チョコ先生チョコパイになりたいの図
 
 

以前、このブログで紹介した我が家のチョコですが・・・

 

 

昨日、天国へ旅立ちました。

 

午後1時半ごろから発作を起こし病院からの助言を受けながら酸素や薬を投与しながら一時は持ち直したものの発作は完全に治まる事は無く ”苦しい延命か、限られる時間だけ苦しんでの別れか” を選択する時が迫り、延命はせず静かに見送る事としました。

 

私達への挨拶だったのでしょう、めったに鳴く事のない子でしたが発作の中、最後に3回大きく鳴いて旅立っていきました。

 

猫といえばテーブルや棚の上の障害物を上手によけたり足場の悪い所も要領よく進んだりしますが、うちの子は障害物はなぎ倒し、細い足場では踏み外し・・・と、ちょっとどんくさいのんびり屋さんでした。

 

人懐っこく特に男性が好きで家電などの修理に来た人に撫でてもらおうとしたり、バックの中に入ろうとしたり・・・と、そんなところは可愛さ全開で”お近づき”になろうとする抜け目がない愛すべき我が家の末っ子でした。

 

コロナ禍で仕事はリモートだったため、主人と二人で見送る事が出来たのは幸いでした。

 

旅立ったのは夕方でしたので、まだ温かい体を箱にうつし保冷剤を大量に入れて暖かいリビングで一晩付き添い、主人は ”生きてるみたいだな・・・撫でてたら起きてきそうだ・・・” と言いながら何度も何度も撫で話しかけ通夜をし、今日の午後、遺骨へ・・・

 

ちょうど1か月前に猛毒親だった母が亡くなったと聞いても悲しさや寂しさなど微塵も感じず正直、私自身ドライになりすぎているのではないかと思っていたのですが、この子(猫)を思い出すたびに溢れる涙やなつかしさや喪失感にやはり愛情のあるものへの心の在り方は特別なのだと、私の心の非常にドライな部分はやはり母限定なのだと、私の心はまだドライではなかったのだと思いました。

 

 

悲しみは時間とともに思い出に上書きされていきます。

 

 

思い出は良くも悪くもその人が ”良い思い出” と思うものが多く残ると言われています。

 

 

今回の悲しみも ”時間” が優しい思い出に上書きしてくれるでしょう。

 

今は静かにその時を待ちたいと思います。

 

 

 

このお話が誰かの心のヒントになれば幸いです流れ星