「人は死んだら星になる」


おじいちゃんが死んだとき、親戚のおじさんがそう私に言った。


小学2年生になる前の春休みのできごとだった。


これが、私にとって初めての「死」との直面だった。


おじいちゃんは、かつて薬剤師として、


そして、9人の子供たちの親として、


そして、庭にバラの輝きを与えた、


立派な人物だった。


「おじいちゃんの星はどれ?」


私は親戚のおじさんに聞いた。


「おじいちゃんは今一番光っている星だよ」


と、おじさんは答えた。


そのときは、そういうものなんだと、


あまり、「死」に対して恐れや不安は抱かなかった。


「死んだら星になるんだ」


そう思っただけ。



その2年後、母方のおばあちゃんが死んだ。


癌だった。


そのときはもう、死後に人が星になるなんて信じていなかった。


ただただ、怖かった。


死の直前に腫れ上がるおばあちゃんを見て、怖かった。


「人は死んだら灰になる」


火葬されることも、怖かった。


おばあちゃんも立派な人だった。


おじいちゃんの後妻であったが、


私の母と叔母を本当の子供のように育ててくれたそうだ。


おばあちゃんが死ぬまでこの事実は私たちには知らされなかったことだが。



そのとき、夜空を見なかった。



その後、私には、「生と死」という人生のテーマが押し付けられた。


正確には、「いかに生きるか」だ。


ごく一般的な生き方は、


きっと女の子の場合、結婚して子供を産んで幸せな家庭をつくることだろう。


でも私にはちょっと違った生き方を望んでいる自分がいるのがわかった。


でも、うやむやなまま時間だけが過ぎていった。



答えは出ないまま、数年後、父方のおばあちゃんが死んだ。


私、一人が最期をみとった。


おばあちゃんは私にとって、とても大切な人だった。


死んだあと、気付いた。


9人の子供がいて、それぞれにまた子供がいる。


おばあちゃんにとっては孫であるが、


その孫の面倒を、おばあちゃんはみるのを嫌がる人だったらしい。


ただ私だけが、特別かわいがってもらっていたことを後になって知った。


体が弱かったせいで、保育園に行けず、おばあちゃんに面倒をみてもらっていたのだ。


その夜は、空を見ても何にも見えなかった。


どこを見ても何にも見えなかった。


涙で何も見えなかった。



そして数年。


「人は死んだら星になる」


そうであって欲しいと願う。


私は、この歳になってやっと自分が何者なのかを知った。


私は作家でありたいと思う。


祖父母たちのように「命をつなぐこと」をやってのけれないかもしれないけど、


わたしは自分の人生を作家として行きたい。



果たして私はこの人生を立派に生きれるだろうか。


今は病気療養中で家族に支えられながら、生きている。


生きなきゃいけないんだ。


私が死んだとき、夜空でちゃんと輝ける星になれるよう、


今を精一杯、生きたいと思う。