剣竿一如 -9ページ目

不味

 世間一般に「不味いモノ」の代名詞と言えば、「刑務所のクサイ飯」 か 「病院食」 で、病院食はベタベタの軟食ゴハンに超薄味の不味さで知られているンだが、自分が現在入院しているD病院の食事は、そんなレベルを踏み越えてしまった。踏み越えたのは11月13日。この日を境にヒドイ食事構成になり、味付けも手抜きどころか、施されなくなってしまった。塩気抜きの五分粥に納豆1パックとか、北朝鮮よりゃマシだろうが、もう、人道的に考えてもありえないだろう。

 いやね、一流ホテルに滞在してるワケじゃないから、「美味いモノ」 を食わせろとは言わぬよ。しかしだね、病人ってのは食事は治療の一環として、義務感すら感じて食うておるのだ。その食事が不味すぎて、苦痛になってきた。あまりの不味さに飲み込むのもツライ。抗ガン剤治療の影響で味覚がおかしくなっているのではない。家内の差し入れ食や、外部の食事は美味しいのだから。

 幸い、自分は食事制限は掛かっていないので、病院食を何度も止めてもらい、差し入れ食を中心に食事をする事に決めた。家内には面倒を掛けるが、病院の食事が原因、それも不味さが原因で身体を衰弱させてしまったのではたまらんからね、ってお話でした。

 D病院スタッフのみなさ~ん! 入院患者が文字通り味わっている苦痛は、治療の痛みだけじゃないんですよォ~。いつか2階に怒鳴り込みに行っちゃうぞ(笑)。

外出

 本日午後、外出許可をもらって ”自宅に” 外出する事に(笑)。抗ガン剤治療の副作用で一番怖い白血球減少の起きる時期なのだが、自宅じゃないとできない作業や、ネットでは送れない資料やデータを取りに行く必要がある。商売柄、モバイルPCで外部に持ち出すのもNGなデータがあるモンで、月に一度だけ自宅で作業する必要もある。もちろん、お仕事以外の行動はしないし、買い物にも外食にも出かけない(つもり……笑)。自宅以外に出る時は、M95マスク着用、アルコールジェルも持参します。

 お昼頃には、ネットで知り合った釣り仲間のやすべえさん(実はムニャムニャゴニョゴニョで、超エリートのとっても偉い人)が、東京からお見舞いに来てくださるし、なんだか大きな病気を患ってから、本当に怒濤の展開が続いてビックリですよ。役者モドキ時代の盟友でマイミクのmoteクンも、手術の度に東京からハーレーでドコダカズンドコと爆音響かせてお見舞いに来てくれるし、JOFI愛知のみなさんも駆けつけてくださる。

 身体はガンに冒され、ガタガタのボロボロ状態なんだろうけど、手術後の痛みとか、治療の副作用としての不快感とか、回復に向けての不具合しか感じていないモンだから、自分が重病人であるという自覚が非常に希薄なまま。これが脳天気に「明るく元気な闘病生活」の源なんですよ、ってお話……、って、アレ、そうだっけ?

 違う違う、今日は午後から外出するので、久々にシャバの空気を吸い、直射日光にも少しは当たってこられますよってお話でした(笑)。久々に葉巻でも吸ってくるかァ~!←ウソウソ!

冥加

 今年は夏に大病を患ってしまい、そのまま病院にて入院加療で越年が決定しているため、年賀状による年始のご挨拶は事実上不可能。そんなワケで、メールや電話による年末のご挨拶にて、新年ご挨拶を欠礼させていたいただく旨をお知らせしてるのだが、なんと村越正海さんから、即レスでお見舞いメールを頂戴してしまった。

 釣りに興味の無い方には、「誰それ?」かもしれないが、TVの釣り番組や、各種釣り情報誌で引っ張りだこの、日本一有名な釣り人です。村越さんとは釣り情報誌「磯・投げ情報」の執筆陣というご縁で、フィッシングショーでご挨拶をさせていただいて以来、年賀状や暑中見舞い、時に応じてメールでご意見を伺ったりさせていただいていたのだが、まさか個人的なお見舞いメールをいただけるとは……。

