私たちは“仮想現実の世界”に生きている!

4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”⑱

 

 実は、このように敢えて自国民を犠牲にして、それを敵の“卑怯な騙し討ち”だと糾弾し、国民を戦争に駆り立てるという、このやり方は、歴史を振り返れば、ルーズベルトに限らず、アメリカが侵略戦争を仕掛ける際の常套手段だったのです。例えば、アメリカのメキシコとの戦争(1846年~1848年)の開戦の契機は、「アラモ砦の戦い」でした。清水馨八郎氏によれば、「この戦いは、アメリカが自国のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃をさせ、自軍に相当の被害を出させたうえで『リメンバー・アラモ砦』を合言葉に戦争を正当化し、国民を鼓舞して反撃に移るというもので、これは、この先アメリカが侵略戦争をするときの常套手段となるのである。」(清水馨八郎著『侵略の世界史』pp.160-161)

 

 さらに、1898年のスペインとの戦争においても、「米国は、ハバナを表敬訪問中の米戦艦『メーン』を自ら爆沈させ、2060人の乗組員を犠牲にし、これを敵がやったことにして『メーン号を忘れるな』を合言葉に国民を戦争に駆り立て、有無を言わさず、スペインに宣戦布告した。」(清水馨八郎著『侵略の世界史』p.161)というのです。

 

 そして、ルーズベルト大統領の「屈辱の日演説」の後に、共和党の重鎮で下院議員のハミルトン・フィッシュ氏が応援演説を行いました。フィッシュ氏は、当時ルーズベルト大統領(民主党)が最も恐れ、最も憎んでいた男だと言われており、それまではルーズベルト大統領のニューディール政策を厳しく批判し、『アメリカが攻撃されない限り、他国のいざこざに介入すべきではない』との非干渉主義の立場でした。しかし、この時ばかりは、日本軍の米国ハワイ州真珠湾への奇襲攻撃を受けた直後であり、ルーズベルト大統領に請われて、対日宣戦布告に同調し、議会において応援演説を行いました。ルーズベルト大統領に乗せられて共に国民を戦争へと煽ったのです。

 

 ところが、戦後になって、宣戦布告の権限を有する米国議会に知らされることなく日本に対して突き付けられ(1941年11月26日)、日本を対米戦争に追い込んだ実質的な“最後通牒”(そのことは11月28日に“最後通牒の性格”を持つ第二の文書をさらに発する必要性があるかどうかについてスチムソン長官と話し合った際、ルーズベルト大統領自身も認めていました。)であるハル・ノートの存在を知り、ルーズベルトこそが米国議会と米国民を欺いてアメリカをこの戦争に巻き込んだ張本人であることを確信するに至って、フィッシュ氏は、激怒します。そして、戦後に「ルーズベルトの開戦責任(How We Were Tricked into World War II)」(草思社文庫)という本を出版し、ルーズベルト大統領の戦争開始責任を厳しく追及しています。

 

 真珠湾攻撃の1か月以上前の1941年10月20日に、中国の義勇兵に偽装したアメリカ空軍の退役パイロット集団『フライング・タイガース』が、アメリカが中国に供与した戦闘機約百機で、昆明の日本軍に爆撃を加えていたのである。

 

 以上、真珠湾攻撃は、ルーズベルト大統領が自ら計画的に日本に“先制攻撃”をさせるように仕掛け、また、事前に暗号解読などから日本側の“奇襲攻撃”の計画もわかっていながら、米国の第二次世界大戦への参加について米国民の同意を得るために、わざと日本側に“奇襲攻撃”をやらせたのだということ、日本政府は事後通告とするつもりはなく、現地大使館の大使らのミスによって遅れた、いわば“事故”であったこと、アメリカは、偽装義勇兵『フライング・タイガー』を使って、真珠湾よりも先に攻撃をしていたこと等を考えれば、真珠湾攻撃を以って、日本軍の一方的な“卑怯な騙し討ち”だと、少なくともルーズベルト大統領が非難することはできないでしょう。

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