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4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”21

 

 第四に、南京大虐殺事件についてです。

 

 南京大虐殺事件とは、1937年(昭和12年)12月の南京戦において、日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際に、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵そして南京城内や周辺地域の一般市民など大量の中国人を虐殺したとされる事件を言います。結論を先に言えば、『日本軍による計画的組織的な中国人の大量虐殺』という事実はない、それはねつ造されたものであると言わざるを得ないと考えています。以下にそのように考える理由を述べます。

 

 第一に、日本軍には『南京を攻略する』意図はあっても、『南京において中国人を計画的組織的に大量に虐殺する』という“動機”が全く存在しなかったことです。例えば、アメリカ軍が東京を始め日本の大都市を空爆し、広島と長崎に原爆を落として、女性や老人、子供をも含めた無差別の大量殺戮を行ったのは、それによって日本軍の戦意を喪失させて戦争を早く終わらせるためだと言われています。ところが、南京攻略の前に既に蒋介石は、勝てる見込みがないと判断して、南京の20万人近くの市民を置き去りにしてさっさと漢口へ逃げてしまったのです。しかも、後を託された唐生智将軍も陥落前夜には逃げてしまっており、既に勝敗は決していましたから、そもそも『大量虐殺』の必要性は全くなかったのです。

 

 第二に、そもそも日本軍は、南京攻略に先立って、南京という大都市を戦場にすることを避けるため、『オープン・シティ』にするよう、国民政府に勧告しており、国民政府がこれを無視したという事実があります。第二次世界大戦でも、フランス軍の司令官がパリをオープン・シティとする旨の宣言が行われたため、パリは無傷のままでした。もし、日本軍が『計画的組織的な中国人の大量虐殺』を考えていたとすれば、『オープン・シティ』を勧告するという行為は、矛盾することとなります。

 

 第三に、南京攻略の前に、松井石根将軍は、全軍に次のような訓令を出しています。「日本軍が外国の首都に入城するのは史上初めてのことであるから、後世の模範となるような行動をするべし」そして、軍規を守るよう徹底していました。それは、この日中間の戦争に国際社会の注目が集まっており、現に多くの外国人ジャーナリストが中国にいたことを踏まえたものでもありました。

 

 第四に、この南京大虐殺事件が取り沙汰されるようになったのは、8年も経過した東京裁判において突然出てきたのでした。南京入城に際しては、百人以上の記者やカメラマンが同行しており、外国人ジャーナリスト5名も含まれていましたが、『南京大虐殺』というような記事も本も当時一切出ていなかったのです。もし『南京大虐殺事件』が真実であるならば、そのような大事件について、記事や本が出ないというのは、まずありえないことです。なお、英国『マンチェスター・ガーディアン』紙の特派員のハロルド・ティンパリーというオーストラリア人記者が、南京陥落の半年後に『外国人の見た日本軍の暴行』という本を出していますが、この著者は、一度も南京に行かずにこの本を書いており、書かれた話はすべて伝聞証拠で信頼性を欠くものであるというだけでなく、国民党国際宣伝処に雇われて反日プロパガンダとして書かれたものであることがわかっています。(『「南京事件」の探究』北村稔著pp.40‐44)

 

 第五に、南京市の人口は、日本軍による南京攻略の前には、非戦闘員20万人と軍隊の数が5万人で合計20万人でしたが、南京陥落から1か月後に、南京市の人口が5万人増えて合計25万人になっていることです。(南京市の安全区を管理し、市民の保護に当たっていた国際安全委員会の発表による)南京大虐殺の被害者は、20万~30万人とされていますから、南京市の全人口以上に相当する人々が殺された後1か月の内に、周辺の都市から25万人が南京市に戻ってきたことになりますが、もしそのような大虐殺が本当に行われたとするならば、その後時を移さず1か月の内に住民たちがそのような恐ろしい所へ帰ってくるとは到底考えられません。

 

 第六に、『大量虐殺』とされている中には、本来それに含まれるべきではない、『中国兵による略奪、放火、殺人』だけでなく、さらには『正規の戦闘により死亡した中国兵』、『投降して捕虜になりながら暴動を起こして鎮圧された中国兵』及び『いわゆる便衣隊という軍服を脱ぎ捨てて市民になりすまし、逃げようとしたり、日本兵をピストルで撃とうとした中国兵』などが含まれていることです。当時南京にいた米国の副領事が、漢口の米国大使に送った報告は、『中国兵による略奪、放火、殺人』に触れ、住民たちは、日本人が来れば待望の秩序と統制が回復するだろうと日本人を歓迎する気分さえあったとしています。(中村粲『大東亜戦争への道』)

 

 また、もちろん、戦争中のことですから、日本軍の勇み足や巻き込まれた市民もいた可能性は否定できません。実際に松井石根将軍は、一部の軍規違反者に対する厳しい処分を行っています。しかしながら、先に紹介した国民党政府から雇われて反日プロパガンダとして、『外国人の見た日本軍の暴行』を刊行したティンパリー記者は、被害者数を水増ししていたものと考えられますが、それでも被害者数は3万人としていたのです。それがいつの間にか30万人に膨張したというわけです。

 

 この点は、米国が東京を初めとする日本の都市への空襲による被害者が約20万人、そして、広島と長崎への原爆投下による被害者が約10万人で、合計30万人となることから、米国がこれらの国際法に違反する無差別攻撃を正当化するために、日本の残虐性を訴える材料として、東京裁判において、この南京大虐殺事件をねつ造したのではないかとの説があり、説得力があるように思われます。

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