 しかも、「磯・投げ情報」 に自分が連載執筆中の、「磯・投げタイムトンネル」は、大好きな連載記事の一つとまでおっしゃってくださった。村越正海さんですよ。あの、人気釣り番組 「THE フィッシング」 でおなじみの村越正海さんが、自分の書いている記事をお褒めくださり、「健筆を、末永く、拝見し続けることを心より望んでいます」 とまで、書き添えてくださった。

 「ALWAYS 三丁目の夕日」の古行淳之介役や、昨年映画化された 「釣りキチ三平」 で、主役の三平三平を演じた須賀健太さんから闘病激励のメッセージ入りサイン色紙を頂戴したり、日本有数のアクション俳優のみなさんからも激励メールや電話を頂戴したり、釣友・知人・友人・ネットで少しだけ言葉を交わしただけという方からも、激励メッセージやコメントを頂戴したり……。なんとも冥加なことじゃありませんか、ってお話でした。

 医療スタッフの皆さんにも恵まれ、数多くの皆さんから声援を頂戴し、ひょっとして、自分はこの世で一番幸せなガン患者なのかも知れない……。(´;ω;`)ブワッ!

【追記】
 午後2時半過ぎ、今度は役者モドキ時代の先輩であり、師匠である、アクション俳優の伊藤久二康さんから、近日中にお見舞いに来てくださるとメールが……ッ! バトルフランス、デンジイエロー、バルパンサー、ゴーグルイエローを演じてきた、力と技とスピードで右に出る者無きアクション俳優の伊藤久二康さんですよ。自分如きハンチクで不出来な不肖の後輩・弟子のために、わざわざ東京からお見舞いに来てくださるなんて、自分……、どんだけ幸せ者なんだッ!

耳鳴

 ここ数日、抗ガン剤の副作用なのか、放射線治療の影響による脳の腫れが原因なのか、その両方なのか、耳鳴り・急な発汗(冷や汗)など、気持ちの良くない症状が出ている。とりわけ耳鳴りは一日中、キンキンキュンキュン鬱陶しい。うるさくて会話やテレビを見ていても気になるし、実質的に聴力が低下しているのと同じ。まぁ、生死に関わる病気との闘いの真ッ最中なワケで、生命を拾いに行くんだから、この程度の不都合は不都合の内に入らないと思うようにしている。痛みなどの我慢や辛抱とは違うしね。

 それにしても、「自分だけはノーダメージで乗り越えられるンじゃねーか?」 なぁんて、期待を抱いていたのは甘かったねェ。それでも自分に出ている副作用は、他の患者さんに比べたら軽微なんてモンじゃないほど軽い。吐き気や発熱も軽い部類だし、不快は不快でも耳鳴りや冷や汗くらいは副作用の内に入らないだろう。「明るく元気な末期ガン闘病生活」 は、まだまだ続きますよ、ってお話でした。

 あ、腫瘍マーカーのβhcgなんだけど、昨日の採血でついに536まで低下! 11,200もあったのが、たったの536ッスよ。基準値は5.0だから、まだ100倍以上もあるンだけどね(笑)。それでも、抗ガン剤がバッチリ効いてる証拠だもの、励みになるワァ~。耳鳴りなんかどーだってイイや!

諏訪

 たまには闘病記以外のネタも書いてみようかと考えていたら……、長野県諏訪市の上諏訪駅前にある「まるみつ百貨店」が来年2月で閉店になるというニュース。役者モドキ時代、まるみつ百貨店には、ずいぶんとヒーローショーを演りに行った。20年以上、30回以上は行っているだろう。人手が足りなくなるGWや秋などのイベントシーズンには、家内にも立ち回りを教え、キャラクターを着せて手伝わせた事もある。
 百貨店内に温泉があり、「地元民よりも観光客の方が喜んで利用しているお店」、って印象だったが、やはり消費施設は地元民が日常的に利用してくれないと、立ち行かなくなるのは当然か。2chに立ったスレでも、地元民よりも観光で上諏訪を訪れ、まるみつ百貨店を訪れた事のある者が、閉店を心から惜しみ書き込みをしている。中には「屋上のヒーローショーを見に行った」なんて書き込みもあって、思わず「楽しかったかい?」とレスしてしまいそうに……。いや、もちろん書き込んだりはしてないけどさ(笑)。

