人生会議 | うさもる生活

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ロップのアポロンとダッチ系ミックスのアトラス、ヒマラヤンのエルピス、スキニ―ギニアピッグのソクラテス(’17年11月虹の橋へ)、アドニス、アテナ、日本初上陸品種ボールドウィンのカイロス(18'12月虹の橋へ)、クロノス、イリスとの日常を綴っております。

先日、亡くなった母にまつわる夢をみました。

生前、動けるうちにどこか旅行に連れていってあげたいな・・・と思いつつも、なんだかんだで、先伸ばし。

もっともっと前に、ディズニーランドに行きたいなんて言っていた時期もあったので、(イッツアスモールワールドが凄く好きだった)ディズニーホテルでも予約して、ちょっとリッチな旅行でもさせてあげようなんて思っていました。

しかし、認知症もひどくなり、骨折や、癌の発症。

結局、遠方に出かけられるような状態ではなくなり、計画さえもできず・・・。

 

そんなことを心のどこかで、気にしていた自分がいたせいか、母といくディズニー旅行計画をしている夢をみました。目が覚めて、あ、母はもういないんだ・・・と思い、なんだか切なくなりました。

「孝行したい時に親はなし・・・」って言うけど、ほんとだな・・・と照れ

 

話が少しかわりますが、少し前にマスコミでも話題になった、人生会議のポスター。

小藪さんが、関西弁で、病院のベッドでこんな死に方したくない・・って言ってる内容。

 

 

まてまてまて
俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それとおとん、俺が意識ないと思って
隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど
全然笑ってないやん
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院でおとんのすべった話聞くなら
家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな

 

「人生会議」しとこ

 

 
 

人生会議とは、アドバンス・ケア・プランニング(以下ACP)のことで、患者さん本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくプロセスを意味しています。
そして、この話し合いは、たとえば入院のたびごとに、繰り返し行われ、その都度、文書として残します。

 

以前、仕事の関係で、このACPについて、厚生労働省の委託事業をされている、神戸大学の木澤先生の講演&交流会に参加させて頂いたことがあるのですが、とても興味深い話でした。

木澤先生のお話は→こちら

 

私個人の話になりますが、仕事の現場で、治療の選択の意思を患者さんやご家族と面談する機会が多々あります。

例えば、ごはんが食べられなくなったらどうします?喋ることができなくなった時のことを考えていますか?もし、呼吸が自力でできなくなったら気管切開を望んだり、人工呼吸器をつけることを望みますか?

などなど。

 

実際、ほとんどの患者さんやご家族は、そんなこと考えたこともなかったといい、自分や自分の家族がそんな状況におかれるとは考えていない人が多いのです。(病気を認めたくないというのもありますが)

その時になったら考えるとか、まぁ、そうなったら、なんにもやらずに死にたい・・・とわりとさらっとおっしゃる人が多いんです。 (みんなポックリ死ねると思ってるんですかね・・・)

しかし、実際は、その日が、今日明日くるかもしれない。いつどんな状態になるのかわかりません。

その時が急に来た場合、どうしよう、どうしようと戸惑います。

もし、あらかじめ、意思決定がある程度聞かれていたら…と思うと、やはり、元気なうちに、今後おこりうる可能性を考慮し、○○になったらどうしたい?という話は、医療者などを通じ、本人、ご家族で話し合っておく必要があるのかな・・・とは思います。

 

また、その気持ちは病気の進行によっても変わってきます。

人の気持ちってわりと変わるものです。

実際、なんにもしませんって言っていた方が、その時の状況で、やっぱり○○してほしいと言い出すこともよくある話です。なので、繰り返し意思確認を行うということも非常に大事だと思います。

 

またポスターの話に戻ります。

実際に、炎上したのは、お笑い芸人を起用していてふざけてるなんていうのもありますが、「がん=死」を連想させるようなデザインがナンセンスとか、これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えたか?もっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えているのか?などの抗議があったようです。

たしかにそれも然り・・・。

 

個人的には、このポスター、決してダメダメとは思いません。(ダメなとこもあるとは思いますけど)

こんなことになる前に、元気な頃に、家族とちゃんと人生会議しておけばよかった・・・という意味では、ありかと思います。

また一方で、じゃ、話しておいたからといって、患者の意思がすべて尊重されるか・・・というのも感じます。病院のベッドで死にたくない・・・っていうのが、どうも、国の施策の在宅医療推進(医療費削減)を連想させてしまうのです。

実際、在宅での看取りなんてよく言いますが、在宅で看取るって、ものすごく大変です。

実際、私の母親も、病院で亡くなりました。

在宅で看取りたいという気持ちもありましたが、じゃ、看取りまで誰が介護するの?って話です。

本人の希望通り、もし人生会議をしていて、意思決定がはっきりされていたとして・・・。

じゃあ、本人が望んだように、してあげられるか・・・。

これもまたひとつの課題なんじゃないかなと思います。

 

さらに、もうひとつ。

自分が意思表示できなくなった時に、誰に、自分のことを託せるか・・・ということも話し合っておくべきということも言われています。

もし自分がそういう状況におかれた時、誰にお願いしようかな・・・なんて最近はそんなことも考えるようになりました。(まだ死ぬつもりはないですけど・・・)

 

母が亡くなる前に、モルモットのソクちゃん、カイちゃんに旅立たれ、「死」というものをより身近に感じるようになったのは、ここ最近のこと。

最近は子供たちに、ママが急に死んだら、うさもるたちのことよろしくねなんて、話しています。

いつなにがあってもおかしくないこのご時世ですから・・・。

 

病気の人もそうじゃない人も、もしも・・・の時のための人生会議。

身近なテーマとして、ご家族や親しい人と話し合ってみるのも、いいんじゃないかな・・・。

 

ここ数日、急な体調不良で、病院通いやおうちでケアをしている子たちの話を耳にします。

みんな元気になって、楽しく、希望をもって年越しを迎えられますように・・・。

 

 

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