スマートフォン、みればみるほど幸薄る。

 

みんな、下を向いて一生懸命それをみているね。

 

その長四角の箱の中に何か素晴らしいものでも入っているの?

 

朝日が赤く染める空よりも美しくて...

 

来秋を知らせるそよ風よりも心地よくて...

 

すべり台の上で「パパ!」っと微笑むその笑顔よりも幸せにしてくれて...

 

「ただいま!」っと帰宅する妻の顔より待ち望んでいた...

 

今、この瞬間にしかみることのできない...

 

それは何?

 

教えて...

 

 

 

“It is not a daily increase, but a daily decrease. Hack away at the inessentials.” 

「日々増やすことではなく日々減らすことである。不必要なものを取り除きなさい。」
 


この言葉は1970年代初期に、ハリウッド映画スターとして活躍した格闘家、ブルースリー氏が言ったとされるものです。

私たちの多くは、常により多くを経験し、より多くを学ぼうと日々努力します。しかし、得よう得ようと努力する中で、それが『なぜ欲しいのか?』そして、それは本当に『必要なのか?』っという問いを自身に投げかけることはしません。

その結果、欲しいと思っていたが、現実に自分が求めていたものは違う不必要なものであった...

または、欲の言いなりになって、現実に必要なものは何一つ手に入れることができなかった...

または『それら両方』っというような状況に陥ります。

真理とはすべての物事の奥底にあります。

私たちが『そこ』へ辿り着くためには、日々、上澄みに浮かぶ『薄膜』をすくい上げることだけで満足するのではなく、『何がその薄膜を作っているのか?』っと自身に問い、その奥底へと入っていくことなのです。そのために不必要なのもは、取り除かれなければなりません。

小さな光が輝きを放っているところを想像してください。

私たちが日常的に見ている物事は、その閃光一つ一つの先端の輝きです。

 

その奥底にある小さな根源の光の美しさを見るためには、

 

一つ一つの閃光に目を眩まされることなく、

 

その奥底へと閃光を辿り、

 

進んで行かなければなりません。

閃光とは、根源に光り輝く真理の幻影でしかないのだから...

 

 

いちいち深く考えない。

 

ある人は深く考えることなく、すぐさま行動に移していきます。

 

そういう人に対して、

 

『計測な行動は控えて、良く考えてから行動しなよ...』

 

『何でもっと考えてから行動しないのかな〜?...』

 

っと思う人は多いのではないでしょうか?

 

しかし、

 

私たちの多くはそれとは『逆』をします。

 

深く考えることはしますが、それを行動に移していくことはしないのです。

 

考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて...................

 

そして、それを『しなくても良い理由』を見つけ始める..........

 

そして、何もしない。

 

そんな経験は私にもありますし、あなたにもあると思います。

 

この世にあるすべての物は、すべて常に変化しています。変化とはこの世の、宇宙の本質とも言えます。

 

ですから、私は『行動しない』ことよりも『行動する』ことを大切にします。

 

頭の中であれこれ深く考えても、それはすべては、私たちの思考の中でのことです。

 

まだ起きてもいない予想であり、仮定であり、幻想なのです。

 

それをあれこれ色々な組み合わせで、色々な状況を想定して考えても答えは出ません。

 

実際に行動をしてみると『真の答え』向こうからやって来るものですよ。

 

 

 

 

 

 

 

あなたのように結果に左右され、苦しむ選手になるのなら、うちの子たちはスポーツはしなくていいかな...

 

スポーツには勝ち負けがあります。それは競技である以上しかたがありません。

 

しかし、決して『勝ち』が良く、『負け』が悪いと決めるつけることはできません。

 

その『勝ち』が次の『負け』となり、その『負け』が次の『勝ち』となることもあるからです。

 

私たちには、ある出来事の良き悪しを判断することは、決してできないのです。

 

できるのはそれが『起きた』という事実を認識することだけです。

 

人生を前向きに生きていくための鍵は、まさにそこにあります。この鍵を落としたままだと苦しみの人生を歩むことになります。

 

スポーツでの勝ち負けへどのような態度で対応していくか...まさにこれがその人の人生への態度だとも言えるのです。

 

今、あるお話を思い出しました。

 

ある人が宝くじを買い、一等賞が当たりました。

 

彼の家族と友人たちは『超ラッキーだね!』と言って喜びました。

 

しかし、彼は言いました、『そうかもね ...』っと。

 

その人は数日後、その賞金で買った高級車を運転中に事故に合い、重度の怪我を負って入院となってしまいました。

 

彼の家族と友人たちは、お見舞いに来た時に言いました、『すごい不運にあったね ... 』っと。

 

すると彼は言いました、『そうかもね...』っと。

 

そして、彼が入院中に今度は土砂崩れがあり、彼の家が崖下に崩れ落ちてしまいました。

 

彼の家族と友人たちは言いました、『入院中でラッキーだったね!』っと。

 

彼はまた言いました、『そうかもね...』っと...

 

 

 

 

“You've become bored to things because they exist only as names to you. The dry concepts of mind obscure your direct perception.” 

「物事がつまらなくなってしまうのは、あなたにとってそれらがそれらの名前のみの存在になってしまったからだよ。あなたの思考がつくり出す粗末な概念は、あなたがそれを直に感じる力を奪いい去ってしまったんだよ。」

 


この言葉は作家であり、スピリチュアルティーチャーでもあり大学時代には体操選手として競技に参加していたダン・ミルマン氏のものです。彼は大学時代、体操選手として最も輝かしい成績を残している最中、オートバイの事故に遭い脊椎を損傷することとを切っ掛けに、スピリチュアルな世界へと導かれました。


私たちは生まれたすぐから、または母親のお腹の中にいる時から名前を覚えさせられてきました。


『パパでちゅよ〜!』
『ママでちゅよ〜!』
『これはリンゴでちゅよ〜!』
『これはお花ですよ〜!』


しかし、名前を覚えるためには、私たちは頭の中でその物をイメージ化しなくてはなりません。


『パパは少し色黒で、こんな顔をしていて、抱っこしてくれる優しいこの人なんだな...』とか、


『ママはいつもキスをしてくれて、心地いい匂いがして、ご飯をくれるこの人なんだな...』とか、


『リンゴっていうのは丸くて、赤くて、甘酸っぱい味がするこれのことなんだな...』とか、


『お花っていうのは綺麗な色をしていて、見るとみんなが笑顔になる、これのことなんだな...』とか...


このように、その物を見た時の印象、感触、音、匂い、感情などの経験が、その物のイメージとして頭で認識されるのです。


そして、イメージ化により私たちは、その物、その名前、そのイメージを同一化してしまうのです。


『物』=『名前』=『イメージ』


名前を付けられイメージ化されてしまった物たちは、あなたの頭の中で本来の脈立つような命の新鮮さを持つことはできません。


それは、単なる思考が限られた経験からつくり出す概念となってしまったのですから...


その中で生きることがそれだけつまらなく、退屈であることか...


しかし、逆を返せばそれは微笑みが自然とこぼれ落ちるほど美しく、はち切れんばかりの新鮮さを常に持っていることを意味しています。


どちらに住むかはあなた次第なのです。