我が家には、現在3匹の「にゃんこズ」がいたりします。



全部♂ってとこが面白いけど、気性は全部バラバラで「猫にも個々に個性があるよね~」と毎回猫と出会うたびに驚かされたりします。



んで、我が家はもう一匹二匹くらいなら飼う余裕あるかなぁ・・・?な状態。



憧れてたのは長毛種、メインクーンだったりしますが、同じ飼うなら「殺されてしまうかもしれない命」を優先に考えて、切羽詰まってるであろう「里親募集」のサイトから、その里子に出す理由を吟味しつつ、魂呼び合う子を探して彷徨っておりました。



すると!

なんと、大阪でも高槻という、うちの家からは範囲内?の里親募集を見つけ、しかもその子に一目惚れ(〃∇〃) てれっ☆


・・・・・・・・・また♂なんですけどねw



その方は、お友達に頼まれて保護してるらしいのだけど、元々ノラちゃんだったらしく、保護した方がすでに多数の保護成猫を飼ってるということで子猫を置くことが出来ず、そのお友達にSOSを出した!ってことらしいのですけど。。。



・・・・・・本心を言ったら

「自分が世話出来ない、誰かに丸投げするのであれば、無責任に拾ってはいけない」と思ったり(苦笑)


で、その人がいいお友達さんも少しの間しか猫を置いてやれる環境ではないらしく、「幸せにしてくださる方に!」と今回里親募集をされたんだそうな。



そんなわけで、こちらの状態等をメッセージに込めて、連絡待ちとなりました。

ご縁があれば、生後2ヶ月くらいのにゃんこが家族に加わると思います(* ̄∇ ̄*)




碧凪のブログ-猫


私はアメブロで書く以外に、数年前からお世話になってるfreemlとmixiにも「大丈夫なもの」は同じ記事を載せてるんですけど。。。


先ほど、般若心経のお話を両サイトに載せたところ、不思議な猫さまが釣れたり、詳しく教えてもらえそうな般若心経の本を紹介していただいたりしました。


般若心経、やはり宗教をやっているいないに関わらず、よくご存知であったり、日々その教えを生かそうとしてる方々がいるんだなぁ。。。と改めて思った次第です(* ̄∇ ̄*)



んでは、先ほどの続編をば♪



般若心経の解説本ですら難しくて理解出来なかったバカ者な私。。。=■●ポテッ

それにも懲りずに「もっとわかりやすい本ないかな~?」なんて探してたら、アマゾンにてとある本を発見。



碧凪のブログ-本



はい、つまりは「般若心経の絵本」ですw

レビューでの評判も高くて、たしか作者の方がかなりの年月かけて描かれた絵本だそうで、初心者でもわかりやすく般若心経の世界を教えてくださる・・・ってことで、このご本に飛びついてみました。



数日後、配送されてきた本を見ると、たしかに紹介であったように絵だけでも「ほわ~ん♪」とした気分になれます。

最初に描かれてるお釈迦様や観音様の優しいお顔もそうですし、お弟子さん達の表情も何やら可愛い(〃∇〃)


でも!

やはり内容は般若心経。

絵本と侮って読んでいたら、・・・はっきり言って難しいです(^^;;;


ただ、最初の方に描かれてたハンニャハラミツ(般若波羅蜜)は、私がイメージしてた海底に近いものがあったかなぁ~・・・とw

でも、あの海を思い出して「体感」しようともがいても、やはり悟りの世界は簡単ではなく、意味がわからない、まだ自分が体験できていないから抜け落ちたジグソーのピースのような感覚にはなってしまいますが(苦笑)



前日記に書かせていただいた

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」(ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハーラーソーギャーテー ボウジソワカ)

という言葉も、前の本の訳とは違う表現をなされていました。



羯諦(ぎゃーてー)


毎日 毎日 新しい命


羯諦(ぎゃーてー)


だんだん 心が 澄んでくる  みんな みんな 仏さま


波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)


すべてを なげだし すべてを まかせよう  大きな 海と ひとつになる


波羅僧羯諦(はーらーそーぎゃーてー)


おかあさーーん


菩提薩婆訶(ぼうじそわか)


