母が危篤状態になって、家族が集まり、

もうダメかと思っていたら、何とか持ち直しました

 

その夜、母に付き添って病院に泊まり、夜中にも少し危ない状態はあったものの、

翌日は朝から随分と落ち着いてきて、少しだけ話し(単語のみ)ができるまでに

 

 

夜中、看護士さんから「危ないかも」と言われた時、

母の手を握りながら、

「もう少しで、やっとお父さんに会えるね」って言ったら、

母は、首を小さく振り、イヤイヤをしました

 

父が亡くなってから、長い間ずっと一人でいた母を思っての事でしたが、

言ってしまってから、こんな事言わなければよかったと後悔しました

まだまだ生きたいと思う気持ちが強かったのでしょう

 

 

翌日の朝、昨日我が家に泊まった三重県の妹が病院に来たので、

交代で一旦家に帰り、シャワーを浴びて仮眠しました

 

そして、また午後から病院へ行き、妹と交代

この日の夜も、私が病院に泊まり込んで付き添う事にしました

 

母は、昨日とはうってかわって、安定していて

穏やかな寝息を立てていました

 

 

翌日は日曜日

その日、ここに入院してから2回目の、

ボランティアさんによるロビーコンサートが開催されました

 

当然、前回のようにベッドごと移動して母を連れて行く事もできず、

病室で、母と一緒に、ロビーから漏れてくるメロディーに耳を傾けていました

 

知っている曲がたくさん流れてきました

 

美空ひばりの「愛燦燦」や「川の流れのように」

母の手を握り、口ずさんでいました

 

母は聞こえているのか、聞いているのか、静かに目を閉じています

 

童謡が聞こえてきました

「里の秋」です

 

  静かな静かな、里の秋

  おせどに木の実の 落ちる夜は

  ああ母さんと ただ二人

 

ここまできて、涙が溢れてきました

 

今まで、ずっとお母さんと二人で生きてきたよね

 

いつも、いつも、私の事を一番に考えてくれていたのに・・

親不孝な娘で、ごめんね

 

  栗の実煮てます いろりばた

 

もっと、お母さんに色んな料理を習っておけば良かった

 

私、今までお母さんに、ずっと料理作ってもらうばかりで、

全然、お袋の味の料理作れないよ

 

 

この時やっと私は、もうすぐこの大事な母を無くすという事実に直面して、

その重大さ、切なさに、愕然としました