彼が東京へ転勤になり、家賃の補助もなくなったので、
いつまでもバイト生活ではダメだと、
新聞の求人欄を真剣に探すようになりました。
その中で、英文タイプ2級程度という求人が目につき、
まだ2級は取得できていませんでしたが、
とりあえず、応募して面接をしました。
結果は、採用
24歳になる1日前に、新しい仕事を見つける事ができました。
陶磁器の貿易商社で、
主な仕事は、船積書類(INVOICE)の作成や、
営業事務、課長の補助、
バイヤーのお世話などでした。
この当時は、PCもFAXもないので、
もちろんメールもなく、
バイヤーとのやり取りは、ほとんどテレックスというものでした。
課長の読みにくい英語をテレックスに起こして
海外へ送信していました。
この頃、バブル前でしたが、景気は上向きで、
特に、日本の陶磁器は欧米で大人気だったので、
この会社もすごく忙しくて、
入って半年で、結構な金額の賞与を頂きました。
職場の環境もよく、親友と呼べる人もでき、
また、課長をはじめ、課の人達もみな親切で、
大事にして頂きました。
年2回ほど来日する、アメリカからのバイヤーもすごく友好的で、
一緒にお食事などに連れて行ってもらったりもしました。
この会社に入ってすぐ、通勤が不便だったので、
自動車免許を取り、
中古で車も購入しました。
本当にいい会社だったのですが、
給料面では、一人暮らしには少し厳しく、
この時知り合った友人の紹介で、
週2日ほどスナックでバイトもしました。
スナックと言っても、ママとバイトの女性が
交代で一人か二人の、こじんまりとした家庭的なお店で、
また、ある大手企業の関係のお客様が中心だったので、
客筋もきちんとしていて安心できたし、
バイト代とタクシー代が、日払いで頂けたのも助かりました。
お客様の中で、時々お誘いを受けて、
少しだけお付き合いした人も数人いました。
こうして、毎日の仕事や、目新しい事の連続で、
いつしか、彼との別れの悲しみも薄れていき、
新しい人生を歩きだしていました。