”ようでした。
勝手に、わたく流の判断をしました。
北海道弁で「こわい」という言葉は「疲れた」とか「しんどい」という意味になります。川越は関東ですから「こわい」が「疲れた」という意味に解釈して良いかどうかは分かりませんが?
本当のところはどうなのでしょうかね??
今日も”さらりさらり” ”ゆるりゆるり”とお過ごしくださいませ。(合掌)