金曜日の夜、昔好きだった映画をレンタルして、ぼんやり眺めてみた。
いきなり話は変わるけど、自分に対して「昔」という言葉を使うことを、ダサいと思ってきた。
十代や、二十歳そこそこで過去の自分を「昔」ってたかが知れてる感じがして、なんか恥ずかしい気がした。アラサーを迎えて、「十年前」を自意識のある自分と認められるようになって、なんとなくその辺り以前は、「昔」と呼べるんじゃないかなという気がする。今手元にある新明解さん(第七版)を引いてみたら、
【昔】過去の時代。[自分が経験したことのある近い過去から、経験する以前の遠い過去までも指す。]
とのことでした。個人的には「昔」より「過去」の方が今に近いイメージ。そういえば、「思い出」って言葉もずっと苦手。なんかパッケージングされてる感じが得意じゃないんだろうなあ。。
これからも、当たり前のように、過去が長くなってく。
話は戻って映画のこと。
好きだった映画は、やっぱり今でも好きだった。よくできた映画なのかとか、何が上手なのとかじゃなくて、やっぱり今でも好きだった。
姉弟の話が好きなのかもしれない(私には弟がいる)。移動し続ける映画が好きなのかもしれない。恋がすべてじゃないのもいい。
そういえば、いつか好きだったあの人もこの映画が好きだと言ってたなっていうのを、観ながら思い出した。
十数年前の邦画だけど、スマホが出てこない2時間に、これは「昔」の物語なんだなあと思って、スマホ時代、コロナ時代との距離を感じた。
主人公の姿を眺めつづけて、演技は身体なんだということが、なんかスッと腑に落ちた感じ。
また数年後に観るんだろうな。
あの頃と比べたら、私自身はずいぶん自由になった気がする。
距離を取ると、近づくものの選択肢が増える感じ。
最近はずっと、心も身体もユラユラしている。