舌悦 | 剣竿一如

舌悦

 食材にはそれぞれ 「旬」 ってモンがあって、冬には冬に旬を迎えるモノを食うのが一番なのは言うまでもないんだが、栽培技術、品種改良、海外輸入ルート、輸送技術、保存技術の進んだ現代では、真冬でもトマトだろうが、スイカだろうが、買い求めようと思えば何だって手に入れられる。

 自分は肉類や魚類も好きだが、40代末から野菜類の美味さに目覚め、とりわけ根菜類を好んで食うようになった。今の時期、一番好みの料理は、ダイコンをシンプルに出汁で炊き、粉山椒を振って、炊きたての飯と共にフゥフゥと食う。他におかずなどいらない。あぁ、言い過ぎた。ダイコンの葉の塩もみ、程度の香の物は欲しいな。残念ながら入院中の身の上では、この至福の一品を味わう事が出来ない。

 病室の天井を見つめながら、「ダイコン炊いて、食いてェなぁ……」 と独りごちていたら、不意に牛肉のタタキが思い浮かんだ。なんだ、この思考の飛躍は? ともあれ、思い浮かんだら最後、食べたくて食べたくて、どうにもならなくなってきた。しかし、今日は抗ガン剤治療第三クールで、ブレオマイシンの追加投与日。ブレオマイシンは自分にとって、微熱、吐き気、耳鳴り、血圧低下などの直接的な副作用が最も出やすいお薬。投与されたら、牛肉のタタキなど食べたくなくなってしまうに違いない……。そうだ、そうだ、気分が悪くなってしまうかもしれないから、やめた方がイイ。うん、諦めよう……。

  「あ~、もしもし。あのさ、今日のお昼なんだけど、牛肉タタキってお願いしてイイ?」

 お~いッ、眠釣! オマエは何を頼んでいるんだ? 吐き出しちゃうかもしれないぞ!

  「お肉食べられるの?」

  「う~ん、ブレオ投与なんだけど、今の気分はどうしても牛肉のタタキなんだ……」

  「生肉ダメじゃない? 白血球の値は?」

  「大丈夫、7千ユニットあるから正常値の上の方」

  「ホントだね?!」

  「ウッソじゃねーって!」

  「ローストビーフじゃダメなん?」

  「グレービーソースじゃなくて、ポン酢味で食べたいんだ」

  「う~ん、じゃぁ、作ってあげるけど、気分悪くなっても知らないよ」

  「大丈夫だと思う。根拠はないけど(笑)」

  「わかった。残したら私が食べるからイイよ(笑)」

 抗ガン剤の追加投与は午前中で終了。それも耳鳴りだけの、ほぼノーダメージ。正午……。家内が昼食を持って登場! ランチジャーを開けると……。

 1.上段保冷パック=牛肉のタタキ&茗荷刻みサラダ
 2.中段保温パック=芝海老とネギの焦がし醤油風味チャーハン
 3.下段熱蔵パック=モヤシとシイタケと生ニラの中華スープ

 やった~ッ! 大好きメニューばっかりじゃーん。ベッド上で小躍りしながら、牛肉のタタキを……、ウッマァ~イ! 時季外れだが茗荷の風味がビンビンに効いていて、ポン酢+ワサビとの相性も最高。このお肉……、高かっただろうなぁ……。サシの入り方、色合い、脂の甘味、どれもこれも申し分無い。目を閉じ、肉の出自を探るような表情で食べていると、家内が一言。

  「飛騨牛A5だよ!」

  「ゲッ! マジで?」

  「お肉食べたいって言うから、”最高のモン食べさしたげよう” と思った」

 ここで ”松阪牛” じゃないトコが家内らしいね(笑)。いやいや、飛騨牛は最高のお肉ですよ。自分も松坂、飛騨、神戸、米沢など、どれも美味しいし、味にどんな差があるなんてわかりません。ともあれ、今日は「口福」 ならぬ、舌の悦び、「舌悦」 を楽しんでしまいましたよ、ってお話です。

 贅沢しすぎだって? うん、自分もそう思います。でもね、それができるように自分は頑張ってきたンだよ。そして我が身の幸せを噛み締めながら、闘病の日々を過ごしてます。

 俺ァ、末期ガンなんだよ。いつ死んじまうかも知れないんだから、自分で稼いだ金で贅沢したってイイじゃん(本音)!