 日本橋東急、横浜松坂屋、有楽町そごう、そして諏訪まるみつ百貨店など、自分の青春の1ページが刻まれたショー現場が消えていくのは、時代の流れとは言え、いささか寂しゅう御座候、ってお話でした。

感涙

 自分は1998年から、釣りサロンとしてのWEBサイト運営をしているんだが、そこでご縁を持った皆さんから、思いがけず過分のお見舞いを頂戴してしまった。自分は2001年秋、名古屋に拠点を移してしまったため、かれこれ10年近くもお会いしていないのだが……。

 当時アラフォー世代だったみんなも、アラフィフっつーか、50がらみのオッサンという、世間で一番しょぼくれたイメージで見られる年代。でもね、昭和30年代生まれってーのはだね、戦後のニオイを多少なりとも知っており、江戸時代生まれのお爺さんお婆さんとも接した事のある世代なのだよ。つまり、「善くも悪しくも古き日本」 のニオイを知っている世代。 現在の日本の売国ド腐れ全共闘世代や、有象無象の団塊世代とは一線を画した世代でもある。上の世代の悪口はともかく、義理人情と個人主義の入り交じった交雑世代ッちゅー事です。

 それにしても、昨日は副作用に悩まされ、一日中ベッドで横になっていたのだが、突然に副作用の耳鳴り、吐き気などの不快感が消え、猛然と食欲が噴き上がり、病院に持ち込んでいた生麺タイプのカップうどんを2個もお腹に納めて、家内に連絡を入れたら、こんなに嬉しいお見舞いが届いていた。ガン病棟の個室で感涙に咽び泣くオッサン……。格好良くないけど、許される男泣きだよね、ってお話でした。

 Craze OB のみなさん、本当に、本当にありがとう存じました。

食事

 ここ数日、37度半ば前後の微熱が続き、なんとも気怠くて仕方がない。食欲もあまりないのだが、子供の頃から 「腹痛・腹下し以外はシッカリ食って、栄養補給!」ってな躾を受けてきたおかげで、40度級の熱があっても食事を摂ろうと思えば摂れる。薬の吸収を良くするためにも、ポタージュスープの一杯でも飲み、クラッカーの一枚でもいいから食う。

 D病院に入院して以来、いろいろな患者さんと知り合ってきたが、口からモノが食えないと、目に見えて弱っていく。逆に重湯でも三分粥でも、口からモノが食えるようになった患者さんは、みるみる回復していく。自分も下腹部の切開手術によって虫垂ガンの摘出を受けた後、点滴、重湯、三分粥、五分粥、七部粥、軟食、常食と食事が普通に戻っていくに従い、「俺は回復している。元気になってきている!」 と実感できた。

 微熱による倦怠感、気力低下は、ドーンッと熱が出た時と違って、なんとなく 「自分が怠けている。気合いが足りない。だらしない」 ってな罪悪感みたいなモノを感じてしまい、非常に気分が悪い。これを振り払うには、ガッツリ食う事! とは思うのだが、その食欲まで不振になってしまうのが困りモノだねェ。ましてや 「不味いモノの代名詞」 である病院食。そりゃ、食欲も無くなりますわ、ってお話です。

 幸い、自分は食事制限がないので、家内に差し入れ食を作ってもらい、ランチジャーでカレーライスでも、チャーハンでも、熱々のまま持ってきてもらえる。大好きな味噌煮込みうどんだって、お雑煮だって可能。病人の我が儘だと思って、ここは家内に無理を聞いてもらい、好きなモノを食わせてもらおう(笑)。

脂汗

 抗ガン剤の5日間集中投与を終え、なんとか激しい副作用に悩まされる事なく乗り切ったのだが、実はこの間に奥歯の詰め物が欠けてしまい、歯科の予約をしていた。それと、先月の腹部腫瘍(虫垂ガン&左睾丸)の摘出手術の際、気管挿管を抜く時、かなりの力でかんでしまったらしく、前歯も少し欠けてしまっていた。自分の入院しているD病院は総合病院なので、歯科も眼科も耳鼻科もある。入院してても他科で診てもらえるのは、総合病院の強みだね。