いのちは ほとけ


この言葉だけだと、いまいちよくわからないので、本文から碧凪的要約をば。。。w

(碧凪的ってところが曲者ですが、そこは勘弁(^^;)



般若波羅蜜(ハンニャハラミツ)とは、個々の人それぞれの心の中に必ず存在する「大きな海」のようなもの。

悟りを啓くには、その「大きな海」に何の計略も持たずに、ただただ信じて飛び込む行為をしなければいけない。

そうじゃないと、大きな海とは一体になれず、世事の毒を持ったままでは不可能だということなんだろう、きっと。


「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

この一説は、つまりはマントラ(真実の言葉)を意味する。

マントラとは、その言葉が「言葉の枠を超えて存在する」「その名を持てば実在するもの」と言ったらいいのか・・・?

マントラを理解するのが難しいので、般若心経の本では「おまじない」的な表現をしてるものもあったりする(^^;


おまじない・・・っていうか、魔法だね。

魔力ではなく、精神力を使った。


で、このマントラを唱えれば、ハンニャハラミツと一つになる!・・・らしいのだけど、上記説明だけでは言葉の意味やイメージが難しいと思うので、私なりに要約してみると。。。



ハンニャハラミツは大きな海。

その大きな海は、言い換えれば大きな大きな「お母さん」。

ハンニャハラミツと一体化して悟りを得るということは、すなわち「母に抱かれて安らぎを得る赤ん坊のようなもの」。


ハンニャハラミツとは、すべての仏の母、あらゆる生命の母、宇宙を包む大いなる母。


つまり、

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

のマントラは、この「ハンニャハラミツ」を呼ぶ為のマントラで、赤ん坊がお母さんを呼ぶような感じなんだそうな。



本文より抜粋すると・・・


もともと私達は誰でもみんな、この大いなる母の胸に抱かれ、その愛に包まれて生きている。

深い安らぎの中で、私達はみな大いなる母の赤ん坊なのだよ。


しかもそれとまったく同時に、私達は一人ひとりが大いなる母にたった一人で抱かれ、その優しい愛のすべてを一身に集める1人っこでもあるのです。



大いなる母、ハンニャハラミツは、大いなる母が全身全霊で生み出した私達「子供」を、どんなに愚かでも、どんなに罪深くても、貧しくても醜くても、全身全霊で愛してくれている。

