「はずべきだろう」 に注意とは 「恥ずべきだろう」 ではなく 「~はず」 「~べき」 「~だろう」 にご注意という事です。
「~はず」 や 「~だろう」 は予測をあらわす言葉で 「べき」 は思い込みで固定観念です。
しかし、私達はこの 「~はず」 や 「~だろう」 という予測を使って日々の生活を快適に過ごしています。
毎日繰り返される事だったり、又は日に何度も繰り返される事について学習し、いちいち確認しなくてもいいように予測を立て行動し時間を節約しているわけですが予測を外すこともよくあります。
早朝の電車なら空いている『だろう』or『はず』と思って行ったら案外混雑していたり・・・
家に帰れば、ご飯とお風呂は用意してある『はず』or『だろう』と思っていたら家には誰もいなかったり・・・などなど
その他にも人生に大きく関わる 「だろう」 や 「はず」 もありますよね。
最高のパートナーだと思って結婚した 「はず」 だったのに離婚する事になったり、反対に一生結婚はしない 「だろう」 と思っていたら思わぬ縁から結婚に発展したり・・・
私達は、何度も繰り返したり長く続いたりすると行動や考え方に良くも悪くも慣れてしまい 「当たり前」 と思うようになってしまいます。
私達の生活には 「当たり前」 という事は何もなく、本当は「当たり前ではない事」 の連続なのですが・・・
「だろう」 や 「はず」 を何度も何度も繰り返すと慣れてしまい 「当たり前」 と感じ、馴染みのない事や慣れない事は当たり前ではない為、自分の当たり前に従わせようとします。
なんせ 「自分の当たり前」 というフィールドの中であれば自分がいつも古株で先輩で先生で最高権力者で独裁者で自分が一番正しい人物でいられるわけですから
こうなると 「毎日は当たり前ではない事の連続」 なんてものはどこへやらで、大きな事故や事件や出来事でしか特別感を感じる事はなく小さなことにも感謝出来る心を失って自分の思う通りに事を動かそうとする 「べき思考」 へと傾いてしまいます
「べき思考」 の人というのは 「自分ルール」 が世のスタンダードだと思っているので自分のタイミングでない変化を受け入れる事が出来ません
その為、時代も、物も、人も全てにおいて変わる・・・変化するという事がとても苦手です
「変化する事」 が苦手なので新しい事に挑戦する事も嫌いです。
変化するという事は物事が新しくなるという事です。
新しくなるという事はゼロからのスタートという事です。
ゼロからのスタートという事は古株で先輩で先生で最高権力者で独裁者ではいられないという事です。
なので変化を嫌う 「べき思考」 の人は古い考えに固執し新しい流れや考え方などに抵抗するため変わって行く時代の中ではミスをしやすくなります
固執した考えの為、情報が古く時代にあった考え方や発言、行動が出来ないのです・・・
しかし、新しければ何でもいいと言う訳ではありません。
情報は鮮度が大切ですが、その情報は正しいのか確実なのかを見極めるためには知識と多角的な視点と常に疑問を持つ事が必要です。
使っていないつもりで 「~はず」 「~べき」 「~だろう」 を使っている人は多いものです。
「~はず」 「~べき」 「~だろう」 を使い過ぎて 「恥ずべきだろう」 と言われないように気を付けないといけませんね。
このお話が誰かの心のヒントになれば幸いです
古くて変われない固執した考え方の人がどのように時代や人から置いて行かれるのかをもっと詳しく解説していますのでよければこちらもどうぞ