 昼食前に歯科からお呼びがかかり、欠けた歯の治療に。問診票に必要事項を記入し、診療室へ。ハッ! すっかり忘れていたが、自分が一番苦手としている治療……、歯医者さんだよッ! このところ肺ガンだの、脳腫瘍だの、ドデカイ病気ばっか患ってたモンですっかり忘れていたが、歯医者さんほど怖い診療科は無い。診療台に座るや、脇の下にイヤ~な汗が滲んでくる。

 「はい、眠釣さん、こんにちは。今日は欠けた部分の補修だね」

 「は……、はい。よろしくお願いしま……ふ」

 「ん? 痛む歯もある?」

 「い、いいえ……」

 「あ、そう。じゃ、椅子を倒すからね」

 「じゃ、奥歯から治していきます」 (キュィ~ン、ガリガリ……、シュゴ~ッ!)

 「フンゴッ、ハグゥ~ッ!」

 「あ~、詰め物の下に少し虫歯があるね。チョット我慢ね」 (キューン、ガリリリ!)

 「ヴェ~、アゲゲゲゲゲゲゲッゲゲッゲゲゲッゲゲ……」 (全身硬直)

 「そんな痛くないはず……」

 「いらくらいけろ、ろはひんれふ……(痛くないけど怖いンです……)」 

 「はぁ?」(クスクス……)

 「はい、奥歯を削るのは終わり。じゃ、詰め物しますよ」

 奥歯の治療が終わり、今度は前歯。前歯は角が欠けただけなので、神経まで触れる心配はないから、安心してお任せできた。前歯もキレイに補修していただき、これで終わりかと思ったら……。

 「眠釣さん。今、抗ガン剤による化学療法受けてるね」

 「はい」

 「抗ガン剤の副作用でね、口内の粘膜に影響が出るの、知ってる?」

 「口内炎とか歯肉炎ですよね……」

 「そうそう。そうなると食事とかつらくなるンですよ」

 「ですよね……」

 「万が一、そうなったら痛み止めのゼリーを使いますから」

 「キシロカインゼリーですか?」

 「おっ、よく知ってるね。説明あったの?」

 「いえ、まぁ、色々と読んだり、聞いたり……」

 「だから歯周病ポケットの検査と、歯石も取っておきましょう」

 「はい、お願いします」

 なんとラッキー。歯の治療に加えて、オーラルケアまで受けられちゃった。全身に脂汗を浮かせて治療に耐えた甲斐がありましたよ、ってお話でした。

 今日のネタはツマンね~ッて? そら個人日記だもんよ、しゃーあンめェ。なんしろ歯医者さんで散々怯えまくってきた後なんだから(笑)。

微熱

 昨日から食欲が少し落ち始め、今朝は朝食は完食したモノの、どうも調子が良くない。朝の検温では37.1度。お昼には37.6度まで上がり、食欲はゼロ。しかし、なにかしら食べねば……、と副食のイワシの梅じそ揚げと、デザートのバナナをなんとかお腹に入れて、抗ガン剤治療の第2クール5日目、ペプシド+シスプラ投与前の制吐剤を多めに投与してもらう。

 午後1時過ぎ、先陣のペプシド隊が出撃し半刻(1時間)の攻撃開始。特段の吐き気は襲って来ないが、今までのように楽勝気分ではない。いつ吐き気が襲ってくるか……。ビニールシートとビニール袋を枕元に用意し、万が一に備えておく。シーツやお布団を汚すような粗相だけはしたくないのだ。ペプシド隊の攻撃中はなんとか乗り切った。本隊のシスプラ隊出撃。本隊の攻撃時間は一刻(2時間)。熱はやはり37.6度と微熱が続いている。主治医のN尾先生は、

