私たちは“仮想現実の世界”に生きている!

4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”24

 

 最後に、日本国憲法についてです。

 

 日本の憲法についての一般的な理解は、戦後日本は、軍国主義を排し、国民主権と基本的人権の尊重並びに戦争放棄・戦力不保持などの平和主義を主な内容とする憲法を国会での審議を経て、自主的に制定し(民定憲法)、その後国民に広く支持されているというものではないでしょうか。

 

 中学校の公民の教科書でも、憲法草案がGHQによるものであることには触れているものの、その後のプロセスでは、日本国民の代表たる国会議員が主体的に審議し、決定したかのように書かれています。例えば、東京書籍版では、「政府が初めに作った憲法改正案は天皇主権を維持していたため,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し,政府はそれを基に改正案を作り直しました。改正案は,帝国議会で審議され,一部修正のうえ可決されました。」(p39)GHQの見直し指示について言及はありますが、全体のトーンとしては、という感じです。

 

 また、通常は、比較的中立的な言動をされることから、私も一定の信頼を置いている池上彰氏も、この日本国憲法については、同じトーンで言及しています。即ち、次のような理由を挙げて、日本国憲法は、必ずしも『アメリカからの押し付け憲法』とは言えず、日本が自主的に制定した憲法と考えてよいと“断定”しています。その理由として、池上彰氏は、憲法草案はアメリカがつくったものだとしても、その内容の多くは、日本の学者グループの改革案を参考にしていること、国会を一院制とされていたものを二院制とするなど日本側が押し戻したものもあること、その後の国会審議でも、内容に変更が加えられたこと、さらに、国民の代表である国会議員によって承認されたことを挙げています。

 

 しかしながら、上述の『憲法の自主制定論』の議論は極めて“奇妙”です。それは、制定当時の『占領体制』を捨象した、“現実離れした創作物語”だと言わざるをえないからです。

 

 つまり、憲法の制定が、連合国軍司令部(GHQ)の軍事力を背景とする占領下において、すなわち日本に“主権”のなかったという異常事態の下で行われたものであることを忘れてはなりません。『憲法の制定』は、『国家主権の行使』の最たるものですから、『ポツダム宣言の受諾』により、連合国軍司令部(GHQ)に“主権”を奪われ、それに“隷属”していた被占領国家が主権の行使たる『憲法の制定』を行うことはできないのです。

 

 この点、日本国憲法の正当性を裏付けるための学説として東京大学教授宮沢俊儀氏の『八月革命説』という説があります。ポツダム宣言の受諾によって、いわば“革命”が起こり、主権が天皇から国民に移ったとして、日本国憲法は、主権者たる国民が制定した民定憲法であるとするものです。(私自身、大学時代に習った際には何の疑問も感じずにそんなものかと理解していました。)しかし、この説は、当時のGHQによる占領体制という現実を全く無視している点で説得力を欠いています。

 

 ポツダム宣言の受諾によって、主権は、むしろ天皇から連合国軍司令部(GHQ)に移ったと見るべきで、新旧両憲法は、この主権者たるGHQの容認する限度でのみ効力を持ち、主権者GHQは、両憲法にも全く拘束されず、また、議会や政府、さらには国民の意思にも拘束されないという状態であったわけです。つまり、仮に日本国憲法の内容が、政府や議会を通して現れた日本国民の意思によるものであったとしても、それがGHQの気にいらない内容であれば、全く無視することもできたというのが、実態でした。つまり、『憲法自主制定論』の前提となる『民主主義』が実質的に機能していなかったのです。主権者たるGHQに決定権があったことに加えて、民主主義の前提である『言論の自由』が制約され、情報統制されていたことで、実質的に認められていなかったからです。

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