人は、現実的に色んな欲望に従いすったもんだしているけど、結局最終的に求めてるのは、この母なる安らぎ、大いなる母のふところへ帰ろうともがいてるのではないか。

つまりは、人は母を探し求めている「赤ん坊」と同じ存在。

でも、そういう人のあり方では、どんなに頑張っても辿り着けない遠く彼方に「母」はいる。


だから、心の奥からお母さんを呼ぶのです。

その呼びかけの言葉がマントラ。

ただ言葉を発するのではなく、母を思い叫ぶ赤ん坊の声や思いと同じもの。


そのマントラを心から唱えると、母は愛する一人っこの為に駆けつけてくれる。



『 能除一切苦 真実不虚故 』


このマントラは真実の真言ですから

唱えればかならず願いはかないます。

大いなる母はすぐ駆けつけて手を差し伸べてくれます。

私達はその手に抱かれ

母のふところに飛び込めばいいのです。

すべてを預け、

すべてをまかせて。

その時 すべての苦しみは消えているでしょう。


『 説般若波羅蜜多呪 』


大事なのは

余計な計らいをすて

赤ん坊のようにすべてを母に預けること。

ただそれだけです。


『 即説呪日 』


そのマントラは大いなる母

ハンニャハラミツにこのように呼びかけるものです。


「遠くにいますお母さん、

 遠くにいますお母さん、

 遠い彼岸にいらっしゃるお母さん、

 彼岸で安らっていらっしゃるお母さん、

 さとりそのもののお母さん、

 ここに来て、私を胸に抱きしめてください」


さぁ、私達も赤ちゃんになって一緒に唱えましょう。


『 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 』



三蔵法師様も天竺行きで苦しんだ時に唱えられたというマントラ。

今はまだ言葉で理解しようともがいてるのが実状で、このマントラに行き着く前の話も悟りには必要不可欠なものだと思いました。

多分、最初から理解を進めないことには、マントラの真の意味や力を得ることはないんだろうなぁ。。。と。



ってことで、最後だけ理解するのではなく、次はゆっくりゆっくりと最初から「書いて説明が出来るように」自分自身の理解を深めていきたいと思います。






・・・・・・苦しいとき、心の中にいる「お母さん」的存在に身を委ねたら、辛い事も随分楽になるだろうし、休んだらまた「頑張ろう!」って気になるよね。

私の中での唯一の問題は・・・


私自身、文章で理解するだけではなく、やはりモットーとしてる「経験第一」において、自分自身の経験から感覚や感性を引き出して理解するって方法を取ってるのに、私自身が「母の愛」を感じた記憶がないっていうのが、もっとも大きな壁になりそうです(苦笑)

息子が問題を起こした直後、つまり5月末日頃から私は息子に

「朝、起きたら神棚のお水を換えて神様に挨拶をして、それから般若心経を丁寧に書きなさい」

という課題を与えた。



私はお釈迦様のように悟りを啓けるような知恵者でも達観者でもないし、漢文を要約できるほど知識もないし、サンスクリット語なんてわかるはずもない。



でも、般若心経は小学校の頃から妙に関心があって、その当時に前半4分の1くらいまで暗記していたほど。

なんていうか、前半の漢字の並び方で文字的に・・・ではなく感覚的に「深い海の底に沈んでたゆたうような、静かで柔らかくて、海面からの光に照らされて怖くもなく、自分一人の空間のはずなのに物言わない他の命に囲まれてる安心感?というか、なんだかそんな不思議なイメージを持ってたせいだと思う。



私は小学生時代、夏になると親と海水浴に出かけてて、砂浜よりも岩場が好きな父の影響で深い場所を素潜りで潜って遊んでたので、上記イメージの場所に辿り着いたことがあるんですよ。



水深5mほどの海底で、その時は波も非常に穏やかな、燦燦と太陽降り付ける海面の光が海底までしっかりと届き、5mも潜れば外世界の雑音も聞こえず、人間は見渡しても私しかいなくて、私しか存在しない世界の中でも魚達やウツボ、猫サメが目の前を悠々と泳いでいる。

でも全然怖くない。

自分も彼らと一緒なんだと思えた瞬間。


あの時と般若心経は、漢字の使われ方から似てるとなぜか思ったんですよねぇ。。。



なので、「我が身を振り返らない」「すぐにイライラしてキレる」息子には、とても必要な言葉だと思ったのだけど。。。



私の中の「お経」の概念は、ただ写してるだけでは有り難いお話の価値がない!

悟るには時間かかっても、およそどのような話が書かれているのかぐらいは理解しながら写経しなきゃ!

とか思うわけで、でも最初に書いた通り般若心経は非常に難しいので、最初はブックオフに売られていた


『 仏教のエッセンス 般若心経 』 薬師寺執事長 村上太胤 著


を買い求めたのだが・・・



一般の人にわかるように書きました!とあったけど、およそチンプンカンプンで何がなんやら(^^;;;;

私はここまでバカなんかいっ!!!!!と自分を情けなく思いながら、わからないままに読んでいくこと少々・・・



わかったのは、とてもじゃないけど、私が読み解いた内容では息子に「般若心経とは何か」を言うことが出来ないって事だった(苦笑)



その本で得た知識は、本文は理解出来なくても、般若心経の最後の方に書かれている


羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」


これをしっかり唱えなさいって事かも。

解説としては


「行こう 行こう さぁ行こう みんなで幸せの国へ行きましょう」

と訳された言葉で書かれていた。



でも、私としては、何も頑張っていない、悟れてもいないのに、ただ「幸せの国へ」と言われてもよくわからない(苦笑)

三蔵法師様も、数々の苦難を超えるのにこの言葉を繰り返し唱えられたとあるのだけど、多分その言葉以前の理をご存知だったからこそ、このおまじないのような言葉に力が加わったのだと思った。



ってことで、おバカな碧凪は悩み、もっとわかりやすく解説をしてくださる本はないか?と探していて、ようやく「これで理解出来なかったら諦めろ」と思うような本に巡り会えたのです。



続くww