 「ガンマナイフ手術の影響からの微熱かも知れませんね。
  ツラくなってくるようでしたら、すぐに言ってください。
  我慢も辛抱も不要ですよ。
  ちゃんと対応策もお薬もあります」 (^-^)ニッコリ

 心強いなァ……。キツイ治療でも、この一言で耐え抜ける。あ、耐え抜けるって表現はおかしいか。我慢も辛抱もしないでいいんだから、”キツイ治療でも安心して受けられる” だね。N尾先生の言葉には、さりげなく患者の心の機微に触れる響きがある。


 いつ吐き気や強烈な不快感が襲ってくるかと、ビクビクしながらのシスプラ隊の攻撃時間。しかし、血圧も酸素摂取量も安定しており、微熱特有の倦怠感、食欲不振だけで、激しい副作用には襲われずに済んだ。

 これで5日間の集中投与が完了。次は24日にクリスマスプレゼントのブレオ投与。そして大晦日31日にも一日早いお年玉のブレオ投与。ブレオの投与を受けると必ず微熱が出るンだよなァ……。そんでもって、この時期にはシスプラの最大の副作用、白血球減少が起きる。すなわち外部接触は極めて危険な時期になる。従って、眠釣の平成二十三年は病院で迎える事と相成り候、ってお話です。

 家内に余計な心配や負担を掛けたくないし、ドクターからも外泊・外出はストップされるだろうし、生きてりゃこの先、新年は何度でも来る。病院で迎える新年があっても良いではないか。あくまでも ”生きてりゃ”、だけどね(笑)。

感謝

 抗ガン剤治療の第二クール二日目。今日は偵察部隊の制吐剤15分ほど物見に出かけ、第一陣のペプシド隊が半刻(1時間)、本隊のシスプラ隊が一刻(2時間)、後詰めのブレオ隊四半刻(30分)という戦闘時間で、ガン病巣への波状攻撃の突撃戦を繰り返す。

 途中、外科の主治医だったM山先生が陣中見舞い(?)に来てくださった。

 「K病院のガンマナイフ、どうだった?」

 「フレーム装着と、取り外しがチョ~痛かったですぅ~」

 「頑張ったみたいだね」

 「処置中は睡眠薬で眠らされてたので、頑張ってないですけど」

 「まぁ、準備と後処理がキツイからね。特に麻酔の切れてくる後処理が」

 「フレーム装着の時のキシロカイン注射とネジの締め付けも痛かったです。
  それと、取り外し前にトイレに行きたいって言ったら、フレーム付けたまま
  手術室を出て、外来患者もいる廊下の先のトイレに行かされました」

 「外来通路? みんなドン引きしてたでしょう(笑)」

 「はい~。中世ヨーロッパの拷問みたいな状態でしたから……。
  でも、その後のフレーム取り外しが地獄の痛さでした」

 「ははは、頭は痛点少ないんだけどねェ(笑)」

 「僕は痛点直撃のクリティカルヒットでしたよ」

 「痛み止め飲んだでしょ?」

 「このD病院から持って行った、お昼ご飯後用のロキソニン一錠だけ……」

 「えッ? そりゃ痛いわ(笑)」

 「ナースコールで看護師さんにボルタレン坐薬お願いしました」

 「だろうね」

 「でも25mmだったから、50mmにしてって頼んだけどダメでした」

 「効かなかった?」

 「それが睡眠薬もまだ体内に残ってたみたいで、ウトウト眠くなりました」

 「よかったじゃない」

 「はい。安静時間1時間が過ぎた時は、かなり痛みは消えてました」

 「無事に戻ってきて、また”元気に”治療を続けていける前向きさがスゴイです。
  これからも頑張って!」

 「はい、シッカリと養生します。ありがとうございます!」

 なんともありがたい陣中見舞いだった。自分はM山先生の直球ストレートな物言いが好きだ。現在の主治医のN尾先生のコーナーを突く笑顔の物言いも好き。自分は良い先生にお救いいただいていると、家内共々感謝している。

 さて、自分は抗ガン剤特有の吐き気や不快感といった、ツライ副作用を感じた事はないが、微熱が出たり、足がむくんだり、多少のふらつきは感じたりはしている。抗ガン剤の投与中は、5分、10分、15分、30分、60分おきに血圧と酸素摂取量を計測し、静脈からの点滴の漏れがないかの確認が行われるので、看護師さんがほぼ付きっきり状態になる。

 本隊シスプラ隊の戦闘時間中、ベッドから身体を起こしてジュースを飲もうとしたら、フワッと来た。めまいや不快感じゃない。むしろ快感とも言える、酩酊感に近い感覚が襲ってきた。思わず目を閉じる。

 「眠釣さん、どうしました?!」

 「あ……。今ね、フワッてなった……」

 「気分悪いですか?」

 「いや、むしろ気持ちイイ感じ」

 「眠いです?」

 「違う。フワッってして、締め落とされる寸前の感じ」

 「よくわかんないんだけど……」

 「貧血で倒れる寸前の感覚」

 「それ、ダメーっ!」 (急いで血圧測定)

 「あ、上の血圧が100飛び台、下が60寸前まで下がってる!!!」

 「大丈夫、気分も悪くないし、意識もはっきりしてるから」

 「無理にお話ししなくてイイから」

 「したら、音楽聴いても良いですか?」

 「いいよ」

 「じゃ……」 (ICレコーダー兼MP3プレーヤーをセット)

♪チャッチャッチャラ~チャ~ラ~ラ、チャッチャーラッ!
 ズンズンチャッチャ、ズンズンチャッチャ、
 ズンズンチャッチャ、ズンズンチャッチャ、

 つぅよい ヤツほど 笑顔は優しい~
 だぁあって 強さは あ~い(愛)だモノ~♪

 (中略)

 た~お~れたら 立ち上~がり~ 前~よりも強くぅなれ~
 く~るしみを く~るしみを 越~え~よ~ぉぜ~
 Oh,Yes! 俺た~ち おと~こさ~ 男さ~

♪ズッチャカラッチャ、チャ~ラ~ラ、チャ~ラッチャッ♪

 宇宙刑事、仮面ライダー、戦隊物、牙狼<GARO>などの、激燃え系特撮ソングメドレーを流す。来た来た来た、キタ━(゚∀゚)━! もう、気分はアゲアゲ、アドレナリンやらドーパミンやら、脳汁ダダ漏れ状態。15分後の血圧は132ー72。なんて単純なオッサン……(笑)。

 「眠釣さん……、わかりやすすぎッ!」

 「うん、よく言われるし、みんなそう言う(笑)」

 「じゃぁ、燃え歌聴いて、安静にしててください。30分後にまた来ます」

 「は~い。お願いしま~す」

 かくして血圧は正常値を保ったまま、後詰めのブレオ隊の突撃も終了し、戦闘二日目は無事終了。ってか、自分はまだ14日に脳腫瘍を放射線治療のガンマナイフ手術でやっつけてきたばかり。第四ラウンド終了退院から、またしてもインターバル無しで抗ガン剤治療を受けてるンだよなぁ。まぁ、放射線治療と抗ガン剤治療は平行は無理だけど、交互にはできるからOKなんだけろうけど。丈夫な身体と、脳天気な性格を授けてくれた両親とご先祖様に、改めて感謝だよなぁ。やっぱね、いるだかいねぇだか、わかんねぇ神仏よりも、確実にこの世に存在し、この生命と身体を授けくれた、両親とご先祖様が一番だよ。

 元気になったら真っ先に、両親と家内と一緒にお墓参りに行かなきゃなぁ。その次に菩提寺のご本尊と近所の神社に行って、「ご加護持ちまして、無事、退院できました。ありがとう存じました」と、お礼参りをしてこよう。神威、霊徳、慈悲のある神仏ならば、乞い願わずとも叶えてくださるモノだからね。良き事があったり、無事に年が越せたりとか、それだけでも有り難い事じゃないか。ましてや願掛けもしていないのに、ガンとの闘病から生還できたら、神仏の慈悲深さに涙してお礼申し上げねばならんでしょう。

 眠釣は神仏に自分自身の事は頼らないが、尊崇する心は誰よりも強いのだよ。決して無神論者ではないので、勘違いしないように。